襟裳の風#12
小学校は白浜(フンコツ)から庶野まで歩いて通学しました。
片道約四キロメートル(約一里)の海岸線(黄金道路)をです。
雨の日も風の日も歩き通しました。
子供の足で四キロメートルの距離を毎日朝夕歩くことは大変でしたが、当時は乗り物に乗って通学をすることは、夢にも考えられませんでした。
当時、バスは通っていたものの、一日に何本も無かった記憶がします。数人で学校まで歩きました。
通学の途中、よく道草をしたものです。
振り返ると、私は全てのものに興味がある年頃だったのです。
ある日、朝学校までの道すがら、わたしは弁当箱を振り回して遊んでいました。
その弁当箱が弾みで手から離れ、綺麗な放物線を描いて、海にドボーンと落ちてしまったのです。
運良く昆布採りをしていたアメリカさんに拾ってもらいました。
学校には売店も無く、学校の近くの商店に昼ご飯を買いに行くお金も無く、その弁当箱を開けて箸をつけたところ、しょっぱくて食べられるものではなかったのです。
他に食べるものが無く、無理やり食べたことが鮮明に脳裏に記憶されています。泣きながら食べたのかどうかも、いまでは記憶から消えてしまいましたが、泣く事は無かっただろうと思います。
弁当箱を拾ってくれたそのアメリカさんは、コックの修行でアメリカに渡っていたと母から聞きました。当時でも年過さがいっていた記憶があり、真っ白い頭髪でした。
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