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私の記憶は、ドライブサウンド(エッセイ)

最果タヒさんのエッセイ『君の言い訳は最高の芸術』の中で、宇多田ヒカルさんの事を書かれたお話がある。

その中で最果タヒさんは、宇多田ヒカルさんの曲について、こんな風に綴っている。

聴く人それぞれの個人的な体験として彼女の歌は聴かれ、だからこそ、聴く人によってその記憶はまったく違っている。

『君の言い訳は最高の芸術 宇多田ヒカルのこと』より

最果タヒさんの場合は、そのとき見ていた運動靴だとかランドセルとともに宇多田ヒカルさんは、記憶されたそうだ。

このエッセイを読んだ私は、最果タヒさんの書いてある事とマッチしているのか分からないが、フッと頭に思い出された宇多田さんの曲は、『父の運転する車の車内で、よく聞いていたドライブサウンド』という記憶がとても強い。

私がまだ幼い頃、宇多田さんは現れ、大ブームとなった。幼かった私にはその凄さが良く分かっておらず、当時は歌手という言葉の意味も分かってはいなかった様に思う。

それでも父の車に乗れば宇多田さんのアルバムが自然と流れてきて、それはラジオからだったかもしれないし、CDからだったかもしれない。

それでも、頻繁に聞いていた訳でもないと思うし、毎日の様に車に乗っていた訳でも無い。

けれどそれは、強い記憶となって断片的に覚えているのだから、何だか不思議だと思う。

宇多田さんの曲を聞きながら、何処に向かおうとしていたのか…そんな記憶は抜け落ちているクセに、聞いていたという記憶だけは強く印象に残っている。

もしかしたら…こういうのを『音楽の力』というのかもしれない。

最果タヒさんの本を読みながら、少しだけ昔の事を思い出し、宇多田さんの曲を聞きながら、幼い頃の私が父の車に乗っていた記憶を思い出す。

最果タヒさんの本を通して、私の中の片隅に少し眠っていた記憶が、静かに顔を覗かせたのは間違いない。


☆追伸☆
昨日、noteを始めてから1年が経ちました。嬉しいような、あっという間だった様な……

私のnoteを読んで下さっている皆さんもありがとうございます(^^)

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