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褒めてあげたい

私は北海道に住んでいまして、札幌郊外に住んでいます。電車で一時間ほどで札幌に行くことができるところで、私の町は自然に溢れています。家もわりと自然に囲まれていて、自分はこんな周りに大自然があるのに、その自然の恩寵を受けないで都市部都市部に(成果を出そうという志向)行っていたのか、と思うと少しゾッとします。大切なものに気づけて、よかったです。

ブログの書き方がここ数日で変化しまして、今までは世界に私が合わせに行っていたんですけど、私のそのままを発信することによって、それを世界から見つけてもらおう、という思考になりました。この思考に至るまでに紆余曲折あったのですが、いい意味で、「ああ何も頑張らなくてよかったんだなぁ..,」と感慨に浸っているところです。自分が感じたことをそのまま書けば、案外人はそれを見てくれているのだ、いやもっと言えば、その人のそのままを人は見たいのだ、ということを発見しました。これは大きな発見でした。しかし、ここに至るまでの苦労はその苦労があったからこそで、私は過去を素直に褒めてあげようと思います。

今はカフェインレスコーヒーを飲みながら朝焼けを見ているのですが、そばには自然が繁茂していて、こんな贅沢な宝のような環境が身近にあったのだ、という気がします。今までは様々な理由で自分が生きていなかった、ので、側にあるもののよさにも気づけなかったんですね。

この前1人でカラオケに行ったら、受付をしてくれたのは60代くらいのおばちゃんだったのですが、その方が「夏休みはどこかに行かれる予定はありますか」と優しく聞いてくれました。私は彼女とのデートもありますがそれもいつもの札幌なので、特に何か私にとって変わった予定があるかと聞かれたらないなと思いました。ただ夏休みはとにかくゆっくりしようということを決めていたので、「外出というわけではないのですが、この日本のアニメや漫画など、素晴らしい作品たちにどっぷり浸かりたいと思っています」と答えたら、その話の途中で私の言葉を理解してくれたおばちゃんがうんうんと頷いて、「楽しみましょう♪」と言ってくれました。その日はうつで大学をサボってカラオケに行ったのですが、カラオケに行ってよかった、と心から思いました。

それと同じく心が温まったのが、その私の札幌郊外の町にカフェがあって、そこが行きつけのカフェなのですが、何度も登場おなじみの除雪作業員をやっていたアニメの内臓の描写にこだわりがある友人と行ってお会計を頼んだら、店員さんが手袋を出してきて、「この前お忘れになっていたと思うのですけれど..」と、私のいつの日か置き忘れていって手袋を返してくれました。手袋の時期だからもう3ヶ月前くらいになるのに、ずっと取っておいてくれたことがまず嬉しかったですし、また何より嬉しかったのが「また来られると思って」と、その店員さんが言ったことでした。私は何度もそのカフェに行ってるので顔を覚えてもらっている自覚はありましたが、そのように常連として認識してくれているのが、なんだか嬉しかったのです。「そんな前のものを、わざわざありがとうございます」驚きながらお礼を言って、素晴らしいデザートへの対価を払い、店を出ました。

夏の本番が、これから来るようですが、ここまでは私的にはギアが一段下でした。詳しくいうとまだ涼しかった。おそらく7月下旬にかけて、一気に夏が来ることを予想します。例年記録的な暑さをしていますが、今年はなんだかしっかり覚悟ができている気がします。人生の夏休みと言われる大学生になって、本当に夏休みが来るのですから、なんだか二重の意味で青春です。やりたいことはいっぱいあります。大学の友人がスプラトゥーンが好きなので、一緒にマッチしたいですし、最近カラオケにハマっているので高得点を取りたいです。彼女とのデートは昨年は体調不良でうまく楽しめなかったことがあるので少し不安ですが、もう今はだいぶ鬱がよくなったのでまた何か違ったデートになるかな、と思います。そして先ほども言ったように読書やアニメなどを見てどっぷりと日本の思想に浸かりたいです。私はこんな夏休みがあと4回もあるんだと思うと、嬉しくて仕方なくなります。

今年の4月から教師になって地方に赴任していた友人が帰ってくるので、一緒にお茶でもしようかなと思っています。太鼓の達人で十段を取っているのも彼です。ちなみに私は四段です。少し詳しく説明すると、太鼓の達人には段位道場というものがあって、そこでの課題曲に合格すると段位をもらえます。当然段位が上がるほど曲は至難になっていき、合格基準も厳しいものとなります。ちなみに今日、8年ぶり?の太鼓の達人の世界大会がYouTubeで配信されるようなので、ご興味のある方は見られてみてください。13時あたりからの開始だったはずです。

その友人は教師になったのですが、地方に赴任して北海道のかなり上の方の島で先生をしています。その友人は音楽の先生なのですが、人手不足などもあり数学や英語も教えているようです。私が今バイトしている塾も、その友人の誘いで始めました。

その友人は気さくなタイプで、だいたい誰とでもうぇ〜いができるタイプです。思い返せば小学生くらいの頃からおっとりしているタイプでしたが、そのおっとりさで人を信じることができるから、社会人がやれているんだと私には感じられます。ずっと前はその友人の人を信じる力というか、オープンなところに私は引け目を感じてしまって、詳しく言うと「なんだかステージが違う」感を感じてしまっていたのですが、今は対等に付き合えてる気がします。それは自分も色々な経験をしたからです。経験をした人は、逆説的ですがある意味自分への拘りがなくなるのだと思います。たぶん、「なんとかなる」ということを体験として知れてるからですね。逆説的だけど、経験をした人は物事にこだわらなくなると思うのです。

塾で男の子2人を担当しているのですが、どちらの子も勉強が好きというタイプではなく、塾に行くからやっている、という感じです。こんなことを言ったら塾長に怒られちゃいますが、私は正味成績なんてどうでもいいと思ってるんですよね。本当の意味で大切なのは、その子たちが胸を輝かせて取り組んでいる出来事だと思います。2人とも面白い子たちで、1人は陸上部に力を入れていて、もう1人は家庭菜園を楽しんでるみたいです(笑)ほんとうに面白くて、私はその話を聞くために塾に行っているまであります。そしてまた面白いのが塾長さんが30代のママさんなのですが、先生なので真面目で、しっかり勉強を教えるところです。そんなの当たり前でしょと言われると思いますが、陸上部の男の子が「うわぁ...」みたいな感じで参考書に疲れて宙を眺めていて、家庭菜園の子が「誰だこんな問題考えたやつ‼︎」と唸って、先生が真面目に教えている、それを私が傍観して笑っている、この風景が、画角が、なんとも面白いのです。私はいい経験をできていると思います。

この前幼馴染の女子が、グローブを借りたいんだ(私が野球部だったことを知っているので)ということでうちに来ました。その人も友人ですが、その人は理学療法の専門学校に行って、去年国家試験がダメだったみたいで、今は臨時採用的な立場で病院で働いてるようなのです。そしてまた今年試験を受けるということです。その人が「1年遅れちゃって、周りの人はみんな受かってるのに、自分だけ置いてかれるような感じで辛い」と言っていて、少し悩んでいるようでした。私もそのドロップアウト的な気持ちはプロレベルで知っているので納得しましたが、納得してるからこそ、「それ四年遅れの俺の前で言うかね。」と言いました。そしたら彼女は笑ってました。最終的には楽になった!とか言って帰っていきました。😊

私的に感じたところを述べますと、私の立場って、多くの人を救えるんじゃね?というのが発見でした。それ俺の前で言うかね?この一言でみんなケラケラ笑い出すので、私も楽しくなっちゃいました。まあこれは自分にプライドがないからできることなのですが、正確に言えば確固としたプライドを確立しているからできる芸当ではあるのですが、私は一つ人を救えるということに気がつきました。

妹が金縛りにあってなかなか眠れないということを言っていて、体調が優れないようでした。私的にはピンと来るものがあって、明らかに"忙しすぎ"だったんじゃないかな、なんて思ったので、自分にお金を使ってあげたら?的なことを、なるべくアドバイスにならないような、友達ノリ的な雰囲気で言いました。妹は私と同じく今年大学一年生になって、英語学科に入ったので、TOEICとかそういう試験に忙しいようです。バイトも掛け持ちしているし、これはもう忙しすぎたんだろう、とピンときました。細かい原理はわかりませんが、金縛りという体が縛られる症状は、どこかこの現実世界において縛りを、つまり負荷をかけられている、とも汲み取れると思ったのです。だから本当の意味でそれを解決するのは、自分のためにお金を使ってあげること。自分の時間をとってあげることです。だってなぜなら、そもそも今未来を犠牲にしてまで頑張っているのは、案外、そういう自分のための時間を取ること、ささやかで幸福な日常を送ること、そのことに他ならないと思うからです。目的をはっきりさせることは、大事だと思います。あまりにも忙しい日々を生きているのが大学生のようです。本当に、あまりにも忙しい。そのせわしなさを続けていってそのついでに結婚なんかをしてしまうと、なんだか自分を育ててないのに子どもを育てる、みたいなことになってしまう気がするのです。(うまくやっていける人もあると思いますが)だからこそ、私たちはもう少し暇な時間、というものを大切にしてみたいです。

朝焼けが終わって、日が昇ってきました。今日は先ほど行った行きつけのカフェに行こうと思います。お店で飲むコーヒーは美味しいんですよね。それかカラオケにでも行こうかな。町を散歩する、というのでもいい気がします。かなり大きな意味で平和な日常に抜け出たような気がします。こんなに楽に生きていい、それが本来人間には許されていたんだと思えたとき、自分を取り戻した、否それは生まれ直した、ということなのかもしれません。

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