【人生】継続する、ということは生きることそのもの?

私は継続が苦手だ。継続が苦手なのが私、とも言い換えられるほどだ。
継続できないことで、自分への信頼をなくしてきた。「私」という人に約束を破られているのだから、当たり前である。

子供のころから、自分との約束を破っては、「自分はダメな人間だ」と自己否定を繰り返してきた。破ろうと思って破っているのではない、というのが厄介だ。やらなければと思うが取り掛かる気になれない、でもやらなければ、という葛藤の末、やらないと選択するのだ。
今思えば、やりたくないことをやろうとしていたり、自分に合わないレベル設定をしていたりしただけなのだろうけど、そんなこと分からずにただ、「できない=ダメ人間」と短絡的に捉えて苦しんでいた。人格や能力の問題だと思い込んでいたのだ。20代の頃まで、その傾向は強かった。

この思考は、私の人間関係をとても不安定にさせた。私は信頼してもらえない存在だ、という不安。相手を信頼しきれない孤独感。私は友人との約束を破ってしまうのではないか。傷つける言葉をかけてしまうのではないか。信頼を失って、一人になってしまうのではないか。この人はこんなに褒めてくれるけれど、具体的に言えないってことは本信じゃないんだ。私はこの仕事を完遂できるだろうか、途中で投げ出してしまうかもしれない、社会人としてダメだ、ちゃんとやらなければ、でもやり切れるか不安だ。気分の波にのまれて、自分を操縦しきれない不安。

こんな風にして私は、どんどん不安の強い人間になってしまったと思う。

また、継続できないことは、自分の状態の変化に気づきにくくさせている
毎回同じこと、同じ量だからこを、いつもの自分と比較することができる。いつもならこれくらい楽にできるけれど、今日はここまでするのにすごく大変だった、など。そういう比較対象が私には少ない。
比較ができなければどうなるかというと、なんかしんどい、なんか調子いい、なぜかは分からないけど、となる。
そしてしんどいのは気のせいだと無理してしまったり、なんか調子良いからといってやりすぎてしまう。昨日なんて、急にスイッチが入ってしまい、2時間くらいかけて、夢中で部屋の模様替えをしてしまった。結局疲れてしまったようで、そのあとの家事が億劫で、強い抵抗を感じた。
余談だが、お風呂に行くのが億劫で「お風呂いきや」「がんばれ!」と、声に出して自分を鼓舞していると、それを見兼ねた3歳の息子が「連れて行ってあげるわ」と手を引いてくれ、彼のおかげでお風呂に行けた(なんとも残念な母である)。独身一人暮らしだったら、そのままダラダラ過ごし夜更かしコースだったに違いない。

だから調子が良い、悪い関係なく、結果的に無理をしてしまうのだ。そして、いつまで続くのか分からない闇に落ちてしまうことだって、少なくない。

私は今、継続に挑戦している。
調子が良くても悪くても、事前に予定を組んで、定量をこなそうと試みている。続かないということは、予定の組み方が悪いか、量が多すぎるか、そうでなければ自分に合わないことをしているということだ。
今日は今のところ、予定通りに進んでいる。朝起きるのが辛かったし、なんとなく体がだるくて、活動すること自体が億劫だったりした。それでもとりあえず予定を組んだ。そして淡々とこなしていると、今とてもフラットな感覚でいる。焦りも不安もない、そわそわと落ち着かない感じもない。とてもいい感じ。

自分を知りたい。
もっと、自分を生きたい。

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