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「かーしーてー」と言われたら

「やーだーよー」

我が子がそう言ったら、どんな言葉をかけますか?


上の子が砂場で言われたとき、我が子の意見を尊重していました。なので、貸してと言った子に、
「ごめんね、貸せないんだ」
と私が伝えていました。

それは、周囲の保護者には奇異の目で見られていました。

普通は自分が我慢してでも
「いーいーよー!」
と笑顔で貸すべき
そういう暗黙のルールがあり、他の子たちはいやいやながらに貸したり、貸し渋ると親に説得されてなんとか貸したりしていました。中には笑顔ですぐに貸してくれる子もいました。

貸せたら褒められて、けど保護者の背中に隠れて自分のオモチャが使われているのをみている、というシーン。
心がギュッとなって、未だにその表情が忘れられません。

大手の幼児教育雑誌や映像教材でも、その傾向がありました。
その様にやり取りできない自分の子は、発達が遅れているのかしらと悩むことすらありました。



10年近く過ぎ、1番下の子を砂場に連れて行ったとき。

我が子が砂場で初対面の子に
「かーしーてー」
を言いました。すると相手の保護者さんは
「どうする?貸してあげる?」
と聞きます。
しばらくすると、大事そうに持ち上げて自分の背中に隠す仕草をし、貸したくないという意志を見せました。
すると保護者さんは
「そうか、まだ遊びたいんだね。わかった。他のなら貸せる?」
(本人頷く)
「ごめんね、これは貸せないんだ。こっちはどう?」


ストンと何かがはまった気がしました。

例え貸してと言われて断っても、非難されない。
自分の意志をのびのび表現できるって、大事なことだよな、と再確認しました。

その頃の映像教材や教育雑誌も変以前とは変わっていて、
「まだ使っているから、あとでね」
(使い終わったら)
「お待たせ。はい、どうぞ」
のやり取りが、追加で入ってました。

多様性や個性の尊重というと、大人や学齢期の問題として取り上げられます。
しかし本当は、本心を素直に出せている、幼児教育でこそ尊重されるべきです。

我慢して、周りに合わせるのが得意な日本人。その素地は幼少期にこそ養われています。

そこがここ数年変わっているとしたら、そこから育つ子供達は、もう私たちの知っている常識の範囲から飛び出しているはずです。今後は日本人のステレオタイプな性格も、どんどん多様化していくでしょう。

型にはめずのびのびと個が育つために、社会や教育はそれを受け入れていけるようにしないといけないですね。

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