見出し画像

私が子供たちに定期的に「そろそろビル見せとくか」と思う理由

先日、息子・ぴょんたが通う小学校の田植えのお手伝いに行ってきました。
学校が借りてる(たぶん)田んぼに、毎年、子ども達が地元の農家さんと共に田植えをするんです。秋には収穫・脱穀・精米も行います。
義父のお友達の農家さんたちがこの行事のボランティアを取り仕切っているという事を知り「私もやりたいですー‼」と名乗り出て、ここ数年、我が子が参加する学年じゃなくても、お手伝いさせて頂いております。

学校の役員でもないし農業経験もないのに、学校行事の田植えを手伝う理由はというと、それは、たぶん、私自身がこういう体験に飢えているからだと思うんですね。

今回、田植えのお手伝いをしながら考えていたのが
5月19日の近藤弥生子さんのVoicy。
ゲストの山本裕介さんと教育移住についてお話しされている放送があったんです。

東京からご家族で軽井沢に移住された山本さんが、そこで感じる様々な事を弥生子さんとお話されています。

この山本さんのお話が個人的に「あああー!分かる分かるーーー!」という共感の嵐だったんですね。
都会では絶対に味わえない体験が、そこにはあるんですよね。

この放送で、山本さんがお子さんたちに「ビル見せとくか」と思う、というお話をされていて、これも共感。私、実践しています。
この環境の貴重さ、有難さを感じて欲しい。
東京生まれの私が出来なかった事が、ここではできる。それは当たり前じゃなくて、とても有難い環境なんだと、子ども達に少しでも感じて欲しいから。

東京生まれの私が育った世界

私、東京下町出身であります。先日「神田祭が四年ぶりに復活」とニュースになってましたが、まさにあのエリア。神田の生まれです。一応チャキチャキの江戸っ子ですが、喋り方がぼやぼやしているのであまり信じてもらえないのが悩みです。

神田といえば、皆さんご存知の通り、ビル、ビル、ビルのコンクリートジャングル。私はアラフォーですが、もう昔からコンクリートだらけの町でした。
上を見上げれば、空が狭くて四角くて、電線が横切っていて
下を見れば、コンクリートの割れ目に蟻が巣を作っていたり、雑草が生えていて
家と家との間隔が近くて、窓を開ければ隣の家の外壁が目の前(しかも触れる距離)。

数少ない自然に触れられる場所は公園でした。公園の花壇の土を触ったり、木登りしたり。
小学校の校庭すら土ではありませんでした。プラスチックっぽい素材。あれは何の素材だったのかな…。トラック1周が100メートル取れないくらい狭くて、「100メートル走」は「トラック1周とちょっと走る」という状況。しかも中学校は校庭がなかったですね。体育館と屋上で体育をするんですよ。体育祭はグラウンドを借りてぶっつけ本番でやってました。
学校の周りがオフィスビルだらけだからなのかな??土埃がジャマとか??理由は分かりませんが、土のグラウンドの校庭なんて、漫画かドラマの世界の光景でした。
高校で初めて土のグラウンドの校庭になって、すごーく感動しました。

「自然体験」は「特別なもの」で「非日常の世界」だと思っていた私。

そんな環境だったから、祖父母が時々高尾山に電車で連れて行ってくれるのが、凄く楽しみで。電車に揺られて、お弁当と水筒を持って。いつもワクワクしていました。前日から眠れないの。ワクワクが止まらなくて。

あと、我が家の旅行先は箱根と決まっていました。祖父が「箱根の山、全部登るぞ」という目標を掲げていて、それに付き合う感じで。でも、凄く楽しみで、嬉しかった。小学校を卒業するまでの間に、箱根の山という山を登りました。芦ノ湖を一周歩いた事もありました。確か2日かけて、ぐるっと歩いて。
疲れたけど、土の匂いとか、鳥の声とか、変な虫が出たりとか、全部が特別でした。

子供時代の私にとって、そういう自然体験は「非日常の世界」で「特別なもの」という感覚でした。

初めて踏んだ霜柱

忘れもしない。
結婚して、夫の故郷であるこの地に引っ越して来た年の冬。
義父の畑に、一面霜柱がはっていて、真っ白になっていたんですね。
当時30ちょっと手前くらいだったんですけど、私はその年まで、霜柱を踏んだ事がありませんでした。
東京のコンクリートには、霜柱、はらないからね。
そっと踏んで、シャックっとしたような、パリッとしたような音がして、「おお✨」と感動したのを覚えています。

私が知らない「当たり前」の世界が、目の前にいっぱい広がっていました。

我が子の運動会で、別の意味で感動して泣く

上の子、ぴょん子が小学校に上がって、初めての運動会。私は泣きました。
我が子の成長に感動して泣くよりも先に、目の前の運動会の光景に感動して泣きました。

空が広くて、遠くに山が見えて、土のグラウンドで、しかもトラック1周が大きくて(何メートルかは知らん)

こんな環境で我が子が運動会が出来るんだ〜!!凄い凄い!!
良かったねぇ(泣)

みたいな感じで泣きました。

ママ友には「泣くの早っ!!まだ入場だよ??」とツッコまれた記憶が。

良いの。だって感動したんだもん。
こんな環境で運動会、東京じゃ出来ないんだよ。少なくとも私が育った環境では、絶対に出来ないんだよ。

「当たり前」の違い

こちらでは、
冬に霜柱がはるのが当たり前で
水道から出る水も湧き水で
ゴミ捨てに外に出たら時々カワセミがいて
雨が降れば蛙がうるさいくらい鳴いて
新幹線の駅までの直通バスが朝を逃すと昼くらいまで来なくて
そもそも生活圏内に電車がなくて
「出かける時は鍵をかけましょう」とかいう超基本的な事だと思ってた事が回覧板で回ってきて
星がよく見えて
河川敷で物凄い数のバッタがピョンピョンしてて

他にもあげれば切りがないくらい、東京と違います。

東京の「当たり前」が全く通用しない世界。

ここの「当たり前」で育っている我が子らは、大きくなった今でも、冬になると霜柱を踏みに朝から畑に飛び出して行きます。ほぼ毎朝。

息子なんて一度裸足で踏みに行きましたよね。
「うわ〜!!冷たい!!痛い!!痛い感じがする!!めっちゃ冷たいよーぅ」とか言いながら、ニコニコして気が済むまで霜柱を踏んでました。足もパジャマも泥んこだけど、息子ニコニコ。
いいじゃんいいじゃん。霜柱、裸足で踏んだヤツなんて、そうそういないんじゃないの??

「ビル見せとくか」

そんな我が子らには
「ここの当たり前が通用しない世界がある」
「こういう生活が当たり前じゃない」
と私は知ってほしいんです。

だから、時々、わざと県庁のある市に出かける予定を作って連れて行くんですが、子ども達の反応が面白いんですよね。

駅ビルとか、高層ビルがあると
「怖い💦倒れてこない??」とか言いますし
吹き抜けの天井とかを見上げて
「屋根とか落ちてこないよね」とか心配しますし。
帰ってきたら凄く「疲れたー」と言います。

一度、横浜に旅行に行った事があるんですが
みなとみらいのイルミネーションを見ながら
「ねぇ、ここって、ホントに日本??」
「ここってホントに人が住んでるの??遊園地じゃないの??」
って、子ども達が言ったんですよ。

ディズニーランドみたいにイルミネーションが凄くて、そんな中に人が住んでいることが信じられなかったみたいです。

こうやって、都会というか、ビルがいっぱいある所に連れて行くと、
「自分達が当たり前だと思っていた事が、当たり前じゃない世界があるんだ」
と子ども達に感じてもらいやすいのではないかな、と考えております。

今年も田植えを手伝う私

そんなワケで、自然に触れられる体験に飢えている私は、今年も田植えを手伝いました。

梅雨の晴れ間。青い空。穏やかな風。
青々とした苗が植えられている田んぼが ずっと広がっていて。
ただ一箇所、そこだけ水面に空を映して鏡のようになっている田んぼがあって「ああ、あそこに子供たちが苗を植えていくんだな」とウキウキ。
農家のおじちゃん、おばちゃん達に「おおー!○○ちゃん(本名)‼今日よろしくな」と声を掛けられ、「よろしくお願いしまーす!」と挨拶。

最強の長靴(と私が勝手に思っている)田靴をはいて、子ども達に田植えの指導。

最強の長靴、田靴。絶対脱げん👍

ぐにゃ~とした泥の感覚が面白い😆

終わったら、子ども達と一緒に、田んぼの横の小川で手足の汚れを洗い落とします。

田んぼの横の小川

水がひんやりして、気持ち良くて。

これが、この土地の小学校の「当たり前」。
なんて贅沢な体験なんだろうか。

東京の子は、こんな風な田植え体験を、したくても出来ない。たぶん。旅行とかでする感じだと思う。

移住してきて10数年。
少しずつ、畑や田んぼが減って、コンクリートになっていきます。
どうか、残して欲しいです。
後継者問題とか、いろいろ課題もあって難しいんだろうな、と思いますが、できるだけ、この田んぼや畑を残してほしい。

「全部東京みたいにしなくていいし、東京の真似ばっかりしなくたっていいんだよ」と思います。

だって、東京で出来ることは東京に行けばできるんだから。
ここの、湧き水、山々、田んぼや畑は、ここにしかないんだから。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?