ゴメが啼くとき(連載22)
昭和二十五年(一九五〇年)の秋、文江二十一歳、夫の勇二十四歳、二人はフンコツ(白浜)で新生活を始めた。
大工に頼んで建てた家は、あまり費用をかけなかったが、それでも住むには十分な広さの平屋だった。だが借金をしてしまった。そのため、家財道具は行李と布団一組だけだった。家の中は、がらんとして広くみえた。
リンゴの空木箱を二つ並べてテーブルにし、ご飯を食べた。
文江のお腹には、小さな命が宿っていた。無理は出来ないのだが、家の借金の為、二人で必死に働いた。
毎夜、勇と文江は岩場にへばりついた昆布を、胸まで海に浸かりながら採った。
波が来て体が持っていかれそうなときもあった。
あまりの寒さに、泣きながら昆布採りをした。そして、明け方、家に戻り、仮眠をして朝飯を食べ、また海に出る。
冷たい海水に浸かった文江のお腹の子は.…? と案じられた。
昭和二十六年(一九五一年)七月に女の子が生まれた。大きな赤ん坊だった。名前を陽子と名付けた。生まれたときの体重が三千グラムもあった。
産後約一カ月は安静が必要であるが、文江は一週間ほどたってから、家事をはじめ、また、昆布拾いに海に出たのであった。
勇は殆ど家事はしない。赤子の世話も一切しないのだった。
文江はそんな夫を一種諦めの気持ちをもって、生活するしかなかった。
ある日、様似から庶野に住居を移していた勇の母が、赤子の顔を見るため、訪ねてきた。
文江が義母のキヨと面と向かって話すのは初めてである。以前、大和寿しで見かけただけであった。
「文江さん、よくがんばったね」とキヨが、文江に労いの声を掛けてくれた。文江は嬉しかった。
実母のハナは、子供が生まれても、何の音沙汰もなかった。
キヨは、家の中を見回して声を失った。家財道具の一つもないのである。息子たちの困窮が思い遣られた。
遠い親戚筋に当たる同じフンコツの佐藤家は代が変わり、一番下の一人息子が家督を継いでいた。昔、文江を苛めていた男の子だ。
近所であるのに、勇・文江の家に顔も出さない。そのことに対して、文江は別段気にも留めていなかった。
キヨが帰って一週間後、新しい箪笥一竿が届いた。
義母のキヨが送ってくれたものだった。
箪笥を見つめながら文江は、やっとこれで、生活感が出てきたと思った。
嬉しかった。
義母と夫の勇に感謝した。
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