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井戸に戻ってひと休み-大海のカワズに避難所を

「どこにでもいる普通の女の子」ってフレーズ、人生で一度どころか何度も耳にする。そして本当の意味で個性的なひと握りを除けば僕たちはみんな無個性であり没個性なのである。僕たちは"大人"に近づく度に、あるいは"大人"歴が長くなる度に世の中の広さと自分という存在の小ささをこれでもかというほどに痛感させられる。なんとも非情な負の相関関係だ。

近年はSNSを主洗浄に多様性が拡大し続ける一方で僕たちの没個性化もひそかに加速している。右を向けば自分と共通の趣味を持つ友人が、左を向けば自分とは相容れない人間が。そして上を見上げれば自分の上位互換が青天井のごとく存在している。下を見ても自分の卑屈さを自覚するばかり。誰も自分が自分たり得る"個性"を見失ってしまう。それもまたSNSの持つ側面の一つだ。

そんな僕たちはどうやって"個性"を回復させれば良いのだろう?「上を見なければいい」なんてのは対処療法にも満たない安っぽい気休めに過ぎないし、かといって「個性豊かな僕たち/私たち」を演出するのはかえって無個性さを強調するばかり。見え透いた空元気は他人から容易に見透かされるものだ。けれど確かに、今の僕たちには一時の間だけでも井の中のカワズになれる瞬間が必要なのだ。自分の"個性"を信じることのできる時間が。

そこで僕はひとつの解を提示してみようと思う。あ。怪しいマルチとか宗教勧誘じゃないです。お願い待って逃げないで。どうかチャンネルを変えるのはこれだけ聞いてからにしてほしい。

自分だけの、誰にも教えない推しを見つけること

はい。もうチャンネル変えて大丈夫です。
どんなものでもいいので1つ自分だけしか知らない推しコンテンツを見つけてください。できれば知り合いが誰一人として知らないものを。

「あの映画に一瞬だけ出てくる端役の表情が最高だ」とか、「古本屋で買った本の中でも色合いと匂いと紙の質感が一番好みの一冊」とか。あるいは「このバンドめっちゃ良い曲出すのに知名度が地の底」とか。

"自分だけしか知らないけど大好きなもの"を見つけると、それに触れている間だけ世界から自分以外の人間がいなくなったような感覚になれる。ぜひ井の中のカワズになれない今だからこそ、際限なく広がり続ける大海で疲れてしまった時は自分専用の井戸に入って心と体を休めてほしい。瀕死の蛙に井戸を。無個性な僕たちに避難所を。

最後に僕にとっての井戸を1つ載せておきます。もの悲しくてどこか温かい曲です。どうしても自分にとっての井戸が見つからない時に聴いてみてください。



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