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中の上の中途半端が理想の人々は地獄へ落ちる 結婚相手に求める普通は普通ではない

1、中の上の中途半端が理想の人々は地獄へ落ちる
極まった生き方をすると辛くなるように、サタン側が社会を捻じ曲げて、人々を洗脳する。
超大金持ちになると、ソレはソレでキツイ。平均の何万倍の財産を築いても、世の中の楽しみは精々が何十倍ぐらい。リスクは何万倍もあるし、努力も何万倍しないといけないけど、リターンは何十倍ぐらいだ。
極貧はやっぱりキツイ。
だから、サタン側は「中の上」「上の下」ぐらいになるのが心地いいように、社会を捻じ曲げて、人々の価値観も洗脳する。
こういう中途半端な生き方が理想という価値観になれば、人々は極まった価値観をしなくなる。

神の信者に成るには、かなり極まった価値観が必要だ。
サタンの目的は、人々を地獄へ道連れにする事。
サタン側は、人々が神の信者に成らないように誘惑する。
サタン側は、人々が「中の上」「上の下」ぐらいで心地よいと感じるように洗脳する。

中途半端な人は、トップの「上の上」を目指すわけでもなく、極貧の「下の下」を受け入れるわけでもない。
こういう中途半端な価値観は危険で、地獄へ落ちる。
熱くもなく冷たくもないと言われる。

「わたしはあなたの行いを知っている。あなたは、冷たくもなく熱くもない。むしろ、冷たいか熱いか、どちらかであってほしい。
熱くも冷たくもなく、なまぬるいので、わたしはあなたを口から吐き出そうとしている。

ヨハネの黙示録 3章15節16節 新共同訳

生ぬるい考え方をしている中途半端な人間は、トップレベルの責任を背負う覚悟もないし、背負うための努力をするわけでもない。
中の上、上の下になって、適当に心地よく気楽に生きられたらそれでいいという生ぬるい考え方をしている。
俺も聖書を読む前は、そういう気楽な生き方がしたいと思っていた。
中途半端な人は、下の下を受け入れるわけでもない。俺は、一つ下になったら飢え死にするような極貧を経験していた。

「中央値」「平均」「普通」などを気にするのは、生ぬるい生き方で満足する価値観をしているからだ。
真実かどうかで考えていない証拠である。
真実を追求しているなら、「中央値」「平均」「普通」など、どうでもいいと考える。

真実を目指すか、上の上を目指すか、下の下に甘んじるか、自分の道を究めるか、という極まった考え方が神へ立ち帰るのに近い生き方なのだろう。

一人一人の生き方が別々で、自分の生き方を極めていく社会なら、神に立ち帰る人が増えてくる。
親から子へ仕事や技能が継承されて、親方から弟子へ継承されると、一人一人が自分の道を歩むようになる。
聖書でも自分の道を歩めと書いてある。

詩編 119:59
わたしは自分の道を思い返し
立ち帰ってあなたの定めに足を向けます。
箴言 16:9
人間の心は自分の道を計画する。主が一歩一歩を備えてくださる。
箴言 21:29
神に逆らう者は厚かましく事を行う。正しい人は自分の道を整える。
エレミヤ書 26:13
今こそ、お前たちは自分の道と行いを正し、お前たちの神、主の声に聞き従わねばならない。主はこのように告げられた災いを思い直されるかもしれない。
ヨエル書 2:7
彼らは勇士のように走り
戦士のように城壁をよじ登る。おのおの自分の道を進み
進路を外れることはない。
ルカによる福音書 13:33
だが、わたしは今日も明日も、その次の日も自分の道を進まねばならない。預言者がエルサレム以外の所で死ぬことは、ありえないからだ。

自分の道を歩むのが神の信者にあるべき姿である。

サタン側にとって、人々が自分の道を歩む状況が不都合だ。
だから、自分の道を捨てて、サタン側が用意したエセ学問の勉強しないと社会に適応できないようにする。
自分の道を歩んでも見返りがない社会をでっち上げるために、分業化や専門化とかをでっち上げたのだろう。
「分業化」「専門化」以外でも方法はあったのだろうけど、効率が悪いとか、洗脳が徹底できないとか、色んな都合で導入しなかったのだろう。
サタン側は錬金術や魔術で人々を洗脳しようと企んだ形跡は有るけど、俺も試しに悪魔崇拝かどうかを調べてみたけど判り辛いから、サタン側も導入しないのだろう。
エセ科学は頑張れば理解できそうな雰囲気があるけど、魔術書は本当に訳が判らないから、どうしようもない。
魔術書は知能指数が150とかあれば暗記できるかもしれないけど、そんな知能指数の持ち主を中間管理職にしても、人数が少なすぎて、人々を支配する人手を確保できなくなるのだろう。
だから、知能指数が110ぐらいの人を支配できるエセ科学を導入したのだろう。

周りを基準にしているから、中途半端な生き方をするため、中の上の気楽な人生を求める。
神の信者は、神が基準だから、中途半端な生き方はしない。

2、結婚相手に求める普通は普通ではない
結婚相手に普通を求める普通は普通ではない。
平均ではない。
中の中の平均や普通を求めているのではなく、中の上や、上の下を求めているのである。
頂点ほど責任もなく、中の中より下で引け目も感じない立場に気楽さを感じるのだろう。
だから、こういう人間が求める普通は普通ではない。

普通を求める人は、周りに引け目がなく、だからといって責任を背負うほどでもない程度の高みの相手が欲しいのである。
丁度いい相手は、欲しがる人が多いため、求めたら高望みになる。
取り合いが激しいから、結婚できなくなる。
自分が70点ぐらいのレベルなら、70点の人が求めて来て、釣り合いが取れて結婚できるかもしれない。

普通と聞くと平均を思い浮かべるけど、実際の平均的な人間から乖離しているのが実情である。
こういう人たちの言う普通は、中央値と平均値と最頻値とも違う。
それは「普通」ではなく「都合」という。

結婚を都合で考えているから、普通かどうかも自覚できなくなるから、客観的な判断ができなくなる。
神の信者なら、結婚は神との契約だから、神聖なモノであり、神の目線で客観的に判断できる。

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