ホワイトボードを消すだけで

ホワイトボードを消した時、社会人になって初めてほめられた。
ただ消しただけなんだけど。

まだ働き始めたばかりの頃、ぼくは教室で建設業についての研修を受けていた。「建設業界か...」というモヤモヤを抱えながら。

期待と不安が入り混じり、ジェットコースターのように感情が揺れ動く。多くの人が経験しているようなことを、まあ、ぼくもしみじみと味わったわけだ。

そこから約4年。

研修生時代は、もはや懐かしい思い出にすぎない。もう、ほとんど記憶から抜け落ちてしまっている。ただ、ふとしたきっかけで、頭にくっきりと浮かんでくる日がある。

その日の朝、ぼくは誰よりも早く出勤して、教室に入った。まず、目に飛び込んできたものは、ごちゃごちゃ書かれたままのホワイトボード。前日からほったらかしで、教室の端にぽつんと置いてあった。

初めはシカトしていた。だけど、文字がぎっしりの騒々しいホワイトボードが、だんだんと気になり始める。どう考えても、朝早く静かな教室にはふさわしくない。

気づいた時には、ホワイトボードを消していた。

そこから、自分にとって予想外なことが起きる。その日の研修が始まるタイミングで、担当の先生が名指しでほめてくれたのだ。

ちょろいぼくは、けっこう喜んだ。少なくとも、約4年越しに思い出すくらいには印象に残っている。

ホワイトボードを消すなんて、小さい作業だ。誰にでもできる。ただ、多くの人はやろうとしないし、気づきもしない。学校の日直で黒板を消すとか、やっているはずなのに。

でも、だからこそ、このような「ちっさい」を積み上げることは重要になってくるんだと思う。

生きていると、「でっけー」と感心するような人に出くわすことがある。

「自分では、とうてい太刀打ちできない」
「どんな人生を歩んだらそうなるの?」

そう思ってしまうような、巨人との出会い。誰にとってもあるはずだ。今の時代は、SNSもあるからなおのこと。

初めは、実績や記録などの数字が「でっけー」を演出しているのだと決めつけていた。

しかし最近は、「でっけー」と感じる人たちというのは、ありったけの「ちっさい」を積み上げているだけなのかもしれないという答えにたどり着いた。

多くの人が見逃してしまう、無数の「ちっさい」を誰よりも大切にする。
すると、ひとつひとつの小さな差が集まって、いつの間にか大きな差になることもあるだろう。

たとえば野球の大谷翔平さんは、「ちっさい」をおろそかにしない。試合中にもかかわらず、グラウンドのゴミ拾いをすることがある。プレッシャーにさらされる状況下であっても、平然とやってのける。

大谷翔平さんにとって、ゴミを拾うということはごく当たり前のことなのだろう。自然と体が動くほどに。

大きなことを成し遂げる。それはもちろんすごいことだ。投手として、打者として。大谷翔平さんが残した記録はすさまじい。

だけど、それだけではなく、ゴミ拾いのような小さなことにも注目してみたい。すると、意外なヒントが発見できるはずだから。

ぼくも、「でっけー」人になりたい。
ホワイトボードを消すような「ちっさい」ことを積み上げて。
まあでも、大谷翔平さんのレベルは無理だなー。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?