海と毒薬-人間性を捕まえて

こんにちは、ささみチキンです。
今日は遠藤周作の著書「海と毒薬」を読んだ感想と印象に残った描写についてお話ししようと思います。

遠藤周作とは

遠藤周作は第一次世界大戦の終戦から約5年後の1923年に東京で生まれ、その幼少期を当時の大日本帝国の植民地であった満州で過ごしました。
その後日本に帰国し11歳でカトリックの洗礼をうけ、大学時代のフランス留学を経て1955年に作家デビューを果たしました。
彼は自身の作品の中で日本人の精神的特徴とキリスト教の問題を追求するほか、歴史小説やユーモア小説も執筆しています。作風の広さが伺える人物です。特に日本人の精神風土に対する探究心はどの作品でも一貫しており、遠藤周作にとって生涯を通じて人生の命題とも言えます。

海と毒薬の舞台設定

物語は「私」とその妻が東京の外れにある住宅地に引っ越してきたところから始まります。時期としては恐らく1950年~1960年あたりでしょうか。「私」は肺に持病があり、引っ越し先で新しいかかりつけ医を探していました。そこで出会うのがこの本の主演とも言える勝呂(すぐろ)医師です。
近隣住民との交流の中で「私」は勝呂医師がかつて第二次世界大戦末期に九州の病院で起きた米軍捕虜の生体解剖事件の当事者であったことを知り、物語は当時の病院へとシフトしていきます。
実はこの事件は日本で実際に起きた生体解剖事件を元にしており、物語を通して「日本人とは一体いかなる人間なのか」という問いを展開します。

印象に残った描写

この作品の秀逸さはなんといっても人間性の描き方にあります。登場人物はみんな、特に変わったところのないごく普通の人々ばかりです。ややメタフィクション的に言えば、役者っぽくない。嘘臭さがないのです。ここで描かれるのは性格こそ多様なものの、あるがままの私達です。ヒロイックさも無ければドラマチックでも無い。現実世界に生きる人間が、その呼吸や体温まで感じ取ることのできるほど鮮明に描かれています。そこには決して鮮烈な輝きはありません。
一部、文章を抜粋してご紹介します。これは「私」が銭湯でガソリンスタンドのマスターと会話し、彼の戦時中の体験を聞いた後の文章です。

私にはなにがなんだかわからなかった。今日までそうした事実をほとんど気にも留めなかったことが非常に不思議に思われた。今、戸をあけてはいってきた父親もやはり戦時中には人間の一人や二人は殺したのかもしれない。
けれども(中略)その顔はもう人殺しの顔ではないのだ。トラックが洋服屋のショーウインドーを汚していったように無数の埃が彼等の顔に積もっている
(遠藤周作 海と毒薬 新潮文庫 より一部引用)

彼らが戦時中に犯した殺人という罪は清算されたわけではなく、時間と日常という埃が積もるうちに彼ら自身ですらその罪を認識できなくなっている。この無自覚さと現在の彼らが見せる農民的な善良さは矛盾することなく彼らの精神性の中に同時に存在している。ここに日本人の持つ「罪と罰」の意識がはっきりと描かれているように感じました。
他にも遠藤周作が描いた人間性の問いは無数に作中に散りばめられています。もし良ければ一度手にとってじっくり味わってみてください。きっとあなたにとっての「人間性」を捕まえられるはず。

それではまた。お相手はささみチキンでした。




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