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2010年代のライブハウス界隈の文化、50年後にはまるっと暗黒時代になっちゃわない?という話

ライブハウスの出演スケジュールについて調べていて思ったのだが、デジタルアーカイブなり出版なりされてないと、2010年代の音楽史のエキサイティングな部分、まるっと消えちゃわない?

現代は情報の大発信時代だけど10年後にそのデータはどれだけ残るよ?って話でもあって。調べたい時には過去フライヤーやアーティストのHP、SNS告知、個人サイトを辿るくらいしかないかな?でも正直各種SNSでの宣伝された公演情報ってやっぱ一時的なものじゃないですか?バンドが解散したりメンバー脱退でアカウントが消されることだって多い。運よく休止状態でアカウントが残ったとしても、検索スキルがなければ欲しい情報にたどり着くのはかなり大変。

SNSも個人ブログも提供母体が消滅したらサーバーの情報ごとその時代の文化は消えちゃうわけで。yahoo!ブログとか目も当てられないでしょ。デジタルはやっぱり情報保持性が脆弱だね。情報発信はデジタルのプラットフォーム中心で今はいいと思うけど、情報の保存という観点では弱いよね。記録の保存という意味では紙の出版物がやっぱり強い。経年劣化にも強いし、個人出版や同人出版物でなければ国会図書館からアーカイブできるし。50年後100年後に残ってるSNSとかちょっと想像できないよ。


で、ライブハウス界隈の文化の話に戻ると、時系列に沿った人と人の繋がりやシーンの盛り上がり、そう言った文字化しにくい空気のようなモノは記録に残りにくい。 文化史というのは生活史でもあるから、ライブハウスや小劇場の公演歴/出演歴はとても文化史的に意味のある記録だと思うけど、それらが記憶の中にしかないとしたらその歴史はどうやって残し語り継いでいけば良いのだろう?

ソシャゲとかもそうだけど、モノとして残らない「体験」を売るエンタメは後世に再現性や検証性がない。だからこそ、その文化的・歴史的意義について形に残す必要があると思うんですよ。 100年後の人が10年代のライブハウス文化を知りたい調べたいと思った時、デジタル頼りだと空白の時代になる可能性が高い。

小劇場にしろライブハウスにしろ、こんなに刺激的で価値観や表現の多様性に満ちた文化、時代の記憶が失われるのはマジでもったいない。 人一人の価値観変えてしまうくらいヤバい熱量にあふれた世界だけに、何十年後かに年寄りの自慢話でしか語り継ぐ方法しかないとしたらそれは本当に惜しい。

聞く側調べる側からしても今更見れへんもの偉そーに自慢されてもな〜って感じになるわけじゃん。 映像や音源として形に残らない部分はどうやって客観性、再現性のある史料としてアーカイブ出来るんだろう?


そもそもライブハウス界隈の物販ってメジャーに比べて商業ベースが小さいこともあり、CDや映像作品を残したり販売したりってのが極端に少ない。フィジカルなメディアが残らないというのは、どんなに素晴らしい作品や演奏も後世には残らない。CDはEPやシングルなら一年に一回出れば良いくらいだし、フルアルバムなんかは三年に一回出ればラッキーな方だ。むしろフルアルバム出さずに解散するバンドはめちゃくちゃ多い。

ライブ映像に関してもSNSでハイライト部分だけが公開されることはあっても、メジャーのアーティストみたいにブルーレイやDVDのようにフィジカルなメディアで映像作品が販売されることは本当にまれだと思う(CDの予約特典とかで付属するパターン意外見たことない)。SNSはいつか滅びるし、バンド関係者や個人所蔵以外には何も残らないんじゃないだろうか?ライフステージが変化すればそれらの貴重な記録も破棄されることになるだろうし。

映像や記録が残りにくいという点では、小劇場界隈もまたしかり。むしろ観客側がそれに触れる機会はほぼないだろう。さらにシビア。時間が経つほどに価値観が変わるようないいものを見た!という記憶は残ってるが、詳細を思い描くのは難しくなる。それを具体的に言語化できるタイミングは観劇直後などのごくわずかなタイミングに限られてるのではないだろうか?

一回しかその舞台を見ることのない観客にとってはその記憶の詳細を長く保つのはかなり難しい。触媒となるべきフライヤーはそれ自体の存在意義や制作スケジュール上、舞台に関する具体的なヴィジュアルが写ってるわけでもないから、記憶の想起にはあまり役立たない。演劇の一回性はそれゆえに神聖だけれど、記憶の継承やアーカイヴ化に対してはシビアだ。読書でもなんでも繰り返しそのモノに触れることで記憶が強化され血肉になるのだから。

小劇場においては三日間で昼夜合わせて5~6公演という上演スケジュールが多いように思うが、個人的にはよほど気に入った公演でも一日1回の鑑賞×3が限界だ。そうまでして目に焼き付けても5年10年経つと忘れてしまう。

その場でしか味わえないのがライブや演劇の良さだ!というのはそれはそうだし、粋というものだろう。自分もそのつもりで楽しんで来たけども、自分の人生の中で10年ほどを観劇やライブが占めてることを考えると文化と記憶のアーカイブ化ということは考えるべき問題じゃないか?という思いが強くなってきている。


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