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【エッセイ】同窓会-1

世の中には2種類の人間がいる。

同窓会に呼ばれる人間と呼ばれない人間の2種類である。

私は間違いなく後者に当てはまる。

40年間で一度も同窓会のお知らせを受け取ったこともなく、参加した経験もない。
強がりではないが、現在、未来だけを意識して日々生きている。
過去に一切興味を持つことができない私にとって同窓会はUFOやツチノコと同じく未確認の産物であり、その存在を未だに確認できていないのである。

季節外れの暖かさにウトウトとソファーから転げ落ちそうになっていた日曜日の午後、その瞬間は突然訪れた。

友人Aからの着信に目を覚ます。
2度目の成人式を迎えるに同窓会を一度もやってないのはおかしい。
誰かが動かないと一生開催されないままではないか。
一緒に幹事をやって俺達で同窓会を企画しないかとの誘いの連絡であった。

過去に一切興味のない私は、脳みそを競輪選手が漕ぐ自転車のタイヤ並みにフル回転させて、高校時代の記憶を引っ張りだした。
Aは一軍の中の一軍スター選手。
当時学校で知らない人はいない超人気物。
一方、私は育成契約もままならぬプロ入りを目指す独立リーグでレギュラーを目指していた。

Aと高校時代に交流はない。
時が二人の距離を縮めていったのだろう、社会人として再開してから意気投合してかれこれ10年来の付き合いになる。

当時から私の感受性は老けていた。
聞こえが良いように言えば、大人びた感性を持った高校性であった。可愛い女子に思いをはせるでもなく、はぐれ刑事純情派や渡る世間は鬼ばかりを唯一の楽しみに生きていた。
当時聞いていた音楽と言えば中島みゆきや尾崎豊。
周りは何かとミレニアムと騒ぎ、新時代の突入に華やいでいた世代である。私もAも共に40代に差し掛かり、Aの価値観、人格もようやく私に追いついてきたのだろう。
大人になってから交流を持つことになるなんて、当時球拾いに精を出していた独立リーグ見習いの頃の私には想像もつかなかった。

「誰がいたかも分からないけど大丈夫かな?そもそもAの友達とか全く交流がなかったけど・・・」

正直に言えば引き受けたくない。

声をかけてくれたことに対する誠意として、第一声で断わることができずに本当に私が務まるのかを聞き返すのが精一杯だった。

「大丈夫大丈夫!サッカー部の○○とか雑誌モデルをやってた□□は知ってるでしょう?あいつらも誘ってみるから心配しないでくれよ」

○○?□□?実家に置いてある卒業アルバムを数年ぶりに開いてみないと確認ができない。
名前を聞いても私には覚えがない。
というか、恐らく話したこともない。
Aの周りにいたということは一軍滞在であったことは容易に想像がつく。
当時私が一軍と交流するなんて、世界中の麦茶と麵つゆが入れ替わるぐらい有り得ないことだ。

「○○と□□か・・・名前は何となく聞いたことあるけど、顔が出てこないな」

「卒業して20年以上も経過してるし、今会っても誰だかみんな分からないから大丈夫大丈夫ガハハハッ」

私は最初から○○と□□を知らない。なので、会った時の挨拶も“久し振り”ではなく“はじめまして”になるけど・・・。
異業種交流会に参加するつもりで挑めばよいのだろうか。
幹事だけで一度集まるから日程が決まったら改めて連絡すると言ってAとは終話した。

怪我や病気は初動が肝心であり、その後の経過に大きく左右する。はたして、私の初動は誤っていなかったのだろうか。

嫌なら嫌と幹事には参加できないとはっきり断わることも誠意だったのではないだろうか。

大怪我にならないことを願うばかりである。
(つづく)

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