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逆説が理解できない高校生 3

 ここでは、保護者・生徒・社会が示す「学校・先生への過剰な依存と反発」という言葉をしばしば使ってきました。
 私自身の高校時代や、高校教員になった初期の頃、高校中退は少なかったですが、決して珍しい現象ではなかったです。中退と言うことの良し悪しは別として、高校で学ぶより社会で働く方が生き生きとしているケースも少なくありません。中退しても働く場所があり、受け容れてくれる人がいました。百姓・漁師になる、町工場の職人に師事する、中には地域の伝統工芸の後継者になるというケースもありました。
 しかし、平成7年頃を機として、中退者が減りました。

高校の入試段階では全入なのですが…

 この頃、私が勤務していた実業高校では、数学0点、国語0点でも合格するようになっていました。子供の数が減り、学級数を減らしても、倍率が1倍を切るのです。定員内不合格は出さないという原則もあり、ほぼ全入になります。
 そうなると、入学後の中退者が増えるのではないか…という想定もありましたが、逆に中退率は激減します。考えられる要因は3つ。
①下位層の学力が下がったため、成績評価基準も下がった。
②下位層を意識した教員の手厚い指導が行われた。
③生徒さんが、中退・退学を希望しなくなった。

学校にしがみつく生徒さんたち

 変な話ですが、喫煙や飲酒を繰り返す生徒さんに対し、「煙草を取るか、学校を取るか」という極端な選択を示すことがなかったわけではありません。今だとハラスメント案件ですけどね。
 その時、煙草はやめられないと言って学校を辞め、自営業の親戚や知人などを頼って働き始める生徒は、これも少ないですが珍しくはなかったです。本人も、働く方がよいと言って、初任給で親に贈り物をして、以降家にいくらか入れ続けるという、大学院まで進んで研究に挫折した身としては、立派というか、尊敬に値するというか、大学に残り続けオーバードクター状態になるより人間の生き方として建設的であるという個人的思いがありました。
 親孝行度は、高校中退生徒の方が高いのです。
 しかし、この頃から価値観が変わりました。
 生徒さんが一番恐れるのが「停学・退学」であり、その権力を持つ教員に対する畏れと憎悪とを示すようになったのです。

学校にしがみつく生徒さんの対応にかかる膨大な労力

 もちろん、事と次第によりますが、校内で隠れて煙草を吸った、海岸で友達とお酒を飲んだ…という程度で「一発退学」にはなりません(私立学校では、案件としては軽くても「累積」で退学処分になるケースがあります。しかし、公立ではこれも難しいです)。
 しかし、逆説が理解できない高校生の思考は、極端です。処分=停学・退学という思い込みが強いです。そして、その恐怖は教員に対する暴言・威嚇という形で表現されます。時には、自分の行為を正当化し、処分を免れるために、「○○もやっている」と言い出します。自己防衛のために「平等・公平の発想」を悪用するのですね。
 こうした生徒さん、保護者さんの言動・思考・発想は、逆説的というか、二律背反というか、そこにアイロニーを感じることもあります。ただ、それを矛盾として指摘すると、さらに暴れることを体験的に学び、その思考回路を解明しつつあった私は、「逆説を理解できない高校生は、逆説を可視化した言動を繰り返すが、それが逆説であることに気づかない」という仮説を立て、事件のたびにその検証を進めました。
 こうした生徒さん、保護者さんは、少ないのですが確実に存在していました。その対応に膨大な時間と労力とを費やし、心を削られるという状況が日常になってきたのです。

もう一つの問い

 なぜ嫌いな学校に来るのか、卒業にこだわるのか。
 なぜ嫌いな先生にわざわざつっかかっていくのか。
 これも逆説ですね。
 保護者さんも同じ。担任が嫌いで、むかつくならば、距離を置けばいいのに、わざわざ詰めてくる。
 本来、担任と生徒、担任と保護者の関係性は「公的なもの」であるはず。しかし、そういう方は、暴言や威圧を繰り返しつつ、「私的な関係性」に引きずり込もうとする。
 なぜなのか…
                     つづく…
 

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