仕事をしながら治療して、ようやくうつ病が治った4(寛解)

3年ぶりに親子マラソンに出てきました。コロナ禍ということもあり、参加者数はちょっと少なかったですが大会の中で走るのはモチベーションがあがります。小学生の子供のペースにあわせて数キロのコースでしたが無事完走できました。走った後の充実感というのも大会ならではの感覚ではないでしょうか。

今日は寛解したころを振り返りたいと思います。
病院の先生にはよく「仕事の頭はいつもどるのでしょうか?」と質問していました。先生はよく「ごめんなさい、仕事の高度な頭は戻るまでに時間がかかるんです。」と答えていたと思います。結果的に治療を開始して寛解と言われるまで半年ほどかかりました。
うつ病のパンフレットには抗うつ剤を飲み始めてから効き目が出るまでに2週間で、寛解までさらに2週間のグラフみたいなものをよく見ましたが、数週間で寛解するはあんまりよその人の事例では聞いたことがないです。症状が軽くて治療を開始するのが早かった人のことでしょうか。
2021年秋ごろから週末よくサイクリングをしていた話は前回書きましたが、仕事はというとまだなんかいまいちだった気がします。メールをなんとか読めて、高度なことはあんまり頭が働かずに1日を時間の流れるままに過ごす、といった日々が続いていました。仕事をこなしているつもりでも、見えないトンネルの中をさまようように粛々と1日を過ごすのはちょっと苦痛だったかもしれません。明日はよくなっているだろうか、仕事をこなすことができなくなってはいまいか、などと心配している日々です。昨年は積極的に有給を取れなかったと思います。

それが昨年の暮れごろから仕事の頭も戻り始めて、以前できていたことが戻ってきたという実感です。仕事がこなせるようになるとちょっと安心感が出てきます。それで以前できていた仕事の感覚をちょっとずつ取り戻していったと思います。
治療自体は抗うつ剤のサインバルタ(デュロキセチン)をMAXの60mg飲みながら、朝は6時半に起床して散歩して、日中は仕事して、夜はちょっと近くのジムでランニングして、ととにかく規則的な生活を続けていました。というか不規則なリズムを明示的に避けていたのかもしれません。リズムが狂うのが怖かった、という感情です。
クリスマスも近いころに月1回の通院で先生に言ったのが「ようやく仕事の感覚が戻ってきました。」という言葉で、帰ってきた言葉が「寛解と言ってもいいでしょう。」という一言でした。薬も治療のひとつですが、この通院とお医者さんとの会話も、いまから思えば重要な治療の1つだった気がします。お医者さんにお墨付きをもらって自分は少しづつよくなっているんだ、と気持ちにポジティブな感情が働きかけていると思います。

そうこうしているうちに年末年始を迎え、仕事においてまたひとつターニングポイントがありました。また、生活の中でも夢中になれるTVドラマを見つけました。底辺からの脱却が見えてきたのが真冬~春にかけてです。次回はそのあたりを振り返ってみたいと思います。


PS. 家族とは、仕事とは、親とは、子供とは、それぞれどんな存在で、どんな思いで関わっていけばいいのか、大切なものは何か、など小説を通して考えるきっかけになればいいと思い描いてみました。
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予定 第2話(仮題ーサービスの転機と孤独の戦い)

予定 第3話(仮題ー異変)

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