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私の中の武勇伝(エッセイ)

「我ながらあの時は凄かった」

私には、そんな武勇伝がある。

私は中学生の頃、ソフトボール部に入っていた。人数は私の学年で10人。
一人休んだところで試合は出来るものの、即戦力として考えるならば、いつも試合に出ていたレギュラーは、出来る限り体調には気を付けなければいけなかった。

けれど、私は風邪をひいた。
セキがゴホゴホ、ゴホゴホ出る。

けれど週末には練習試合が控えている。
けれど何時になってもセキは止まらない。

ゴホゴホ、ゴホゴホ。
ついには週末になっても間に合わなかった。私は練習試合当日。
体が何だかだるかった。

「………試合、休みたい……」
そう言ったものの、
「人数少ないのだから、参加しなきゃ」
と、父に言われた気がする。

私はこの時体温計を使って熱も経っておらず、セキだけ出ている状況だと思っていた。

半ば根性論の様だが、私はそのまま部活を休まず練習試合をしに行ったのだ。

体はきっとだるかった。
けれど、アップをしてノックをして、と普段と変わらない部活ルーティンをしていく。私のポジションはキャッチャーで打順は3番。
クリーンナップの打順にいるのだから役目を果たさなければと思っていた。

この時、私は発熱していた。
自覚はないまま試合が始まり、変に力が入らなかったせいか、私はポカーン、ポカーンと打率が好調だった。

そして守備をして、出番まで時間がある時は上着を着てマスクをして座り、ゴホゴホしていた。

無事に練習試合をやり遂げ家に帰宅すると、案の定の高熱。
食欲はなく、すぐに当番医の病院へ。

診断結果は言わずもがな『インフルエンザ』だった。

それからの私は5日学校を休んだ。私はこの時中学2年生。3月にインフルエンザにかかった為、終業式には出られず、母に荷物を持ってきてもらい、そのまま春休みに。

そして周りに移さなかったかと言われれば、正確には二人に移してしまった。
けれど、ほとんどの同じ部活の子達に移すことはなかった。

結局はインフルエンザのせいで練習試合を休むことになってしまったのだが、私が居なくても試合は出来た。

そりゃ、そうである。

けれど、この時の私の経験はちょっとした私の武勇伝で自虐的な思い出になっていることは言うまでもない。

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