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NHK大河ドラマ特別展 どうする家康展 in 三井記念美術館

火曜日に、東京日本橋(三越前)の三井記念美術館で開催中の「NHK大河ドラマ特別展 どうする家康展」を見に行った。

https://www.mitsui-museum.jp/exhibition/index.html

6月11日(日)まで(月曜休み)。
その後、岡崎市美術博物館静岡市美術館に巡回する。

特別に時代劇が好きなわけではないが、NHKの大河ドラマだけは毎週、毎年視聴している。私の日本史の知識のほとんどは、大河ドラマと、TVの歴史番組から得たといっても過言ではない。
大河の舞台になる場所には、だいたい、「大河ドラマ館」なるものが、その年だけ開設されているが、ほぼ番組宣伝のためのもので、結構内容が薄かったりもする。

今回もそのたぐいのものかな、と、あまり期待していなかったのだが、予想外に展示品も多く、普通の美術展としてもクォリティが十分で、うわ、もっと早い時間に行くべきだったか!と思ったほどだ。
15:00頃到着して、閉館の17:00までは2時間あるので、十分と思ったけど、閉館30分前の音楽が鳴り出すと慌ててしまった。
会場の外のビデオなどを見る時間もなかったし。

今回の展覧会の章立ては、家康の人生を追う感じで、以下のようになっている。
第1章「家康誕生」―今川からの独立と三河平定
第2章「戦国乱世の選択」―今川・武田との抗争
第3章「豊臣大名徳川氏」―豊臣政権下の家康
第4章「天下人への道」―関ヶ原から江戸開府
第5章「大御所時代」―駿府での生活と大坂の陣
第6章「東照大権現」―家康、神となる

岡崎展や静岡展では、この章順に並んでいるのかもしれないが、三井記念美術館では、スペースの都合上、この順にはなっていない。
ネットにも会場にもそのように書いてあって、いきなり途中から始まるなんてわかりにくそうだなあ、と思ったが、はじめに国宝の刀剣とか、貴重な茶器、豪華な屏風が並んでいて、気持ちが盛り上がってくるので、かえって良かったかも、という気がした。

前期と後期で展示品も違うし、東京で展示されなかったものが岡崎や静岡で展示されたり、逆もある。全部把握できないので、三井記念美術館で見た順に書いていこう。
といっても、展示室内は一切写真撮影が不可なので、画像はすべてネットから拝借、拝借できないものは名前だけ、記憶違いで間違っていることもあるかも?という感じで。

・展示室1 徳川家康の遺愛品(第5章「大御所時代」)

徳川家康は、慶長10年(1605)に将軍職を二代秀忠に譲った後、駿府(静岡市)に隠居し、大御所政治を行います。駿府城を築城し、城下の整備を進め、駿府での生活が始まりますが、駿府城内で身近に使われていた家康の遺愛品が、他界後に久能山東照社に納められました。そのなかから武器、茶道具、文房具、調度品などを展示いたします。

サイトより


<びいどろ薬壺>


<重要文化財 洋時計>

こちらの時計は展示期間ではなかったので今回は見られなかったが、以前久能山東照宮に行ったときに拝見。

茶道具や鉛筆火縄銃なども直接見ると興奮する。

・展示室2 国宝の刀剣(第4章「天下人への道」)

・展示室3 江戸入りと日本橋架橋(第3章「豊臣大名徳川氏」)

日本橋擬宝珠
結構大きい。

如庵ケース 家康ゆかりの名物茶道具 (第5章「大御所時代」)
漢作茄子茶入 銘 茜屋

・展示室4 (第1章~第3章)

プロローグ 大日本五道中図屏風でたどる家康の足跡

当館で所蔵する大日本五道中図屏風で、家康の一生をヴィジュアルにたどります。この屏風は江戸から長崎までの街道を描いた鳥瞰図的な絵図ですが、ここではそのうちの江戸から京都までの東海道・甲州街道・中山道を描いた8曲2双を展示いたします。
この屏風は江戸時代初期、家康没後30年頃の景観が描かれており、岡崎城、浜松城、駿府城、甲斐、信濃、小田原城、関ヶ原の布陣、名古屋城、そして久能山東照宮など、家康の一生をたどることができます。まずはここで家康の足跡を確認していただきます。

サイトより

<大日本五道中図屏風(江戸~京都)>
これはすごい!
江戸から京都までの地名だけでなく、街の様子まで描かれている。
特に知っている地名や言ったところなどが出てくると嬉しくなるし、同時に家康が暮らした場所などの位置関係も把握できる。

第1章「家康誕生」―今川からの独立と三河平定

家康の誕生は、東照宮縁起絵巻でご覧いただきます。それに加え、祖父の松平清康像、母の伝通院(於大の方)像、徳川家康像、今川義元像、家康と徳川十六将図など、主に画像を展示いたします。

サイトより

第2章「戦国乱世の選択」―今川・武田との抗争

三河守となった家康は、武田信玄と同盟を結び、遠江へと侵攻します。
信玄は駿河の今川氏真を攻め、氏真は掛川城に退去します。家康は掛川城を攻め、和睦して開城させます。しかし信玄との同盟にひびが入り、元亀3年(1572)信玄と三方ヶ原で戦い、初めての大敗北を喫します。
しかし信玄はまもなく病死し、息子の武田勝頼との攻防が始まります。
天正10年(1582)織田信長と家康は、武田勝頼を自害させ、信長から駿河国を与えられて三河・遠江・駿河を領し、安土城に招かれますが、その直後信長は明智光秀の本能寺の変により自刃します。そのあとの天下人となったのが秀吉でした。

サイトより
パンフレットから、<豊臣秀吉像>、<明智光秀像>、<織田信長像>

第3章 「豊臣大名徳川氏」―豊臣政権下の家康

天下人秀吉に家康が臣従するまでには、織田信雄とともに秀吉に対抗し、小牧・長久手の戦いがありました。この戦いでは、特に長久手の合戦で家康は勝利していましたが、信雄が秀吉と和睦したことから、家康も引き下がり、秀吉の妹朝日姫を娶り、秀吉の臣下となって秀吉政権を支えました。

天正18年(1590)家康は秀吉の小田原の陣に参陣し、北条氏が滅亡します。
小田原の陣中で家康は秀吉から、三河・遠江・駿河・甲斐・信濃の五か国から関東への転封、すなわち領地替えを命じられます。その命に従い、そのまま小田原から江戸に入ります。


サイトより

・展示室5(第3章~第4章)

天正18年(1590)江戸入りした家康は、奥羽方面への出兵を命じられ、さらに文禄元年(1592)朝鮮出兵が命じられます。
文禄と慶長の二度の朝鮮出兵の間、秀吉は伏見城を築き、茶の湯や和歌や能など、文化的な遊楽を楽しみます。ここでは当館所蔵の秀吉関係の茶道具と能面を展示いたします。

サイトより

第4章 「天下人への道」―関ヶ原から江戸開府

秀吉が他界するといよいよ家康の天下人への道がはじまりますが、政権内の軋轢から家康への批判が高まり、家康を弾劾した「内府ちがいの条々」が諸大名に送られ、慶長5年(1600)9月石田三成を中心とする西軍と、家康と組んだ東軍との関ヶ原の合戦が勃発します。

サイトより

・展示室6(徳川家康の筆跡)

関ヶ原の合戦で東軍が勝利し、慶長8年(1603)には征夷大将軍に任じられ、江戸に幕府を開きます。自他ともに認める天下人となりました。
ここでは家康の自筆の文書と絵画を展示いたします。

サイトより

家康自筆とされるサギの絵。
味わいがあるっていうか、要は、あんまりうまくない(笑)

・展示室7(第5章~6章)

第5章 「大御所時代」―駿府での生活と大坂の陣

家康の大御所時代は、慶長10年(1605)に秀忠に将軍職を譲ってからはじまりますが、駿府城に住むのは慶長12年(1607)からでした。それまでは、関西では伏見城や二条城を活動の拠点としています。

サイトより

<洛中洛外図屏風>
伏見城と二条城がともに描かれている珍しい屏風。

駿府の生活では、駿府城内で家康が身近に使っていたものが、他界後に秀忠によって久能山に移されましたが、それらの多くは「徳川家康関係資料」として重要文化財に指定されています。

サイトより

第6章 「東照大権現」―家康、神となる

元和2年(1616)4月17日、家康が駿府城内で他界しました。
遺言に従いその日の夜、久能山に遺骸が遷され、社殿の造営が始まり、神として祀られました。神号は天海の主張する大権現号が秀忠により選ばれ、朝廷の勅許をえて「東照大権現」に決まりました。

サイトより


パンフより<東照大権現像>

エピローグ 御神体 家康の刀剣と甲冑

<金陀美具足>

今回これを見に行ったといっても過言ではない、金ぴかの甲冑。


展示会場を出ると撮影スポットが。
ここで、2ショットでも4ショットでも。


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