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家族の制度と生きにくさと反抗期と

最近もっぱら「自分軸」に敏感になってきた私です。

自分が小学生の頃から、女・こどもの発言力のなさ、男、大人の言動が大事にされるべきだという考え、とてもとても息苦しく、ずっとモヤモヤしています。

今まではそういうもんだと諭されて我慢したり、納得したふりをしたり、自分で自分に言い聞かせたりしてきました。ところが自分が子育てしていく中で、どうも無視できないくらい大事なことのようだと気づき、反論したり反抗したり、相談機関に話を聞いてもらいに行ったりと、行動を起こして情報を集めているところです。

色々な本や文献を読んでいて、日本独特の考え方や制度があったことが見えてきました。

一番は明治時代に49年間施行された「家制度」。男女の差別がはっきりと明文化されていて、清清しささえ覚えます。

(長)男には家を継ぐ権利があるが、女にはない。家長の同意がなければ結婚できず、家長の意思があれば勘当もできる。

やりたい放題できちゃいます。

制度の終わりが22年だから、76才より上の方々。今の時代もその考えが根強く残っていることを考えれば、親から子へ、子から孫へと当たり前のように受け継がれていたと考えられます。政治を動かす中心、もしくは周辺でアドバイスを与えられる立場にもいらっしゃる。かなり意識して意識を変えていかないと、発言の根底にある考え方が透けて見えてしまうでしょう。

女やこどもに対して、男が強い言葉を使ったり体罰を与えたりしても「仕方ない」と捉えられてきた背景は、この制度が所以なのではないかと考えています。

「大人は理不尽なことを言うもんだ」
「お父さんがそう言ってるんだから我慢しなさい」
の出所もそうなのではないでしょうか。

「他の人に怒られるよ」
これも、権力のある人には逆らえない、という心理を突いた、即効性のある教えだったのかもしれません。

このところ親子の関係を見直そう、こどもや母親の人権を守ろうという流れが大きく、「I(アイ)メッセージで気持ちを伝えよう」という表記を多く目にします。誰が怒っているから、嫌な気持ちになっているからではなくて、「自分が」感じていることを伝えていいんだよ、という、解放宣言のようにも受け取れます。
学校やマスコミでも、人権教育やジェンダー平等を謳った授業や番組が多く取り入れられています。一人一人が価値のある、大切にされるべき存在である、という考えです。

けれど家族との関わりが以前と変わらないというチグハグな家庭は、まだ多く見受けられます。

上の子2人を幼稚園に入れていた時、ママ友さんと親子で公園に繰り出し、家族のかかわり合いのことを相談したり、愚痴を聞きあったり、たっぷり時間を費やすことができました。その中で、1部の母親に私が感じていた違和感は「どうしてそんなに子どものことを尊重できるのだろう」という事でした。

子どもが何に怒っているのか躓いているのかを時間をかけてくみ取り、穏やかに諭して、落ちつくのを待っている。

あれ?大人って、親って、子どもに言うこと聞かせるのが役目じゃないの?理不尽なことを要求しても、従わせるのが大人じゃないの?当時、子育ての方向性が定まっていなかった私は、軸がぶれまくっていて様々な対処法を試しており、その時はその様に捉えたのです。

しかし、わが子が思春期と反抗期を迎え、自分が子どもの頃大人に受けた養育と共に振り返ってみると、「上から押さえつけられてばかりいると、嘘をついたりごまかしたりするようになる」という結論に至りました。あくまでわが家の場合です。程度がキツすぎてか、うちではそうなってしまいました。

ふと、他国ではどうなのだろうと考え、ネットで反抗期について調べてみました。互いの意見を尊重しあい、話し合いで解決を試みる社会でも、子どもが親や社会に反抗するものなのだろうか、と。
すると、成長に伴う思春期はあれど、日本のように「反抗期」のある地域の方が少ないようです。

これにはずいぶんと宗教的な考えも関わってくるようです。聖書をよりどころとしている地域では「世の中には同じ人はいない。持つもの持たざるものがいるのが世の中。だから、持っている人は与えなさい。」という考えがあるため、自他を尊重し合える風土が元からあります。どの考えがいいという優劣もない。小さい頃から自分を尊重してもらえるから、反抗する相手もない。
方や日本の家族制度は儒教の流れを汲んでおり、そこには男性しか登場せず、女は「惑わすものだ」と冒頭に書いてあるだけだというのです。(←儒教についてはネット情報なので、実際読んでみる必要あり)性差も明らかにあるし、男性上位が根底にあるので、上の立場から言われたら我慢し続けるしかありません。

日本は宗教に無頓着なイメージがありますが、制度を作る上で都合のいいところをかいつまんで、ここまで浸透してしまうとは…

「出る杭は打たれる」ということわざが、いつの時代から使われるようになったのかにも、とても興味があります。抜きん出た才能は、好ましくない。それを隠して謙虚に生きるのが美徳。日本人の特性とも言われるものですが、一体いつの時代に言われ始めたのか。
土用の丑の日を広めた江戸時代の平賀源内のように、謙虚さが美徳と言い始めた人が、いつかどこかにいたはずです。


日本は今、過渡期にあるのだと思います。様々な考えが渦巻き、意見の食い違いや対立が起こり、そして徐々に入れ替わりが起こる。

変化の大きい時代に生まれたようですが、自分の目で正しいと思うことを選び取り、自分の頭で考える事をやめずにいたいものです。


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