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期待に添えない

自己肯定感。

あんまり自分を好きだと思えないまま
気がつくと平均寿命の折り返しまで来ていました。

いま思うと、何かしら見下されやすい子どもだったように思います。
なぜかいつもそういう人が近くにいたのです。
きょうだいであったり、クラスメイトであったり、部活の仲間だったり。

嫌だなと思っても言い返せない、咄嗟に言葉が出てこない。
そして傷つくだけ傷つく。

いつしか自分を肯定的に見られなくなりました。
容姿、知能、運動能力、そして家族。
容姿、運動能力はどうしようもないし、悪くても生きていける。
馬鹿にされないように知識を身につけよう。
傷つく弱さは、傷をつけさせなければいい。

気がつくと、人からその手の攻撃を受けないよう
隙を作れない人間になりました。
冗談は言い合えます。しかし品の悪いことや見下すような返しを
相手にさせない雰囲気を与えるのです。
よく言われるのが、「頭いいですよね」という言葉。
他に言いようがないのだと思います。褒めようがない。
頭は良くないです。
そう見せるのが上手いだけなのです。相手に隙を与えないように
武装しているだけなのです。

周囲からこう見られたいという理想像に近づく努力は素敵です。
けれど、自分が周囲からよく見られるための努力が苦手です。
誰かのためになることならやろうと思えるけれど
自分がよくなることを動機としたことが好きではなかったのです。
好きではない自分のための努力だから。
馬鹿にされたくないから努力したいけれど、したくない。
だから、ポーズだけ。
ポーズだから、実態が伴わないことはいつかバレます。
そう、「思ってたのと違う」現象がしばしば起きる人間の出来上がりです。

自分を好きになること。

メッキが剥がれていく自分を見ているのはなんとも辛いです。
嫌だから貼ったのに。嫌だから隠したのに。
また見るのか、あのがっかりした目を。失望した目を。
ご期待に添えず申し訳なかったです、と心の中で謝る。

何をしても気持ちが動かないという時が年に数回訪れます。
本屋に行ってもピンとくるものが見つからない。
字が頭に入ってこない。
好きな音楽(ラウド、パンク)が聴けなくなる。

それでも本屋に行き、なんとなく手に取った『向田邦子ベストエッセイ集』。
読めるだろうかと思いながら、なんとか通常時の倍以上の時間をかけて
読了したのでした。

若いころに上司から、自身の些細なこだわりが幸せを逃す原因になるかも
しれない、一生後悔することになると忠告された向田さん。
向き合って考えた結果、このままの自分で行くと決めたそうです。
本当にその忠告に向き合うならば自身の本音を誤魔化さず、嘘をつかずに本心に
従っていく、反省しない生き方をしようと。

端折ってしまっている部分がありますが、
まず自分の嫌な部分、周囲から指摘忠告を受ける部分を
受け入れたこと。
その上で、自身はそういう人間なのだと肯定して見合った生き方を
しようと決める。
ただの開き直りではない、自分が満足できるように生きていくことを体現
すればいい。

自分ができないでいることを、少し違った形で実践した例を
見た気がしました。

まるっと自分を好きになることはできないと思います。
ただ、こういう人間なのだと一旦受け入れて満足してみること。
足るを知る、という言葉を自分自身への見方に取り入れる。
欲望深い人間ではあるけれど、それはそうなるまでの過程で
満たされなかった自分がいる。ならば。
満たすためのことをする自分もいてもいい。
できないのにできるポーズをする自分がいてもいい。
できるポーズを捨てる自分も、いてもいい。
嫌味にならない程度の口調と笑顔で
「ご期待に添えず、すみませんね」が言える人になれれば御の字。

エッセイを読んだ時は、ご機嫌な人でいることを目標にしていました。
でも、まずは「自分の機嫌がわかること」に訂正。
機嫌が悪い自分も受けれて、自分で自分を慰めよう。
機嫌が治るところまで付き合おう。

あれほど見たくなかった自身の至らない部分の直視を
避けられなくなった近年。
もがきは一生続くでしょう。


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