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旅で親孝行をすることについて


両親を連れて旅に出るということがどれほど大変なのか、親孝行を考えた方にはよくわかるだろう。
まったく親というものは・・・(溜息)と、ついつい愚痴りたくなる存在で、出かける前までは楽しみだって言ってくれるんだけど、いざ出かけてみるとあーじゃない、こーじゃないと文句が出てくる。終いには逆ギレ!
これほどまでに離れて暮らしていたということは・・・と自分が大人になり、誰かと暮らし、家庭を持って『私たちの生活』に慣れてしまうと、こんなにも両親との生活スタイルが違うものかと驚かされる。向こうもどう思っているのだろうか。

確かにこの2人から躾けられて、人様の前に出ても恥ずかしくないレディー?になる様にと育てられたのは確かなのだが、じゃあ何故?
なぜ私の頭の中でぐるぐると渦巻く葛藤が発生するのかな?
何故?この人は人が使ったタオルで手を拭くんだろう?
ホテルには人数分のタオル用意されてるよね?
何故?人が使ったコップを使ってうがいをするんだろう?
コップだって人数分あるさ…
何故?海外の知らない土地で何度言っても先頭を切って歩いていくんだろう?海外だよここ。。。
何故?ここで待ってて・・・って言ったはずなのにいないの?
外国語話せないよね?
何故?店で平気で「美味しくないね」って大きな声で批評するのだろう?
それ言っちゃあいけなくはないけど人としての配慮ちゃう?
何故?「あげちゃダメ」って何度言ってもこっそり野鳥にポテチを撒くのかな?
完全に違反だって!
何故?鹿にご飯あげちゃダメなのに鹿せんべいじゃないものをあげちゃう?
えー雑食だもん、って自分ルール持ちださないで!

 目的地もわからないくせに、誰にも何も言わずに勝手に歩き、勝手に移動し、気付いたらこちらがヘトヘトになって探し回り、お腹が空いているかと気を遣えば「別に・・・」と言って、そうかと思えば朝食たべてまだ間もないのに、鳩時計のように時間になると「お昼食べなきゃ」と言い出し驚かされたり、、、、そんな些細なことにイライラして怒ってしまい、楽しいはずの旅なのに落ち込んでいる自分がいる。
3歳下の妹には「お姉ちゃんまた懲りずに連れていくの?止めればいいのに・・・」と呆れられる。
日常生活では特に気にならないことでも、旅に出ると母に強く当たってしまう事が多くなり、もっぱら最近の私の旅の目標は「母を怒らない』
これに尽きる。
逆に父は私が子供の頃は口より先に手が出るクソ親父だったのに、異性だからなのか?何故か?母への言い方とは違い「ダメでしょ?知らないところでうろうろしたら。」とか言えたりするのだ。
気付くと父が喜んでくれるだろうかとか、父ならこうしたいだろうか?などとどちらかと言うと両親を旅に連れていくのに主役が父になっていることに最近自覚した。
これは多分、私がファザコンだからなのかもしれないと最近自分を分析。
だから歳の離れた主人に恋をして、自分だけの味方が欲しかったし、なんでも受け入れてくれる包容力のある男性像を探した。だが実際には「惜しい!」と及第点をつけてあげるくらいの理想に近い主人への評価は厳しいもので、そこは自分に甘く他人に厳しいわたしの愚かさと笑って誤魔化しています。ゴメン…
私の分析は父と主人と旅したい・・・なのかも。

 それじゃあ母があんまりだとわかっているんだけどね。本当は母がいなければきっと今の私はできあがらなかったはずで、何事もチャレンジさせてくれる太っ腹な所は父ではなく母でした。
 中学2年生の夏に初めて『少年の船』と言うB&G財団の日本丸で行くグアム&サイパンの旅に出してくれたのも母でした。
当時この案内を見せた時、父は即座に「親すら外国に行った事がないのにダメだ。」と言ったことを鮮明に覚えている。
だけど母は「経験値を得るにはいい機会だから行ってきなさい。」とお金を工面してくれた。
結果、台風の目と共に日本に帰国し、船酔いでほぼ毎日寝て過ごし船内活動はおろか、食事すらまともにできなかった酷い苦行の旅だったのだが、考えてみれば中学2年にして、往路で飛行機を使い、日本丸に乗船しグアムからサイパン、そして日本に帰国というクルーズをこの年で体験するという今考えてもセレブ〜な経験値じゃないですか。(実際は悲惨でしたが。)凄い経験には違いありません。
日本の海域に入り波が落ち着いた頃、解散式をした際に船長が頑張った皆に「海を嫌いにならないで下さい。」と言っていた言葉がずっと残っています。

そんな経験からも今もクルーズが大好きだし、本来私の旅のスタイルは『暮らすような旅をすること』なので、それを実現したくてある時に外資のタイムシェアを購入した。
そのおかげで世界中をふらっと出かけるような人生を歩む事ができたり、両親を連れてクルーズ船に乗ったり、好きなものを勝手に買える人生は家族には感謝でしかない。パートナーがいると働いたお金すら好きに出来ない人が大半だと後に知ることになり、余計にこの買い物については人生を変える大きな買い物だったので自分の判断と夫の懐の大きさ以外なく感謝と簡単に言うが、それはそれは有難いことなのだなと。

そんな数年の間に海外専門で受けていたツアーナースも、新型コロナの影響で仕事が無くなり、おまけに主人が共同経営していた会社を辞め、次のステップに進んだ。
子育てが終わったら辞めたいとは言っていたが、まさかその日は来るとは…。
私はその日が来るのを密かに恐れ、好き放題やってきた人生を悔いても仕方がないので主人の退職に合わせ、一度は生活を支えなければと思い病院に正社員として就職する覚悟を決めて働いた。 
安定という言葉がどんなに有難いか痛感した二年間ではあったが、結果私のストレスは最高潮に達し、海外に住む息子に会いに行く為にたった4日の有給休暇の申請で勤務先と揉めて、それまで職場内の陰湿な環境にも我慢してきたが、入職時の条件も実際は違い、諸々『安定』という言葉に取り憑かれ我慢した結果、最後は「Give Up!!」とメモを残し、人生で初めて公序良俗に反した辞め方をした。
 
結局私は自分の人生を好きに泳げる生活を何よりも優先したかったことに気づき、それに主人が合わせてくれていることにもようやく気付いた。
第二の人生を歩んでいるはずの主人はちゃんと家族を支え、仕事も毎日行って人に使われている。役職で人の上に立ってきた人生を変えても自分の為に頑張るというより、家族のために頑張ってくれている。
それなら一緒にこっちの世界に引きづり込もうと思って、お互い残りの人生があとどのくらいあるのか分からないけれど、一緒に計画を立てることに決めた。
それには両親が健康でいてくれないと困るし、たくさん刺激を与えないと!と実は親孝行という大義名分の裏には実は自分勝手な思い入れ旅行を計画して居るだけで、親を巻き込んでいるのだろう。
だったら多少子供に返っても許すしか無いと悟り、今度こそ素敵な思い出の親孝行旅をするぞ!と心に決め、4/12から主人の誕生日祝いを兼ねた旅に出かけることにしました。
あとどのくらい両親や主人、私だって旅に出られるのだろう。
毎回これが最後かもと思ったら、大事に笑って行って帰ってこなくちゃなと思うのでした。
さて、どんな旅になりますか・・・


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