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謝罪 パウロは自己愛障害で布教活動をしてはいけない立場 ファリサイ派はスパイ

1、謝罪
パウロは自己愛性人格障害と考えている時に、前に書いたことで謝罪。
妖怪「マウンティング」と言ったのは、生きている人間に対して侮辱する悪い事だから、謝罪する。
申し訳ありませんでした。
自分は精神的に病んでる方が強いけど、自分には自己愛性人格障害の傾向があるのだろう。
毒親が自己愛だから、パウロの自己愛に気付いたのか。
マウンティングをしている人は、他者を踏みにじらないと人格を保てない精神だから、治療が必要な自己愛性人格障害と言うべきだった。
既に死んだ中世ヨーロッパのパウロ教については、そのままバジリスク・メドゥーサ・見越し入道・ヌエなどを使って説明する。

2、パウロは布教活動をしてはいけない
パウロは、特権階級だから、布教活動をしてはいけない。
なぜなら、相手の平民が、パウロの実家の権力を怖がるからだ。
信じても居ないモノを保身のために信じた振りをする危険性が有る。
これでは、実質的に強制的な入信である。
神は強制を忌み嫌う。
パウロは、自分の立場になって考えられないから、相手の立場になって考える事ができない。

信じていないモノを、パウロの実家のコネが欲しくて信じた振りをして、パウロに近づく。
カルト教団なら、有力者の布教活動で強制的な入信を喜ぶだろう。
しかし、天の主は、強制、強要を喜ばない。
有力者や有名人がキリスト教を名乗って強制的な入信をさせているのは、偽装キリスト教団である。
天の主の教えと、偽装キリスト教団の区別を付けなければならない。
日本人は宗教音痴だから、この程度の区別も付かない。
天の主は、偶像を並べて、人々が自主的に天の主を選んで欲しいのである。
強制して良いなら、神の力で礼拝の時間に強制的に礼拝の姿勢を取らせる。
しかし、そんな強制をされた話など聞かない。
だから、天の主は強制を喜ばず忌み嫌う。
有名人を使って入信者を集めている自称キリスト教団は、偽装キリスト教団であり、天の主に背いている。

3、パウロは裏方に回るべき
パウロのような市民権の特権階級は、裏方に回って、活動を支えるべき。
自分一人で頑張っても、一人分の活動しかできない。
裏方に回って支えれば、千人分の活動を支えられる。
しかし、パウロは自己顕示欲に支配されているから、自分が目立てない裏方は嫌なのだろう。
肩書のある人間が表に出て看板の役割をするのはダメだ。
人間の肩書に目がくらんで入信するような者が居ても、神は喜ばない。
神は、神と信者の間に入って邪魔をする存在を全て忌み嫌う。
神を信じている振りをしていても、心の中では肩書のある人間を信仰しているのでは、神は怒る。

4、パウロは自己愛性人格障害
パウロは、自分が布教活動をしてはいけない立場というのが判らない。
相手の気持ちが判らないからだ。
自己愛性人格障害 - 検索 (bing.com)
自己愛性パーソナリティ障害 - Wikipedia

業績や才能を誇張する
絶え間ない賛美と称賛を期待する
自分は特別であると信じており、その信念に従って行動する

自己愛性パーソナリティ障害 - Wikipedia

使徒になりたがり、功績をアピール。
迫害アピール、迫害捏造、投獄捏造。

人の感情や感覚を認識しそこなう

自己愛性パーソナリティ障害 - Wikipedia

相手の気持ちが判らない。
自分の布教活動は、有力な実家やローマ帝国の暴力が後ろ盾に伴って、相手を脅迫しているのが判らない。

劣っていると感じた人々に高慢な態度をとる

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職業差別、身分差別をする。
手紙で名家や医師・経理・法律家の職業は出すけど、普通の職業の人は出さない。

嫉妬されていると思い込む

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使徒たちが自分を妬んでいると思い込む。

多くの人間関係においてトラブルが見られる

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目が見えなくなった時に、同行していたファリサイ派から世話もされずに見捨てられるぐらい人望がないから、普段から嫌われるような言動をしていると推測できる。

非現実的な目標を定める

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異常に厳しいルールを作って守らせようとする。
聖書には、そこまでのルールは書いてないのに。

5、パウロを妄信
パウロを妄信していると、パウロの自己愛性人格障害が感染する。
もしくは、自分が自己愛性人格障害だから、パウロの異常性に気付かない。
人間は、自分と同じ性格の人間を異常者だと気付かない。
ただし、同族嫌悪はある。
蛇の道は蛇とも言う。
俺は精神的に病み上がりだけど、俺にも少しは自己愛性人格障害の傾向があるからこそ、パウロの異常性に気が付いたのかもしれない。
毒親が自己愛だから、パウロの自己愛に気付いたのか。

自己愛性パーソナリティ障害の人物は、自分がほしいのに得られなかったものを持っている人をみたとき、激しい羨望に駆り立てられ、よいものを所有していることをねたみ、憎み、批判し、破壊しようとする。

自己愛性パーソナリティ障害 - Wikipedia

パウロ信者が、パウロを偶像崇拝して、パウロを地獄へ道連れにしようとするのも、パウロを妬んでパウロを攻撃しているのだろう。
パウロも使徒を妬んでいた。

6、等身大

自己愛性パーソナリティ障害の人格構造は、誇大的自己と無能的自己のあいだで振幅運動を繰り返すところにある[35][37][38][注 3]。こうした2つに分極した自己構造を持ち、中間にある等身大の自分が存在していない。

自己愛性パーソナリティ障害 - Wikipedia

パウロ信者が、パウロを等身大で評価できないのは、自己愛性人格障害には中間にある等身大の自分が存在していないからだ。

7、この程度で済む
パウロは、特権階級で生まれて、国家レベルでチヤホヤされて操られたのに、よくこの程度の性根曲がりで済んだなと思った。
今の日本の世襲政治家とかボンボンを見れば、判る。
今の日本だと、民主制で、それなりに批判される立場なのに、世襲政治家は異常な人格だからだ。
それに比べて、批判されるはずの無いパウロが、この程度の性根曲がりで済むのだから、多分、パウロは基本的に生まれ付きの性根が素直な人間なのだろう。
パウロに神の加護があるからなのか、聖書を読んでいるおかげなのか。
しかし、今の日本で聖書を読んでいると自称しているのに、性根曲がりが、とんでもない人間も居るから、やっぱりパウロの性根が素直なのだろう。
階級社会や国家主義が無ければ、パウロは気が利かない実直な人間として普通の信仰生活を送っていた。
神も、パウロの素直さが判っているから、器として救われるようにしたのだろう。 悪いのは階級社会と国家主義だからだ。

8、俺の猜疑心
自分は猜疑心が強い方である。

猜疑的で自分が一番と妄想する妄想型

自己愛性パーソナリティ障害 - Wikipedia

パウロ教の常識すら疑うし、日本社会の常識も疑うし、科学だろうと疑う。

自己愛性パーソナリティ障害を顕在型である無関心型

自己愛性パーソナリティ障害 - Wikipedia

俺は、他人にあまり興味が無い。

回避傾向を持つ群
スポットライトを浴びることを常に避ける。

俺は、社会を避ける。
スポットライトも、できれば避けたいから、文章を投稿するのは避けたいけど、神がエゼキエル33章で「人々に警告しなさい」と命令したから、仕方なく文章を出している。
文章を出すと性根がバレるから、本当は文章を投稿するのは嫌だ。
数年前に精神的に病んで2か月ぐらい、どこかで投稿したことはある。

9、パウロを妄信している人間が悪い
パウロが悪いのではない。
パウロを妄信している人間が悪いのである。
こういう人間は、パウロが居なければ、別の人間を妄信している。
何が悪いのか区別する必要がある。

  • パウロが悪いのか

  • 階級社会が悪いのか

  • 国家主義が悪いのか

  • パウロ教団が悪いのか

  • パウロを妄信する人間が悪いのか

この辺りをゴッチャにすると、訳が判らないぐらい話がゴチャゴチャしてくる。
国家主義の傾向のある人間が反パウロをやると、今の日本を正当化するために、国家主義が悪いのに、パウロが悪いとすり替えてくるから、話がゴチャゴチャしてくる。
聖書では、神は国(王)を忌み嫌うと書いているのに、国家主義者はスッパリ抜け落ちている。

旧約聖書:サムエル記上:12章:19節
民はみなサムエルに言った、「しもべらのために、あなたの神、主に祈って、われわれの死なないようにしてください。われわれは、もろもろのを犯した上に、またを求めて、悪を加えました」。

神は、神以外のモノが、神と人の間に入って邪魔するのを忌み嫌う。

愛国や国家主義者のくせに、天の主や聖書を語るのは、ハッキリ言って百害あって一利なしである。まあ、一利はあるかもしれないけど。
聖書を読んでいながら国家主義をしている人間は、聖書を読めとれてないか、聖書を悪用している。

自己顕示欲は階級社会が悪いのに、パウロが悪いとすり替える。

「パウロが居なければ他の人間を妄信するようなパウロ教徒」の本人が悪いのに、パウロが悪いとすり替える。

10、パウロ特有
パウロの生まれ付きの悪いところは、気が利かない所ぐらいだろう。
気が利かないぐらいなら、こちらが要望をハッキリ言えば良いだけだから、大した欠点ではない。
あとは、行動力がありすぎて暴走しがちだけど、これも前もってルールを決めて、やっていい範囲を指定すれば済む話だから、大した欠点ではない。
俺は、パウロは、そこまで嫌いなタイプではない。

階級社会の悪いところは、身分差別や階級差別をするところ。
自己顕示欲を抱かせる原因になる。

国家主義の悪いところは、人間を食い物にして見下して小さい捨て駒とするところ。

パウロ教団の悪いところは、人々を惑わして神から追い散らす。

パウロを妄信する人間の悪いところは、割と色々あるから、何とも言いようがない。
「階級社会」と「国家主義」と「パウロ教団のような組織主義」の悪いところを集めたような欠点が出てくる。

パウロに文才が無いのは、パウロの親の教育問題である。

パウロに人望が無いのは、ファリサイ派の取り巻きの問題である。
集団を作っておきながら、育てる気が無いのは、ファリサイ派が悪い。
集団を作っておきながら人を育てない集団は、有害である。
パウロが盲目になっても、ファリサイ派の同行者は誰も世話をしなかったから、パウロは人望が無い。
パウロが人望の有るように育てなかったファリサイ派の責任である。

11、国家主義者の聖書解釈
国家主義者が天の主に仕える事は出来ない。

新約聖書:マタイによる福音書:6章:24節
だれも、ふたりの主人に兼ね仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛し、あるいは、一方に親しんで他方をうとんじるからである。あなたがたは、神と富とに兼ね仕えることはできない
新約聖書:ルカによる福音書:16章:13節
どの僕でも、ふたりの主人に兼ね仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛し、あるいは、一方に親しんで他方をうとんじるからである。あなたがたは、神と富とに兼ね仕えることはできない」。

富とは、金だけではない。
富とは、利益を生み出すリソース・資源・コネの事である。

通常、経済学者は富を「価値がある全てのもの」と定義し、

富 - Wikipedia

また、「ふたりの主人」だから、神と神以外に仕える事は出来ない。
国家主義も神以外のモノだから、神と兼ね仕える事は出来ない。
パウロ教団は、国家に迎合して媚びへつらって、まるで国家主義は例外と言って教義を捻じ曲げる。

12、ファリサイ派はスパイ
前から書いているファリサイ派のスパイ疑惑について。
ファリサイ派がローマ帝国のスパイである証拠。
イエス・キリストがラザロを生き返らせたところでのファリサイ派の反応。
ヨハネによる福音書 11 | 新共同訳 聖書 | YouVersion (bible.com)

47
そこで、祭司長たちとファリサイ派の人々は最高法院を召集して言った。「この男は多くのしるしを行っているが、どうすればよいか。
48
このままにしておけば、皆が彼を信じるようになる。そして、ローマ人が来て、我々の神殿も国民も滅ぼしてしまうだろう。」

ヨハネ福音書 11章47節48節 新共同訳

この11章48節の言い回しは、何か引っかかった。
まるで、ファリサイ派が主導している間は、絶対にローマ帝国には滅ぼされないような言い方である。
この言い方では、まるでファリサイ派がローマ帝国の部下みたいな言い方である。
ファリサイ派がローマ帝国の部下だから、ファリサイ派が主導しているなら滅ぼされないけど、ファリサイ派が主導できなくなったらローマ帝国が侵略してきて滅ぼす、と言っているようなものだ。
何でみんながイエス・キリストを信じたら、ローマ帝国が侵略してきて滅ぼすという言い方はともかくとして、何でファリサイ派が主導できなくなったらローマ帝国が侵略して来るのが判るのか。
だから、結論は、ファリサイ派はローマ帝国のスパイだ、というなら自然とつじつまが合う。

例えば、属国の特定の新興宗教団体が主導権を握っていたら、宗主国は侵略してこないとか、どこからそんな自信が湧いて出てくるのか。
日本で新興宗教が主導権を握っていたら、アメリカが懲罰戦争を仕掛けてこないとか、どこからそんな自信が湧いて出てくるのか。
だから、その宗教は、アメリカのスパイだ。

13、会わせない
パウロがイエス・キリストに会わなかったのも、ファリサイ派が会わせないようにコントロールしていたのだろう。
これも、ファリサイ派がローマ帝国のスパイである証拠の一つである。
パウロのように、特権階級で生まれて会いに行く経済的な余裕があり、しかもファリサイ派という聖書の宗教活動をしているのに、一度もイエス・キリストに会わないのは、極端に不自然である。
今の日本で例えるなら、特権階級で生まれて、日本の神道系の新興宗教で活動しながら、一度も天皇に会いに行かなかったようなモノだから、極端に不自然である。逆に自然か。
それはともかく、ファリサイ派がスパイで、洗脳した支配下の人間を会わせないようにコントロールしたなら、自然な理屈になる。
他のファリサイ派は、イエス・キリストに会いまくっているのに、パウロだけは会わないのは、極端に不自然である。
多分、パウロは、気付いていないのだろう。
パウロは操り人形であり、操り人形は自分が操り人形であることを自覚できない。

14、一度も見てない
神がパウロを器として、道具と役者として選んだのも、一度も会わなかったのが理由だろう。
見なくても信じる者が幸いだと言っているからだ。

イエスはトマスに言われた。「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」

ヨハネ福音書 20章29節 新共同訳

だから、一度も見た事が無いパウロが調度いいのだろう。
パウロに広めさせれば、ファリサイ派というローマ帝国のスパイの功績になってしまい、ローマ帝国は部下の功績を白紙にはできないから、聖書を焚書できなくなる。

15、誰でも神を見ている
ヨハネの福音書が出たから、これも書いておく。

しかし、前にも言ったように、あなたがたはわたしを見ているのに、信じない。

ヨハネ福音書 6章36節 新共同訳

誰でも見れるモノなんて、空と雲と太陽と月と星々ぐらいである。
多分、天蓋のドームと雲が神なのだろう。
雲の姿で現れるのが旧約でよくあるからだ。
聖書で、太陽と月と星々は、拝んではならないと書いてあるから、太陽と月と星々は悪魔なのだろう。
銀河宇宙を信じている人間は、天蓋のドームを信じないから神に背いている。
これをイエス・キリストは前もって言ったのだろう。
天蓋ドームを見ているのに神を信じない。
「見る目が無いのに神や奇跡や証拠を見たがる」、という言い方を優しく言うと「見ているのに信じない」となるのだろう。

16、牛の角
牛の角は黄色くないと言ったけど、乳牛の角は黄色くないとしておく。
肉牛なら、黄色っぽい角は居るけど、黒く変色しているから、黄色とも言えない。
乳牛と肉牛をあまり区別していなかった。申し訳ない。

追加8月9日
乳牛の角が黄色くない事そのものは撤回してない。

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