MBA卒業しましたレポート①:俺より強い奴に会いに行く(きっかけ~入学)
こんにちは。4月になったのでだいぶ暖かくなってきましたね(当社比)。
通勤ルートにある公園では絶賛花見中という感じで、「そういや花見って文化があったな…」とbeforeコロナの世界を思い出していました。
そんな中、Facebookで「卒業しました」投稿をたくさん見かけて、自分もそういえばこれでMBA卒業したんだなと思い出したので、MBA関連の所感を改めてまとめていこうと思います。
(ちょっと早く単位を取り終えていたので、3月末の感慨がほぼ無かった)
「今後MBAを取りたい」って人の参考にはあまりならないと思うけど。
逆に卒業した人がこれ読んでどう思うのかは、ちょっと知りたいかも。卒業したのになんか毎週レポート書いてるな……
きっかけ
はじめてMBAなるものを意識したのは29歳のとき。
2021年春ごろ、給与全額支給・学費会社持ちで国内MBAに行ける社内公募があって、部長に「こんな美味しい条件で勉強できるなら是非どうだ」と勧められたのが本当に最初のきっかけ。
部長は会社の制度に対してわりと冷徹に捉えていたタイプの方だったので、「施策に乗れというのは珍しいな」と思った記憶がある。
一方で、仕事では発言を全く外すことがなく、かつ人間味も備えていて、今でも社会人の先輩として尊敬しているくらいの方なので、「この人が言うんなら本当にチャンスなんだろうな」とも思ったことを覚えている。
その時は「いやその後退職しづらくなるんで…」と断った(部長は「そんなの職業選択の自由があるんだから気にすんな」と言ってはくれた)んですが、選択肢としてはアリだなと思いはじめた。結果的には本当に退職したので好判断だったと言える
それまで20代はがむしゃらに資格取得ばかりやってきた。
メジャーどころの資格はひととおり取得してしまったし、ちょっとハードル高い士業資格も取れてしまったので、この路線だともう大型士業資格しかやりようがない…けどそれ意味あるのか?と手詰まり感を感じていたところ。
数年かけて使うかどうかも分からない資格取るより、数年ちゃんと勉強したほうが人生トータルで見て良いのでは?と思うようになった。
昇級試験 = 足切り防衛戦を生き残るには
と、ここで終わっておけば美談だがそんなわけがない。
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2021年当時、2023年に昇級試験があることが分かっていた。
転職しましたレポート①をご覧いただいた方は薄々察していると思うが、一定の職階まではシャンシャン面接でみんな上がっていって、役職付くかどうかぐらいでじわじわ得体の知れない力で絞られていく人事制度である。
2023年の昇級は後者で、同期の3割くらいは昇級できずに終わる。いわば総合職最初のふるいがけである。
もちろん昇級は金にかかわるのでみんな必死だ。なにせもらえる金が100万/年は違う。
さて、ではどうやったら昇級試験を乗り切れるのか。
あまり細かくはさすがに書けないが、昇級は適性診断・論文・面接の3つで判定される。
「おいおいアウトプットは評価しないのか?」と思われた方、なんと前職はこの昇級で上がるまでは業績評価が(不祥事でもしない限り)全員一律なのだ。
したがって、予算の300%販売しようが、余人をもって代えがたい神対応のできるスタッフだろうが、そんなこたぁ昇級の前ではどうだっていいということになる。
となると、リーダーの適正だかなんだかか、作文を鍛えればいいのか?
実はそうでもない。
言ってみればなんてことはない、足切りされる3割に入らなければいいのだ。「コイツ大した特色ないし足切りして最悪辞められてもまぁいっか」と思わせなければいい。
逆に言えば「いや…この人落として辞められでもしたらその上司から猛抗議待ったなしでしょ……代替人員捻出するのも辛いし…さすがに切れんわ…」とプロテクト枠に入れば占めたものである。
こういった考えから、昇級試験でのKSF(=Key Success Factor)は「会社に『落としたら辞めそうだが、残せば役立つ(残さないと説明が面倒)』と思わせて、上司間の社内政治でプロテクトされやすくなること」と決め打っていた。
いちおう名誉挽回のために言っておくと、評価のために仕事をしているハズはなく、仕事の結果をどう捉えるかが評価なので、そんなものに気を揉まず自分なりにアウトプットは出していたつもりだが、こと昇級の観点においてはそれだけじゃ弱い感じがあった。
面接官は自分の担当業務に明るくないのだ。価値がそもそも分からん可能性がある。資格も同じことが言える。
そんな中でMBAという選択肢が出てきた。
コイツはうまく使えば、最強のプロテクトネタになるんじゃないか?
もう卒業したからぶっちゃけると、当初、そういうゲスイ打算はわりと真面目にあった。
綺麗ごとは金で買えるが、綺麗ごとで金は貰えない。
体験から科目受講へ
その後、6月くらいに体験講座に行ってきた。
正直あまり強い印象は受けなかったが、講師の方の話は的を得ているし、変な精神論や根性論では全くなかったため、悪くないなと思った記憶だけはある。
最短では7月からの講座に申し込むことができたものの、その年は社労士(8月試験)を受けようと半端に思って半端に勉強していたので、7月は見送って10月の科目受講に申し込んだ。社労士は年金制度が全く太刀打ちできませんでした
128,000円は正直ハードル高いなと思ったものの、人生1回くらいこういう買い物をしてみるのもいいだろうと思って参加した。
なんで科目受講に踏み切ったの?
最初は先述のとおりゲスい打算はあったが、それでも最後に大金突っ込んだのは、それはもう、タイトルどおりですよ。
俺より強い奴に会いに行く。
世界には自社以外の社会人のほうが圧倒的に多いわけで、そういった人達と出会うこと自体が面白そうだなと思っていた。
というのと、ちょうど異動して1年くらい経って、社内ではある程度やれるじゃ~ん、と良くない余裕を持ち始めたことを自覚していたので、社外で揉まれてきちんと襟を正す機会にできたらな、というのもあった。
実際、申し込む直前くらいになると、昇級のゲスイ打算はほとんど意識していなかった。
スキルが身について結果としてなんか話すの上手くなって有利になれば儲けものかな、くらいの感覚。それよりも俺は強い奴に会いたいんじゃ!という感じ。
一方で、この時点では経営にはあまり興味がなかった。
科目受講した講義も思考法を学ぶもので、これなら腐ることはなかろうという判断だった。
で、強い奴に出会えたの?
その点で言えば十分に満足できた。
もちろん、皆が年代も職種も違うので、全員が全員強い奴というわけではないが、すでに一芸を持っているか、あるいはなにかこの場から得てやろうという貪欲さが感じられて、とても充実した環境だったと今でも率直に思っている。
というか各々ジャンルが違うので、ランキング的に序列があるというよりは、各々の領域で「強い奴」なんだろうなぁ、という感じ。
そもそも「強い」なんて角度次第で様々に変わる指標である。
翻って自分はというと、妥協せずにやれるだけのことをやろうと思って臨んだし、それはそこそこ手応えはあったものの、「俺、別に強いとかそういうの無いよな……」という実感も同時に得てしまった。
平たく言うと「無難にはやってるけど何者かは良く分からん奴」みたいな。
「無知の知」とはこういうものか、とも思った記憶がある。
今思うと、周りの皆さんは「スキルを上げてこうしたい」というのを大なり小なり持っていたのに対して、自分はそういった将来の展望が何も無くて、「まぁとりあえずスキル上げとけ」くらいだったのが大きな違いだったのかもしれない。
そんなわけで正式入学へ
そんな中で12月に科目受講を終え、1月に入試のタイミングがあった。
どうしようかな、別に来年受けてもいいし、そこまでやらんでもいいんじゃないかとも思ったが、けっきょくこのタイミングで受験し、2022年から正式入学することにした。
理由①:人生のタイミング的にここしかない
当時29で、2022年入学時には30歳。卒業したら32歳になる。
私生活(家庭)をどうするかを考えるラストチャンスという時期でもあり、大学院に2年間突っ込むならここしかないとは思っていた。
わりと真面目に婚活するかMBA行くかの2択で迷っていたが、「婚活を後にはまだできるが、MBAを後にするのは無理でしょ」と思ったので、ここはMBA行っとくか、と。
理由②:講師陣の戦闘力は高そう
「強い奴に会いに行く」的観点からすると、講師陣の戦闘力はべらぼうに高そうだと感じていた。
少なくとも今の人生の延長線上ではなかなかお目にかかれないレベルのエッジの効いた方々であり、講師陣と相対するだけで「俺より強い奴に会いに行く」は間違いなく満たせるだろうと思った。
学ぶことは無限にあるだろうし、刺激というか、人生経験としても有意義だろう、というのは、今思えば一番の動機だったかもしれない。
ちなみに学校側からは「同期同士の人脈ができる」ことをめっちゃプッシュされた印象だったが、同期といっても言葉は悪いが闇鍋みたいなもんで、人脈は運次第だと思っていた(偶発性という意味では今でも思っている)。
いや、期待してなかったわけでも一匹狼になりたかったわけでもないですよ。ただ数百万と数年を投じて期待するには運の要素が強すぎるなと思って、そこまでの誘因にならなかったというだけで。
こんなこと書いたら怒る人もいるんだろうけど、各々数百万かける動機なんて違うに決まってるんだから、多様性のひとつと思ってお許しいただければ。
理由③:「経営者」「リーダー」なるものを真面目に考えたい
職務柄、経営者に対してネガティブなイメージがどうしてもあり、「リーダー」とか「経営者」とかっていうのはそんなに立派なものですか?という思いは、特に当時はとても強く持っていた。
一方で大学院は「リーダーが大事」と言う。イノベーションや、0から1を生み出す人が立派だと言う。
「本当にそうか?」というのが自分の本音だった。
今の世の中が本当に必要としているのはリーダーなのか?
そんなことを考えていたときに、ふと好きな作品の一節を思い出した。
どんな組織も、最後は末端の「名も無き者たち」が実務をしてこそ回る。
その立役者が「敗者」になっている現状のほうがよほどダメで、そっちに目を向けろよリーダーめ、と入試論文を書いているうちにふつふつと謎の怒りが湧いてきた。
よし、じゃあ入学して卒業してもなお同じ気持ちか確かめようじゃないか。
ついでにひとつ大暴れして、自称リーダーの皆さんに自分のような奴がインパクトのひとつでも与えられれば痛快じゃん。
なんかもう、入試受けるかどうかを考える直前の時期は頭がおかしくなっていたと今でも思うが、そんな感じでなぜか勢いづいてしまったので、もう勢いで行っとけ行っとけ、というのは正直あった。
おわりに
そんなわけで、「社内政治の道具として利用させてもらう」から「俺より強い奴に会いに行く」、果ては「俺より強い奴を蹴り倒す」になって入学しましたとさ。
しかし改めて振り返ると、たかが入学するまでの間でも色々考えることや意思決定したことがあったんだな、と謎の感動を覚えています。
「とりあえずやったら何か起きる」というのは真理で、後は起きたことを前向きに捉えるマインドがあれば人生そこそこやっていける、って気がする。
昔はこういう楽観マインド嫌いだったハズなんですけど、これも「年の功」ですかね。
一方で、こんなことは財力と時間があるからできるんでしょ、というのも厳然たる事実で、例えば早くに結婚していたり、収入が十分でなかったりしたら、こんな選択肢はそもそも取れなかっただろう。
そういう点も含めて巡り合わせというか、恵まれてるとも思ったり。
入学までで4,700字も使ってしまったので、入学後の話はまた別の機会に。文字で可視化してまとめるのはやっぱり脳にいいですね。
では今週も、よい1週間をお過ごしください!(〆の語彙力不足)
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