痛みや失敗の豊富さが優しさに繋がることはないが、凡人なりの工夫はできる
痛みは優しさになり得るのか
「君はたくさんの痛みを知っているから、人に優しくできる」という言葉をかけられたことがある。精神的な辛さを知ったからこそ、辛い状況にある他人の痛みを敏感に察知し手を差し伸べることができる。たぶんそういうことだと思う。
でも、「人の痛みに気づける」ことが即「優しくできる」に繋がる訳ではない。僕らは凡人だ。テレパシーも使えないし自己認識の1000倍は共感力がない。想像力がない。それに、「人の痛みに気づける」ことは初めの第一歩に過ぎないということすら簡単