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なんで希望が持てないのか

数か月たっても泣いてばかりのオレにまだ心配して付き合ってくれる人がひとりだけいます。知人というよりは、もう恩人です。

前々回、クリニックに行く際に連れて行ってくれた人です。

今でも、泣きながら電話してしまい迷惑をかけてしまうけど、いつか恩返しができたらと思いつつ、つい当たってしまうこともあります。

今日はもうダメかもしれない、と言ったら「なんで希望が持てないんだ」と言われました。

こんな状況で希望なんか持てるかよ、と思ったけど言われてみるとどうして希望が持てないんだろう。
冷静に考えてみたら、その答えは「苦しいから」とわかりました。

いろんな思い出が浮かんでくる、だけだったら別になんてことはない。
このままでは引きこもりでなってしまう、と思っても冷静に行動できればそうならない。
強迫観念が浮かんでも、それだけだったらほっておけばいい。
仕事ができない現状にあらためて気が付いても、だよね、と思うだけなら問題はない。

でもね、それらの思考には身体症状というか、もうストレートに言うと「苦しい」「不安」「怖い」「悲しい」という体と心の状態に結びつき、それが単純に辛いんですよね。

例えば「ポケモン」を思い出しても、何も嫌なことは起こらない。
自分も家族も全く接点がなかったから、何の情景も浮かばない。
情景が浮かばないから身体症状が何も起きない。

要するに、思い出が辛いんじゃなくて、それが引き起こす感情と身体症状が辛いんだ。

だからといって、その苦しみを消すことはできない。せいぜい抗不安薬でその場をしのぐくらいでしょう。
結局は慣れるしかないんだろうから、時間が薬とかいうんでしょうね。

オレは慣れるまで相当かかりそうな気がする。というか今は慣れるなんて全く思えない。慣れはしないんじゃないか、とさえ思ってる。

後悔は辛さに直結してしまうから、苦しみが直撃する。だから、後悔の思考はすぐに切り離す習慣をつけないととくに厳しい。

とくに悲しみにはまったく抵抗できないし。

この嫌な身体症状、苦しみがなければ希望も持てるのにね。

もうつらい体験したんだから、それで十分だろうよ、人生よぉ。


また愚痴ばっかりだ。

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