転職しましたレポート①:「総合職」=「社内傭兵」

「総合職」とは、つまるところ「社内傭兵」のことである。

「総合職」とは

「総合職」とはなにか、wikipediaにはこう書いてある。

総合職は、管理職及び将来管理職となることを期待された幹部候補の正社員である。役務は非定型的であり、企業が享受する具体的な利益(主に金銭面)を考慮した上で名目上はあらゆる役務に臨機応変に対応する実務能力が要求されるとされている。

出典:wikipedia

みなさんはこれを読んでどう感じただろうか。
けっこうエグイこと書いてあるな、というのが自分の感想である。

平たく書くとこんな感じである。

総合職は、管理職として責任を負わせるスケープゴート予備軍として雇われる正社員である。個人の専門性なぞ知ったことではないという理念のもと、とりあえず会社が利益を出せるよう、空気を読んで森羅万象に対応させられる存在である。

これはさすがにネタ半分で悪意を持って穿って書いているが、そこまで間違った訳し方もしていないと思う。

いちおう擁護しておくと、良い面もいっぱいある。
色々な経験ができるというのはそれはそれで人生楽しくなる(かもしれない)し、嫌なところに当たっても3年で自動チェンジできるというのは精神衛生上も悪くない。
「自分のやりたいことなんてない」って人が社会貢献するのに打ってつけである。おまけに一定の処遇も約束されている。

ただ、(特に新卒市場では)負の面に着目されてなさすぎるとは思う。

なんで総合職になったの?

自分が就職活動をやっているとき、こんなことは当然知らなかった。
要は3年に1回くらい異動する、そんなのは大手企業ならどこも当たり前でしょ~という理解だったし、むしろ異動がないのはリスクとも思っていた(これはこれで間違ってないとは思う)。
一生同じ仕事するのは士業とか医者とか資格に紐づく人達、という感覚。

そんな感じで就職活動をやって、結果として、たまたま総合職として縁があった企業に総合職として入った。
したがって、別に「総合職」という働き方になんの思いもなかった。

これもちょっとした縁だが、大学生向けに自身のキャリアについて話す機会が定期的にあり、その時には「やりたいことが決まってないから、色々やれて視野が広がりそうな企業に総合職で入った」と説明している。
これは断じて嘘ではないが、本心でもない気はしている。

本心は世間体だ。
やりたいことが無いけど、せめて食べるに困らず、親や友人に恥ずかしくない程度の世間体は確保したいな、というのが就活してたときの本心だった。

もしかしたら今ちょうど就活をしている人がいるかもしれないので言っておくと、これは冗談抜きで重要な要素だから軽視しない方がいい。
字面ではいかにもゲスイし、これが目的化するのはさすがにどうかと思うが、自己肯定感をきっちり確保しておくのも人生とっても重要だ。

ただ今思えば、もっと「将来の夢」とまでは言わないけど、やりたいこととかなりたいものとか、将来像を真面目に考えれば良かったのかなと思うところはある。
自分のやりたいことや趣味を持ってる人がうらやましいな、と30年近く思い続けてきたけど、けっきょく探してトライすることを怠っているからいつまで経っても変わらないのかな、と最近悟りつつもある。

総合職は失敗だった?

そんなわけで、いかにもな日本的企業で、総合職という名の社内傭兵を約10年やった。
改めて振り返って、社内傭兵が嫌だったかというと、実のところそうでもなかったと思う。

もちろん負の面を感じた、というのは転職理由としてとても大きい。
なんせ3,4年フルコミットして、スキルも磨いて「この領域なら勝負できるかな」と思ったところで外されるのである。
色々やれる代わりに、深掘りすることはできず、時間が経つほど会社への依存度が高まらざるを得ない。なんなら社員のキャリアは会社が都合よく勝手に決める。
これが総合職のリスクだと思う。

一方で、どんな場所でも適応し、手を変え品を変え色々なことをやりつつ最終的になんか役に立ってる、というのはけっこうカッコイイことだし、それはそれでプロフェッショナルだと今でも思っている。
実際、そういう働き方でなければ得られなかっただろう着想に何度も助けられてきているし、単純に楽しかった。
よって、10年前の就活時の自分を恨んではいないし、ミスでもなかったとも思う。

じゃあなんで総合職を辞めたのさ

たぶん、自分が真に限界を感じたのは、

負けることが分かっていて、勝とうともしていないのに「勝とうとしている雰囲気を出す」ことに全力を注ぐ組織で戦ってても、自分が楽しくない

ということを実感してしまったからだと思う。

これは洒落にならないほど精神に来る。
なんせ総合職というのは自身の専門性を犠牲にして会社にフルコミットしているのに、その会社がお茶濁しを必死になってやっているのだ。
生殺しもいいところである。

あまり書きすぎると前職批判になってしまうが、たぶん皆さんが想像しているよりはるかにエグイ状態だった。

みんなやる意味が無いと分かっているのに、なんか変革した感を出すためだけに経営層の声のでかい奴が一存で組織改正をやって、それで起きた歪みを誰も処理しない。
何十億という投資案件なのにIRRの裏付けもないまま意思決定だけなされ、決まった後から投資採算性を弾き始める。

「冗談でしょ?」と思うかもしれないが、本当にこんなのがまかり通っていた。
どんな企業もそんなもんかもしれないけど。
決定打となった話はさすがに守秘義務もあって書けないものの、上記でまだ軽いレベルだとご理解をいただければ幸いである。

さらに悪いことに、自分がいた組織はそこそこ安定が見込める業界だった。
もちろん組織が負け始めれば実際にボーナスとかは減るハズだが、それも正直微々たる違いで、ほとんど当たり前のようにもらえるようなものだった。
組織の勝利に本気でコミットしなくても、自分の仕事を一定程度やったと主張できる程度に果たせば、報酬はもらえてしまうのだ。
そういう意味でも、やはり「兵隊」ではなく「社内傭兵」がしっくり来る。

ただし、いくら金が溜まろうが時間と体力だけはどんどん削られていく。
延々と敗戦処理を続けていても、いつ攻めに転じるのか、そもそもそんな時が来るのかも分からない。
どれだけ広く深くスキルを磨いたところで、攻めに向かうことは死ぬまで無いかもしれないのだ。

君が(人生を捧げて)会社を変えるんだ!

「組織を攻めに向かわせる指示ができる程度に偉くなればいいじゃん、そのための総合職」というのは正論だろう。
ただし、それを実現するためには、少なくともあと20年はかかる。

というか20年かかったって、そもそも土俵に立てるほど出世できるかどうかは、もはや要職者との人間関係と昇級試験での面接官との相性くらいしか左右されず、つまりなのだ。
人生かけた大博打なのは、こういう絵に描いた日本企業的な組織にいたところで同じだ。

辞める直前に、自身の同期が人事制度の改革だとか企業理念の再浸透とか、組織を変える活動をがんばってやっていた。それ自体は正当なあり方であり、心からリスペクトしている。
ただ、その活動の時間軸を一体どう考えているんだろうな、とは思う。

これらの改革活動はやっててテンションが上がるし、前向きでとても良い活動だという点に異論はないだろう。
だが、もし制度ができても、それを運用する人が変わらなければ使いこなせない。HRMを考える上でよくある話だ。
そして使いこなして機能しているとようやく言えるのは、それこそ20年後の話だったりする。ましてや企業理念なんて人が入れ替わるくらいのスパンじゃないともはや無理である。
会社の仕組みや文化を作るというのは、スタートアップのような白紙の組織なら即効性も重要性も高いと思うが、組織が古く大きくなるほどに時間軸が延びてしまい、結果、やった人自身には直接的な恩恵がなく、「次世代への犠牲」になる可能性が極めて高い大博打である。

自分にそこまでやれる忠誠心があるかというと、そこはやっぱり「傭兵」だ。
同期たちがそこまで腹をくくって人生かけているのか「大きな仕事に携わっている感覚に酔って麻痺させている」のかは、今となっては知る由もない。

私も人でなしではないので、前者だと願う気持ちが10%くらいある。
残りの90%は「そこまで気にしてあげる義理はない」である。だって傭兵だもの。

少なくとも自分は、会社に人生を捧げる気にはなれない。
そんな大した人間ではないが、少なくとも会社に捧げてやるほど安く買い叩かれたくはないねと思ってしまった。

そうは言うけどなかなか踏み出せないよね

現にそうして20代を使い果たしてしまって、このまま40代、50代になったときに「後悔してるけど今更もうどうしようもない」とメンタルダウンしている姿が簡単に想像できてしまった。

40代、50代で「運が悪かった」とやり場のない後悔で心を病むよりも、自身の能力で真っ向勝負して、負けたら負けたで自身の腕の無さを恨むほうがはるかに腹落ちできると心底思ったし、今でも思っている。

ただ、20代のときには安定収入の魅力に抗えなくて踏み切れなかった。
30代になって、正直なところタイムリミット感があったのも否めない。
結果としては最適なタイミングでいいオファーが来たからよかったものの、こればかりは本当に運もあるとしか言いようがない。

忠告しておくぞ。人は苦痛には耐えられるが、幸福には逆らえん

出典:テイルズオブベルセリア

家族は人質じゃないんだよ

社内で退職挨拶していたときに一番言われたのは
「自分も家族がいなかったらな~」「キミくらいの年齢だったらな~」である。
恐らくここまで読んでいただいた皆さんの予想通りではないだろうか。

年齢はともかく、私は単身で扶養家族がいるわけではないので、家族を第一にする気持ちはどうやっても真には理解できないと思うし、それはそれでひとつの生き方で、腹をくくっているのは心よりリスペクトしている。

ただ、自分がそうしたいかというのは別問題だ。
私は会社に家族を人質に取られているかのような面持ちで生きたくはないし、そもそもそんな風に思わなきゃ家庭を持てないのであれば、そもそも自分に家庭を持つ資格なぞ無いとすら思う。

自分の好きな人や子どもに対して「お前らを養うために毎日苦行してやっているんだぜ」なんて歪んだ思いを抱きながら生きることの何が立派なのか。

家族は決して免罪符じゃあないでしょ。

もちろんこれはただのカッコつけなので、他の人にこんな考えを押し付ける気はない。
けれども、自分自身は心底こう思う以上、その考えを歪めて無理やり生きたところで、それこそどこかでメンタルダウンすると確信していた。

その時に家族がいたら悲惨もいいところでしょ。

社内傭兵からただの傭兵に

そんなこんなで、社内傭兵を卒業してどうなったかというと、現在はただの傭兵になったというのがしっくり来る。
けっきょく傭兵なのは変わらない。

ひとつ面白そうだなと思ったのは、組織がまさに発展途上だというタイミングで関われるところだった。
これなら色々試行錯誤しながら腕を磨けるし、裁量もある程度あるだろう。

一方で、自分のどうにもならないところで組織が壊れるリスクもあるし、そうなったらそうなったで知ったことではないとドライに思っている。

私は代表取締役ではないのだ。
視座を高く持つことは人生の幅を広げる意味で有用とは思うが、代表取締役が悩むべき経営課題を代わりに引き取る必要はない。
そんなことは社長が悩んでくれればいいのさ。そのための社長である。

プロフィールのところにもちょっと書いてあるが、自分はもうちょっと前向きにみんな社会人生活が送れればみんなハッピーなのに、と思っていて、それが大なり小なり実現できればまぁいっか、と思っている。
組織も自分のやってる領域もその手段に過ぎないので、そりゃあ特にこだわりは無いわな。
「専門性を高めたい」という点に嘘はないものの、なんならすでに違う領域からのアプローチのほうがいいのでは?と思ってもいて、そちらも裏でひっそり知見を深めたりしている。

こういう「自分の理想像」ベースで働き方を考えられるのは、社内傭兵をやめたからこそできることと言える。
少なくとも働くことに前向きになれるのはとても大きい。

いちおう仁義もあるんだぜ

そうは言うけど、なんだかんだやっぱり仁義もあったりする。
一言でいうとこんな感じだ。

弱ェ弱ェそのまんまでいろって信じられッてるより、お前は強いから必要だって言われる方につきたくなるに決まってんだろッがよ

出典:Re:ゼロから始める異世界生活

おわりに

転職レポートというか退職レポートになってしまったし、なんなら5千字も書いてしまった。
初回から前途多難だなあ。
まぁいっか。

ただ、これも本心ですが、フルコミットしてもいいとか、そこまで言わずともまぁ数十年いてもいいかな、という組織に出会えているのであれば、それは是非大事になさったほうがいいと心底思う。

それは自助努力だけでは決して得られないものであって、人生で何回来るか分からないレベルの引きだ。

少なくとも自分はうらやましい。心底。

次回どうするかな……もうちょっと簡潔にはしたいけど、また切り口考えなきゃな……。

たぶん来週はもっと不真面目なこと書いてると思います。
ハードルは隙あらば下げておかねば。


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