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雑記05|就活が気持ち悪い



はじめに:就活に苦しむ同志へ


私は、所謂「就活無双」人間とはかけ離れた存在で、
就活でさんざん嫌な思いをしてきた人間である。

必死に隠してきた傷跡を抉られ、
己の無力さに打ちひしがれ、
30超ものお祈りメールを食らい、
来る日も来る日も就活のことで頭がいっぱいである。

ちなみに、そんな私は25卒である。
まだ内定はない。

まだ内定をもらっていない人がこの記事をみているならば、こういう人間といるので、
安心していただきたい。
ここに、まだ仲間がいると伝えたい。

終活の報告が最近は多くあふれているが、
たまにはこのような記事があってもよいのではないか。

同じく就活で心を痛めている方は、是非本記事で羽を休めていただきたい。



私と就活


これまで私は、勉強や、課外活動、自己研鑽とそれなりに様々なことをやってきたと自負している。

サークル、アルバイト、留学、興味があることにはなんでも飛び込んできた。

たくさんの人や多くの本に出会い、見える世界を広げてきた。

けれども。
就職活動だけはどうも肌に合わない。全くもってうまくいかない。

苦しい。辛い。逃げたい。

今まで取り組んできたもの程に、のめり込めないし、途方もない心の反発を感じる。

毎回、ES作成や面接に際しては絞り出すようにして気力を捻出する必要がある。

なんなんだろうこの「気持ち悪さ」は。
なんなんだろうこの「違和感」は。

そうして、この憂さを晴らすべく、
今回は、就活に関して思うところを整理してみようと思い立った。


演じることができない

就活で勝つためには適度な本音と、適度な嘘が必要である。

「就活は嘘をつく人が通る」
「就活は、結局は本音で話した方がよい」

就活必勝法などを謳うサイトや本を見るとこのような意見がよく見られるが、

私は、建前と本音、どちらか一方でないと思っている。

必要であるのは双方のバランスだ。

今は本音が求められているのか?
建前的な答えを出して減点要素が内容に卒なく対応をするのか?

相手の質問の意図を瞬時に理解し、それ相応の応答をする。それが現に求められている。

しかし、それを私はできなかった。
建前を、流暢に述べることができない。

就活という舞台で、女優として演じることができない。舞台の上で冷や汗をかいて、立ちすくんでいる。
隣では他の就活生が快活で華やかな舞いを見せているというのに。

このことが、就活が私を苦しめる原因となっているのだろう。



本音が分からない


就活を長く続ければ続けるほどに、自分の本音が分からなくなる。


「自分の自己実現のために、企業選びをするのだ。」

「企業が学生を選ぶと同時に学生も企業を選んで良い。」 

無論、それが好ましい構図である。


それを頭では分かっている。
学生と企業は対等にお互いを評価し合って、上手くマッチングしているかを判断する権利があるのだということも。

しかし、一方的で双方向のコミュニケーションが成り立たない面接を受けたり、「お祈りメール」を何連発も食らうと、苦しくて仕方がない。

自分の根本的な何かを真っ向から否定されたような気すらしてくる。


どうも、本音と建前のバランスが分からない。

中途半端に嘘で固めると、それが相手に伝わってぎこちない印象を与える。

一方で、本音で話しすぎると、懸念要素として処理されて減点を食らう。

私は不器用すぎて、丁度良い塩梅を体得できない。

ずっと、そんなシーソーゲームに翻弄されている。いや、それどころか上手くシーソーに乗ることすらできないのかもしれない。




きっと、嘘をつくことにためらいがなく、
己の本心が否定され続けるトラウマをあまり経験したことがない人が就活で無双するのだと思う。

私は就活劣等生なので、そうした道化と真実を使い分けることのできる人々を心から尊敬している。

私にはそれを体得する術が分からない。


「それも私らしい」
そう笑い飛ばしたいのだけれど、
そしてこういうと率直すぎるのかもしれないけれど、
就活は生活に必須なお金を手に入れる手段でもある。
ほとんどの人間は労働無くして生き続けることはできないのだ。

どこかで、そうした私を隠して
舞台女優の若く舞い踊ることが、この社会を生き延びる術だと、「諦め」て就活というステージで踊るしかないのだろうか。


ありのままの私が認められる日が来るのか

嫌なことからは逃げたらいい、
そういう言葉はあるが、やはり労働、ひいては就活や労働における他人の評価は避けられない。

私は元々の性質が内向的であるし、
ネガティブ思考であるし、吃音気味、双極性障害もある。

小学生から「不思議ちゃん」キャラでクラスでも浮いてきた。

言葉の端々の意味の持たせ方や言い回しが気になってしょうがなくて、コミュニケーションがスムーズにできない。

どうしても、他の人とスタートラインが違うような気がしてきて、

彼らと共同の生活を送るには人一倍の努力が必要であると感じてならない。

話し方、振る舞い方、些細な表情
全てを意識して社会向けにあつらえなくては、私は「普通」ではいられないのではないか。社会で生活できないのではないか。

そんな思いを就活を通して深めている。


6月8日現在未だ内定はない。

たった1社納得する企業と出会い、相思相愛になればよいのに、それがこんなにも難しい。

今感じている苦しみや痛みが、どうか報われる日が来ることを祈っている。

2024.06.09
千尋




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