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わからない。で、自分をおさめている(エッセイ)

最近『性別って何なんだろう』『男とか女とか、何なんだろう』そんな事を思う事が増えてきた。

昔の私は、昔の価値観や周りを囲んでいたものは、きっと、それしかない。と答えの様にあったから、疑問など一切思わずに私は過ごしてきていた。

けれど、最近は違う。

私はイマイチ…というか、簡単に言葉に出すには抵抗がある『多能性』について思い、考えたり、感じたりする機会が増えてきた。

抵抗がある。と言ったのは『多様性』という言葉が持っている意味や、理解を私自身がまだ熟知していない為、簡単には言えない。という意味でそう書いた。

その言葉を簡単に出し、使い過ぎてしまったら、その言葉の持つ力や意味が…何となく…軽くなって、ない混ぜになってしまいそうな感覚が、私にはどうしてもある。

だから、慎重に、丁寧に…そして、繊細にならなければと感じている。

それが出来るかどうか…今の私には分からないが、これが私なりの『考え』で、『寄り添い』方なのかもしれない。

私は、戸惑っているのだろうか…。

出来た人間ではない私。

人間の汚くて、残酷な部分も、私は持ち合わせている。

考えても考えても、私の理解力が追い付かず、自分の中での落とし込みや、答えが出ず、納得が出来ずにモヤモヤする事もある。

そんな私ではあるが、最近少し変えてみた事があり、それが中々私の中では合っているみたいだ。

それは『わからない』と言って、取り敢えずその場の自分を納得させること。

本当は落とし所を見つけたい自分が居る。

答えの知りたい自分が居る。

けれど、わからないものは、わからないから……。

歯痒いけれど……それが『今』だから。

そんな時に唱える『わからない』

それで、納得してね。と、自分で自分に言っている。



今はまだ、『グレー』『わからない』で仕方ない………と。



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