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ハッピーエンドであってほしい(エッセイ)

私は悲しく終わる作品があまり得意ではない。
唯一悲しい終わり方でも好きで何度も見ているのは「タイタニック」くらいだ。
何で苦手か。
それは、悲しい作品は見終わったあともなんだか悲しい余韻が残るだけで、ずっと心が悲しみで一杯になってしまう。そしてついつい、考えてしまう。
私だったらどんな結末にするのだろうか、と。
ハッピーエンドで終わる作品とバッドエンドで終わる作品があって、どちらが見終わったあとも余韻を感じるかと言われれば、それは自分の好み次第で感じ方は変わってしまうと思うけれど、もしかしたらバッドエンドの方なのかな…なんてことも思ってしまう。

それでも、バッドエンドの作品を見る度に、私は必ずといっていいほど思うことがある。
せめて、物語という空想の中くらい、登場人物全員とはいわなくても、皆が幸せになって欲しい。
幸せでいてほしいと。
現実という「今」はどちらかといえば悲しいこと、苦しいことばかりが心の何処かに引っかかっている日々が少し多いと感じる中で、どうしてまた苦しくて悲しいのもを見なければいけないの?と思ってしまう。
もちろん、自分から遠ざければ良いことなのだが。
苦しく、バッドエンドの中にもそこに救いや希望、時には励まされることもあるだろう。
そしてそういう作品を愛する人も沢山いる。こういう作品、物語が私には向いてない。それだけのこと。

けれど、どうか作品の中だけでもいいからハッピーエンドであって欲しい。
考え方が甘くても、ぬるいと思われても、登場人物達が物語の終わりに笑顔であって欲しい。

そう、願わずにはいられない私なのだった。

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