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北村早樹子のたのしい喫茶店 第12回「下北沢 cafe ZAC(ザック)」

文◎北村早樹子


下北沢ザックの外観

 数年前、わたしは千木良悠子さん主宰のSWANNYという劇団で、『女中たち』というお芝居に取り組んでいた。

 ジャン・ジュネ原作のこのお芝居は、ソランジュとクレールという身寄りのない姉妹の話で、わたしはこの妹、クレール役だった。登場人物は、姉妹ふたりと、姉妹が女中として仕えている奥様の3人だけ。しかも奥様は最後の4場にしか出てこないので、劇中、殆どは姉妹の怒涛の長ゼリフ合戦によって成り立っているという、役者にとっては怖ろしい作品だった。

 何ページも一気に喋るのは当たり前。まあまあの分厚さの文庫本1冊をまる暗記するようなもんで、まずはセリフを入れるのが本当にたいへんだった。日本語とはいえ、翻訳ものなのでずっと馴染みのない言葉遣いでめちゃくちゃ覚えにくい。おまけに、わたしにはもうひとつ壁があった。それはイントネーションが大阪弁になってしまう、ということだ。そもそも、フランス人の女の子が日本語で喋っていることが変なのに、それが大阪弁になってしまうと本当に意味がわからない。おねえさんのソランジュ役の千木良さんは東京生まれ東京育ちの綺麗な標準語なので、妹だけ大阪弁だったら、いよいよ訳あり姉妹になってしまう。わたしはイントネーションを常に頭の中で直しながら、怒涛の長ゼリフを喋りたくる、という至難の芸をしなければならず、たぶん人生でいちばん頭を使った期間だった。

 しかし、『女中たち』は読み込めば読み込むほど、とてもわたしにぴったりで、クレールは親近感の湧く女の子だった。この作品、原題は『Les Bonnes』と言って、そのまま女中たちという意味なのだけど、この言葉は現在フランスでは差別用語で言っちゃいけない言葉になっているらしい。女中というのは、それぐらい身分が低いのだ。
 姉妹ふたりは、奥様の留守を狙っては仕事をサボって奥様ごっこをして遊んでいて、しかしだいたいいつも喧嘩になって、最終的には自分たちの境遇のみじめさを嘆く羽目になる。中でも忘れられない衝撃的なセリフがあって、
「こんなおりものみたいな女は愛されるはずがないからね」
 というのだけど、えっ、おりものみたいな女!? とはじめて読んだときはたいそうたまげた。身分が低く、口が悪い。まさしくわたしのことやんけ、とシンパシーを感じながら演じていた。
 わたしは一般的な中流家庭で育ったので、社会的に差別されて苦しんだりしてきたわけではないが、家庭内の環境がひどく、家の中では身分が最低だった。そんな環境で育つと、こんな人間なのやから愛されなくてもしゃあない、という思考に陥ってしまう。劇中でわたしは、「こんな穢らわしい下等な生き物、召使なんて人間のうちには入らない」と言い、「そりゃわかっていますよ、召使だって必要だってこと! 墓堀人や汚わい屋やお巡りが必要なのと同じことですもの。それでも、こういう結構なご連中が悪臭を放つことに変わりはない」と言う。ちょっと日本語が難しいので、解釈があっているのか不安ですが、これは「臭い部分を引き受けて生きるのがわたしの役目でしょ」という逆ギレだと感じ、とても親近感が湧いたのだ。このセリフを言う度に、わたしはなんか込み上げるものがあって、ちょっと泣きそうになるのだった。
 わたしはお芝居を始めたのは30歳になってからで、それまでに特に演劇部だったわけでもなければ、演劇をたくさん観て来たわけでもない。『女中たち』はまだ人生で3回目にやる舞台だったので、演出の千木良さんには本当に苦労をかけた。本番前の1か月は、殆ど毎日、稽古前に千木良さんのおうちにお邪魔して特訓してもらい、その後稽古場に移動してまた稽古、というなかなかのスパルタ期間だった。正直、めげそうになっていた。稽古場にはときどき日本舞踊の先生が来てくれていて(『女中たち』はフランスの話なのに、着物を着て演じるというアバンギャルドな演出だった)、日本舞踊のような所作も身に付けなければいけない。わたしは気を抜くと股を開いて歩いてしまうガニ股女なので、内股でちょこちょこ歩くのもなかなか慣れず、言葉も大阪弁禁止だし、本当によくやったよな~と我が事ながら感心する。
 そんな『女中たち』の稽古はだいたいいつも下北沢だった。稽古の前に、気合を入れるためにわたしはいつもこの喫茶店に行っていた。下北沢ザックはケーキ屋さんでもあるのだけど、奥に広い喫茶スペースがあって、そこがとても居心地がいい。ちょっと前までは煙草も吸えたし、いい意味で気取っていなくて、古き良き喫茶室、という感じがとても好きだった。

ザックの店内

 大理石のようなレンガ色のテーブル、コーヒーにはサービスでビスケットを一枚つけてくれるのも小粋で素敵。モーニングランチセットもやっているので、サンドイッチで腹ごしらえをして、台本を読み読みコーヒーを飲み飲み、ひと息ついて、よっしゃいくぞっと稽古場へ向かうのが、わたしのルーティンだった。わたしが好きなのはツナサンドトースト。トーストされたパンにたっぷりのツナとレタスが挟んであって結構ボリュームがある。ゆで卵かヨーグルトが選べるのうれしい。
 ガニ股禁止、大阪弁禁止のクレール生活を支えてくださり、ありがとうございました。

北村さんがお気に入りのツナサンドトーストのセット


今回のお店「下北沢 cafe ZAC(ザック)」

■住所:東京都世田谷区北沢2―11―2 パティオ下北沢1階 
■電話:03―3413―3991  
■営業時間:9時~22時40分  
■定休日:無し

撮影:じゅんじゅん

北村早樹子

1985年大阪府生まれ。
高校生の頃より歌をつくって歌いはじめ、2006年にファーストアルバム『聴心器』をリリース。
以降、『おもかげ』『明るみ』『ガール・ウォーズ』『わたしのライオン』の5枚のオリジナルアルバムと、2015年にはヒット曲なんて一曲もないくせに『グレイテスト・ヒッツ』なるベストアルバムを堂々とリリース。
白石晃士監督『殺人ワークショップ』や木村文洋監督『へばの』『息衝く』など映画の主題歌を作ったり、杉作J太郎監督の10年がかりの映画『チョコレートデリンジャー』の劇伴音楽をつとめたりもする。
また課外活動として、雑誌にエッセイや小説などを寄稿する執筆活動をしたり、劇団SWANNYや劇団サンプルのお芝居に役者として参加したりもする。
うっかり何かの間違いでフジテレビ系『アウト×デラックス』に出演したり、現在はキンチョー社のトイレの消臭剤クリーンフローのテレビCMにちょこっと出演したりしている。
2017年3月、超特殊装丁の小説『裸の村』(円盤/リクロ舎)を飯田華子さんと共著で刊行。
2019年11月公開の平山秀幸監督の映画『閉鎖病棟―それぞれの朝―』(笑福亭鶴瓶主演)に出演。
2019年より、女優・タレントとしてはレトル http://letre.co.jp/ に所属。

■北村早樹子日記

北村さんのストレンジな日常を知ることができるブログ日記。当然、北村さんが訪れた喫茶店の事も書いてありますよ。

■北村早樹子最新情報

8/29(月)
『北村早樹子ワンマン第7回』
場所:阿佐ヶ谷よるのひるね
時間:19時半開場19時45分開演
チャージ:2000円+1ドリンク
ご予約の方は名前と枚数と連絡先をkatumelon@yahoo.co.jp まで送信してください。完全予約制です。


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