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パウロは神に逆らう パリサイはスパイ 多数派は地獄行き 恨む偽基督教徒 世は安全地帯

1、パウロは神に逆らう
神であるイエス・キリストは、天国へ入る基準と、地獄へ落ちる基準を言う。
パウロの言う「誰が天国へ入るか地獄へ落ちるか思ってはならない」は、神の言う事に逆らっている。

神であるイエス・キリストが言う「天国へ入れる基準」と「地獄へ落ちる基準」は色々あって、引用する。

幸いと不幸
さて、イエスは目を上げ弟子たちを見て言われた。
「貧しい人々は、幸いである、
神の国はあなたがたのものである。
今飢えている人々は、幸いである、
あなたがたは満たされる。
今泣いている人々は、幸いである、
あなたがたは笑うようになる。
人々に憎まれるとき、また、人の子のために追い出され、ののしられ、汚名を着せられるとき、あなたがたは幸いである。
その日には、喜び踊りなさい。天には大きな報いがある。この人々の先祖も、預言者たちに同じことをしたのである。

しかし、富んでいるあなたがたは、不幸である、
あなたがたはもう慰めを受けている。
今満腹している人々、あなたがたは、不幸である、
あなたがたは飢えるようになる。
今笑っている人々は、不幸である、
あなたがたは悲しみ泣くようになる。
すべての人にほめられるとき、あなたがたは不幸である。この人々の先祖も、偽預言者たちに同じことをしたのである。」

ルカ福音書 6章20節から26節 新共同訳

神目線で人の「幸い」とは天国へ入る事。
神目線で人の「不幸」とは地獄へ行く事。

神目線で人の幸いは、財産を手に入れる事ではない。
人目線で人の幸いを考えていたら、聖書を正確に読めない。

神であるイエス・キリストは、天国へ入る人と、地獄へ落ちる人間を言う。

少し長いけど、不幸な地獄へ落ちる人間の基準を引用する。
一つ下の引用を読み飛ばしても意味が判るようには書いている。
一つ下の引用で判ればいいのは、偽善者は地獄へ落ちると神であるイエス・キリストは言った事実だ。今、判って欲しいのは、これだけだ。他の時には、また別の説明をする。

13律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。人々の前で天の国を閉ざすからだ。自分が入らないばかりか、入ろうとする人をも入らせない。

14†

15律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。改宗者を一人つくろうとして、海と陸を巡り歩くが、改宗者ができると、自分より倍も悪い地獄の子にしてしまうからだ。

16ものの見えない案内人、あなたたちは不幸だ。あなたたちは、『神殿にかけて誓えば、その誓いは無効である。だが、神殿の黄金にかけて誓えば、それは果たさねばならない』と言う。 17愚かで、ものの見えない者たち、黄金と、黄金を清める神殿と、どちらが尊いか。 18また、『祭壇にかけて誓えば、その誓いは無効である。その上の供え物にかけて誓えば、それは果たさねばならない』と言う。 19ものの見えない者たち、供え物と、供え物を清くする祭壇と、どちらが尊いか。 20祭壇にかけて誓う者は、祭壇とその上のすべてのものにかけて誓うのだ。 21神殿にかけて誓う者は、神殿とその中に住んでおられる方にかけて誓うのだ。 22天にかけて誓う者は、神の玉座とそれに座っておられる方にかけて誓うのだ。

23律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。薄荷、いのんど、茴香の十分の一は献げるが、律法の中で最も重要な正義、慈悲、誠実はないがしろにしているからだ。これこそ行うべきことである。もとより、十分の一の献げ物もないがしろにしてはならないが。 24ものの見えない案内人、あなたたちはぶよ一匹さえも漉して除くが、らくだは飲み込んでいる。

25律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。杯や皿の外側はきれいにするが、内側は強欲と放縦で満ちているからだ。 26ものの見えないファリサイ派の人々、まず、杯の内側をきれいにせよ。そうすれば、外側もきれいになる。

27律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。白く塗った墓に似ているからだ。外側は美しく見えるが、内側は死者の骨やあらゆる汚れで満ちている。 28このようにあなたたちも、外側は人に正しいように見えながら、内側は偽善と不法で満ちている。

29律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。預言者の墓を建てたり、正しい人の記念碑を飾ったりしているからだ。 30そして、『もし先祖の時代に生きていても、預言者の血を流す側にはつかなかったであろう』などと言う。

マタイ福音書 23章13節から30節 新共同訳

神が「偽善者は不幸だ」と言ったから、偽善者は地獄へ落ちる。
偽善者とは、他人の妨害をする者、他人を自分以上の悪人に洗脳する者を指す。

パウロは、誰が天国へ入るかと言ってはならないと言っているけど、パウロの聖書解釈は本当に正しいのだろうか。

しかし、信仰による義については、こう述べられています。「心の中で『だれが天に上るか』と言ってはならない。」これは、キリストを引き降ろすことにほかなりません。
また、「『だれが底なしの淵に下るか』と言ってもならない。」これは、キリストを死者の中から引き上げることになります。

ローマへの手紙 10章6節7節 新共同訳

パウロが言う事は、神に逆らっている。
神は、金持ちが天国へ入るのは、ラクダが針の穴を通るより難しいと言っている。

マタイによる福音書 19:24 (新共同訳)
重ねて言うが、金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」
マルコによる福音書 10:25 (新共同訳)
金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」
ルカによる福音書 18:25 (新共同訳)
金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」

パウロは、時々、おかしな聖書解釈をするし、昨日書いたけど「ローマへの手紙4章8節」で「詩篇32章2節」の「心に欺きのない人」という重要な文言を省くから、本当に聖書を読んでいるのか怪しい。
信者パウロは、使徒の話を聞いたのだろうか。

「新聞なんてどれも同じ」と思う人が居るように、パウロはファリサイ派の聖書解釈も、他のサドカイ派などの流派の聖書解釈も、同じだと思っているのではないだろうか。
実際は、同じではなく、全く違う。
ただ、新聞の場合は、左翼右翼の振りをして、実際は両方ともサタンの手下である。
偽装キリスト教団の種類にかかわらず、全ての偽装キリスト教団は間違った聖書解釈をするけど、全ての偽装キリスト教団はサタンの手下である。
二つ以上の解釈を用意して、どれかが正しいと誤認させて、人々を間違った道へ誘導して、地獄へ道連れにするのがサタン側の目的である。

パウロは、聖書を読まないで、ファリサイ派の仲間の言う聖書解釈を妄信しているのではないだろうか。

パウロは生まれつきのファリサイ派だから、親がファリサイ派である。

パウロは、議員の一部がサドカイ派、一部がファリサイ派であることを知って、議場で声を高めて言った。「兄弟たち、わたしは生まれながらのファリサイ派です。死者が復活するという望みを抱いていることで、わたしは裁判にかけられているのです。」

使徒言行録 23章6節 新共同訳

パウロは親からファリサイ派の理念を吹き込まれているから、疑う事すらしていないのではないだろうか。
あと、パウロは勝手に議員を兄弟なんて言っているけど、兄弟は神の信者同士の話であって、ファリサイ派は兄弟ではない。

ファリサイ派の義を守れば天国へ入れるけど、ファリサイ派は人々に「神の掟を守れ」と言いながら、自分は神の掟を守らないから地獄へ落ちる。

だから、彼らが言うことは、すべて行い、また守りなさい。しかし、彼らの行いは、見倣ってはならない。言うだけで、実行しないからである。

マタイ福音書 23章3節 新共同訳

ここの「彼ら」とはファリサイ派や律法学者の事である。

ファリサイ派は、イエス・キリストに「地獄へ落ちる」と言われて逆切れするから、身内で地獄へ落ちると言わないで馴れ合っているのだろう。
その馴れ合い集団のファリサイ派の出身のパウロだから、同じように地獄へ落ちると言い合わないように馴れ合っているのだろう。

ファリサイ派は、人々には神の掟を守れというくせに、自分たちは神の掟を守らない。
だから、ファリサイ派の人間同士で「お前は神の教えを守っていないから地獄行きだ」と言い合うのを防ぐために「誰が天国へ入るか地獄へ落ちるかと言ってはならない」と言論統制をしているのだろう。

普通、自分の生き方だと地獄へ落ちると言われたら、自分のどの言動が地獄へ落ちる原因になるのか指摘してもらうモノだけど。
神であるイエス・キリストに指摘されたのに、逆切れしているから、どうしようもないのがファリサイ派である。
お前は地獄へ落ちると言われて、図星だから逆切れするため、仲間内で互いに「誰が天国へ入るか、地獄へ落ちるか」言わないように統制するのがファリサイ派である。

信者パウロは、ファリサイ派が掟を守れと言っているから、パウロは掟を守っていると思うから天国へ入れると思う。

金持ちは天国へ入るのは、ラクダが針の穴を通るより難しい。
正しい事を言う律法学者は、天国から遠くないと褒める。

マルコによる福音書 12:34 (新共同訳)
イエスは律法学者が適切な答えをしたのを見て、「あなたは、神の国から遠くない」と言われた。もはや、あえて質問する者はなかった。

こういう風に神であるイエス・キリストは、誰が天国へ入るか地獄へ落ちるか、バッチリ明確にハッキリ言う。
パウロの「誰が天国へ入るか地獄へ落ちるか思ってはならない」というのは、神の言う事に真っ向から逆らう発言である。
パウロは、この部分に逆らっているけど、他の部分で逆らっているかどうかは、まだ検証中である。
あくまでも俺の解釈だから、参考程度にして、自分で聖書を読んで自分で解釈した方がいい。

聖書に書かれている言葉の優先順位は、神が最優先であり、次に預言者・士師・使徒になり、信者が最後になり、背教者の言葉は信用してはいけない。
そして、昔の言葉よりも新しい言葉の方が優先されるから、旧約と新約で対立していたら、新約の方を優先する。
新約聖書と呼ばれるだけあって、契約だから、契約は新しく結ばれた方を優先する。
パウロ教の偽装キリスト教団は、優先順位を作らないで、神の言葉とパウロの言葉を同等扱いするから、完全に神を冒涜している。
社長の言葉とバイトの言葉を同等扱いするようなモノ。
同等扱いしつつ、パウロを優先して引用する。
どっちもどっちと言いつつ、都合が良い方だけ依怙贔屓する奴らが存在する。

2、ファリサイ派はローマ帝国のスパイ
ファリサイ派はローマ帝国のスパイかも知れない話をした。

上の投稿を読み直したけど、少し判りにくいと思ったから、もう一度、説明する。
どこかで説明したかもしれないけど、もう一度、説明する。

聖書箇所で疑問に感じたところを引用する。

47
そこで、祭司長たちとファリサイ派の人々は最高法院を召集して言った。「この男は多くのしるしを行っているが、どうすればよいか。
48
このままにしておけば、皆が彼を信じるようになる。そして、ローマ人が来て、我々の神殿も国民も滅ぼしてしまうだろう。」

ヨハネ福音書 11章47節48節 新共同訳

ファリサイ派が主導権を握れば、ローマ人が侵略してこないし、滅ぼしに来ないと言っているのは、異様である。

なぜ、ファリサイ派というユダヤ教の新興宗教がユダヤ州を主導すれば、ローマ帝国が侵略してこないのだろうか。
この言葉を今の日本で例えるなら、神道系の新興宗教が日本で主導権を握れば、アメリカが侵略してこないと言っているようなモノだ。
ファリサイ派がローマ帝国のスパイなら、ファリサイ派が主導権を握ればローマ帝国が侵略してこない、という理屈もつじつまが合う。
だから、ファリサイ派はローマ帝国のスパイである。

3、サドカイ派
ファリサイ派の権威を失墜させるために、他の派の工作員がファリサイ派に入り込んで、間違った解釈をファリサイ派の内部で広めているのかもしれない。
サドカイ派もローマ帝国のスパイかも知れない。
しかし、どちらもローマ帝国のスパイだけど、スパイ同士で妨害し合う場合もある。
普通の会社でも、変な従業員が同僚の妨害をする場合がある。
スパイの訓練を受けていない人間でも同僚の妨害をするから、スパイの訓練を受けた人間なら同僚の妨害をする危険性は高い。

4、妨害者の末路
神に立ち帰ろうとする人を妨害する人間は地獄へ落ちる。

マタイによる福音書 18:7 (新共同訳)
世は人をつまずかせるから不幸だ。つまずきは避けられない。だが、つまずきをもたらす者は不幸である。
マタイによる福音書 23:13 (新共同訳)
律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。人々の前で天の国を閉ざすからだ。自分が入らないばかりか、入ろうとする人をも入らせない。
ルカによる福音書 11:52 (新共同訳)
あなたたち律法の専門家は不幸だ。知識の鍵を取り上げ、自分が入らないばかりか、入ろうとする人々をも妨げてきたからだ。」
ルカによる福音書 17:1 (新共同訳)
イエスは弟子たちに言われた。「つまずきは避けられない。だが、それをもたらす者は不幸である。

天の主を信じる者を侮辱する背教者は地獄へ落ちる。
信者の決意を揺さぶって神を捨てさせようとする悪行だからだ。

「世は人をつまずかせるから不幸だ」とは、何か。
世とは、自分がない人間たちの事だ。
多数派に溶け込んで、自分がない者は地獄へ落ちる。
捨てるだけの自分がないから、自分を捨てる事ができない。
自分を捨てて神に従うには、まずは自分を手に入れる必要がある。

マタイによる福音書 16:24 (新共同訳)
それから、弟子たちに言われた。「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。
マルコによる福音書 8:34 (新共同訳)
それから、群衆を弟子たちと共に呼び寄せて言われた。「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。
ルカによる福音書 9:23 (新共同訳)
それから、イエスは皆に言われた。「わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。

5、逆恨み
箴言のある個所について。

あざける者を責めるな、
おそらく彼はあなたを憎むであろう。
知恵ある者を責めよ、彼はあなたを愛する。

箴言 9章8節 新共同訳

箴言に書かれているけど、前から責めているため、今更、取り消しはできない。これからは、あんまり責めないようにするか。
ただ、レビ記19章17節に率直に戒めたり、エゼキエル書33章で警告しなさいと神に命令されているから、戒めや警告はする。

6、恨む偽装キリスト教徒
日本と一緒くたにして謝罪を要求する韓国の背教者。
国と俺を一緒にするな。
何の関係もない個人を犯罪集団と一緒くたにする背教者は、モノの道理を理解できないのだろう。
所詮、背教者は憎しみを継承するから、背教者なんだよ。
自分に都合が良い憎しみを引き継ぐくせに、自分に都合が悪い先祖の犯罪はすっとぼける。
一緒くたにしないと言っている奴も恩着せがましい。
韓国は偽装キリスト教団が蔓延しているから、本当のキリストの教えを知らない。
キリストの教えは、憎むな、親の罪を子に押し付けるな、と言っている。

日本が恨みを水に流すのは、2000年前にイエス・キリストの教えが広まったからだ。
神道や仏教でサタン側が天の主を隠ぺいしたから、忘れてしまったけど、親の罪を子に押し付けない習慣は残った。
ただ、日本人には、親の罪を子に押し付ける背教者は存在する。

7、自社製品のアピール
テレビ局員の芸人評は、当てにならない。
自分の会社の商品を貶すわけがない。
自分の会社の商品を売って金儲けして、自分の給料を稼ぐのが目的なのだから、客の購買意欲がなくなるような事を言うわけがない。
悪い商品でも良い商品と嘘を吐いて騙して買わせて金をかすめ取る。
話が上手いと言うけど、自分の会社の商品を貶すわけがない。
頭が良いと言うけど、自分の会社の商品を貶すわけがない。
男気があると言うけど、自分の会社の商品を貶すわけがない。
だから、犯罪芸人の本来の評価は、話はうまくないし、頭は良くないし、男気もない、というのが真実だろう。

8、予防線
悪友が居てくれたら、予防線を張るのはダサいと言ってくれる。
予防線を張るのは、悪友すら居ない人間だ。
ある程度、色んな本を読んで教養を身に付けたら、予防線は張らない。

教科書しか読まない、勉強しかできない人間は、ダサくなる。
俺は小学生の面積から成績が下がるような知能だから、勉強できる知能なのに勉強以外をしない人間は、もったいない生き方をしていると思う。
教科書や参考書以外の本も読めば、一段上に行けるのに。

9、非信者の死後は屠り場
この世は試験場であると同時に安全地帯である。

箴言 7:22 (新共同訳)
たちまち、彼は女に従った。 まるで、屠り場に行く雄牛だ。 足に輪をつけられ、無知な者への教訓となって。

この場面は、人妻の誘惑に従った「彼」(人間)が屠り場へ行く。
地獄へ落ちるのは屠り場と表現する。
神に背いた状態で死ぬと、そんなに危険な場所へ行くのだろう。
死後の世界がどのようなモノなのだろうか。
神の加護が得られない非信者は、屠り場に行くような存在になる。
神の加護が得られない世界とは、屠り場のようなモノ。
屠り場とは、一方的に虐殺されて、一矢報いる事もできない場所だ。

反撃の権利があると思い違いをしていると、地獄へ落ちても反撃できると思い込んで、安易に地獄へ落ちるような生き方をするのだろう。
実際の地獄は、一方的に懲罰されて、焼かれ続けて痛めつけられるだけ。

人間が神に反撃できる力があるわけない。
神に従わない非信者は、何か根本的に思い違いをして、他人に張り合おうとする。
こういう思い違いをしている非信者と争っても、徒労に終わるだけだから、神は「憎んではならない」と言って関わらないように諭すのだろう。

「あざける者を責めるな」箴言9章8節で神が言っている。

他人に口出しをしていいのは、神の教えを言う時だけだ。

神に絶対服従しなさいと神が言うのは、死後の世界は神の庇護がないと一方的に虐殺される強弱関係だからだ。
誰に虐殺されるかは判らない。
死後の世界はレビヤタンなどの化け物が居て、死後の世界ではレビヤタンが襲い掛かってくるのかもしれない。
神に立ち帰れば、レビヤタンなどの化け物から、神が守ってくれるのだろう。

10、投資詐欺
NISAの投資の広告で恐竜が出ているから、完全にサギなのが判る。
この世は想像されてから6000年ぐらいだから、数億年の恐竜など存在しない捏造である。
その捏造を広告に使うという事は、詐欺だとサタン側がヒントを出している。

11、逆恨みの末路
大卒を逆恨みする高卒の面接官が居る。
多分、高卒は、大卒に一方的に論破されているのだろう。
だから、逆恨みで面接官の立場を悪用して威圧する。
ボクシングで例えるなら、高卒が大卒に挑むのは、何の練習もしていない素人が、週5日で4年間の練習をした相手に試合をするようなものだ。
才能があっても素人は、才能のない練習生には勝てない。
一方的にボコボコにされる。
高卒の面接官は、なんて無茶な事をするのかと思う。
こういう事を言ってくれる人が周りに居ないのだろう。
逆恨みして、教えてもらう姿勢がないと、一方的にボコボコに殴られる立場になってしまう。
地獄も一方的に焼かれて痛めつけられてしまう。

大卒でも性根が悪いと、高卒を一方的に論破でボコボコに殴れるから、面白くて痛めつけているのだろう。
性根の良い大卒も、逆恨みする高卒は助けたくないから、見殺しにする。
性根が悪い大卒が、性根の悪い高卒を殴っているだけだから、性根の悪い者同士で争っている。
高卒の性根が良かったら、性根の悪い大卒は逃げて、性根の良い大卒なら性根の良い高卒が理解できるように説明してくれる。

面接官の権力を悪用しているような性根だから、同じように大卒の能力を悪用する奴らのターゲットにされてしまう。
力の恐ろしさを判らない人間が力を悪用すると、破滅する。

俺から見ても、性根の悪い高卒の面接官を、一方的に論破できるから面白いようにボコボコに殴れると思ってしまう。
性根の悪い大卒からは、性根の悪い高卒は、そういう風に見えている。
俺は聖書を読んで神のために考えるから、一方的に殴らないけど。

高卒の面接官は、大卒に論破の娯楽にされるのは、自分自身の性根が悪いから、性根の悪い人間のターゲットにされる自業自得である。
大卒を逆恨みしている。

12、助ける相手
信者同士は努力し合って助け合うのは良いけど、非信者に対して助けてはいけない。
しかし、相手が非信者でも貧乏人・未亡人・孤児は助けるべきである。

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