不安の行動 組織強姦の芸人 思考停止の顔 なぜ冤罪を防ぐ 電墨 持つ責任 旗幟鮮明
1、不安な時の行動
俺は、能力不足の人が影響力を握ると不安になる。
たいていの人は、能力不足の人が影響力を握ると嬉々として叩く。
不安だから叩くのだろうか。
不安になった時の行動は、性格によって違うのだろうか。
不安だから叩くのは、関係ない人を叩きそうだと思うけど。
神の信者なら、神を依り頼むから不安にならないのだろう。
神に立ち帰る努力をしていけば、その内、サタンの支配下の世界でも不安にならなくて済むのだろう。
神の信者なら、不安に突き動かされないから、軽挙妄動しない。
2、準強制性交罪
準強制性交罪とは、組織的に強姦を計画する犯罪である。
性犯罪芸人は、やってる事は組織強姦だから、さっさと白状しないと、お仲間の性犯罪芸人も性犯罪者として刑務所へ収監される。
刑務所で性犯罪者は最下層だから、集団リンチされる。
今の自分だけ逮捕されなければいいと思って言い逃れをする人は、すぐ裏切る。
なぜ裏切るのか、それは今の自分だけ助かればいいと思っているから、裏切れば今の自分が助かると思えば簡単に仲間を裏切るからだ。
そもそも仲間とすら思っていないのかもしれない。
せいぜい、自分が犯罪をする時に便利な道具だという程度にしか思っていないのだろう。
極道の組織犯罪は赦さないけど、性犯罪芸人の組織犯罪は赦すというのは、どういう事なのだろう。
性犯罪芸人を擁護するのは、組織犯罪を好き勝手にやっていいと擁護しているのと同じである。
ファリサイ派は組織的にイエス・キリストを冤罪で殺したから、組織犯罪は一発で地獄行きなのだろうか。
組織犯罪は、悪いと言われなくても悪いのが判り切っているはずだ。
粗暴犯の場合は突発的だから、反省したら赦されやすいのだろうか。
ただ、組織犯罪でも、やはり知能には個人差があるから、組織犯罪だと認識する知能の無い人なら、気付いた時に反省したら赦されると思う。
組織強姦の強姦犯の芸人は、自分の娘が強姦されたら仕方がないと言って、娘を盾に利用している。
実際に娘が強姦されたわけでもないのに、なぜか強姦芸人の強姦罪が赦されたみたいな世論操作をする悪質性がある。
娘を持ち出してはいけない。
そもそも、娘と強姦芸人の人格は別だから、娘が強姦されても、強姦芸人の強姦罪は赦されない。
娘という未成年を持ち出して盾に利用する悪質性がある。
3、モノを考えていない顔付き
獣みたいに獲物を探りまわっている顔付きだから、思考停止の顔付きだ。
人間みたいに作物を作る思考をしている顔付きではないから判る。
4、多妻と順位
先に結婚した妻の意見が優先される。
アブラムの妻が、女奴隷の処分を決める。
妻が自分の女奴隷が男子を産んだから追放したけど、別に神の掟に違反しているわけではないみたいで、その男子の子孫も繫栄する。
違反しているかしていないか判らないけど。
5、証人
2人以上の信者の証言があれば、死刑にして良いのだろう。
神の信者の証言が必要なのであって、非信者の証言ではダメ。
非信者は嘘を吐いたり多数派に迎合するからだ。
ただ、神は裁いてはならないとも言っている。
つまり、証言は信者がするけど、死刑執行は非信者の政府がするという事になる。
偽証してはいけないだけで、死刑になるような証言をしてはいけないなんて書いていない。
多数派に迎合して証言を捻じ曲げてはならないと聖書にある。
ファリサイ派みたいに意図的に冤罪にするのはダメだけど、結果的に冤罪になるのは別に罪や罰はないとは思う。俺の主観だから、根拠はない。
そもそも、殺人犯が信者と接点があるかどうか。
信者は、非信者と挨拶してはいけないし、受け入れない。
信者同士でしか付き合わない。
それなのに、どうやって殺人犯と信者が犯罪の接点を持つのだろう。
非信者の犯人が突発的に信者と遭遇して犯罪をするのだろうか。
信者の加害なら、過失でしかないから、ほかの信者2人以上の証言があれば良いのだろう。
そもそも、非信者が冤罪を気にするのが元々からおかしい。
天の主の信者なら、神が冤罪・偽証してはならないと言っているから、信者が冤罪を気にして地獄へ落ちないようにするのは判る。
しかし、非信者がどうして冤罪を気にするのだろうか。
元々、冤罪を防ぐのは、天の主の信者の目標である。
しかし、神を隠されると、何で冤罪を防ぐのか判らないまま、冤罪を防がなければならないという思いだけが残る。
そして、根拠・動機・目標もないまま冤罪を防ぐ事ばかり、のめり込む。
もしかしたら、冤罪を防がなければならないという圧力も、サタン側の罠なのだろうか。
信者の証言と冤罪については、結論を保留して、考えを続ける。
非信者が偽証を求めている。
非信者は、自分の神に対する罪を誤魔化すようにサタンに命令している。
つまり、偽証するように求めている。
この世の命令系統は、神、人間、サタン、サタンの手下、表の操り人形の権力者、という順番である。
サタンは、創世記の「空の鳥」「地の獣」に含まれる天使と堕天使の時から、「人に支配させよう」と言われた時から、人間の召使である。
人間の召使を解任された描写はないから、今でも召使である。
もしかして、偽証するように求めている自分から目を逸らすために、非信者は異常に他人の偽証や冤罪を叩いているのだろうか。
自分がサタンに命令して偽証・冤罪をしているから、他人の偽証・冤罪を叩いて、自分は偽証・冤罪をしていないと思い込む。
他人の罪を叩いても、自分の罪は消えない。
他人の偽証を叩いても、自分の偽証は赦されない。
神であるイエス・キリストをファリサイ派が冤罪で殺した。
ファリサイ派のパン種に注意しなさいと、神は言っている。
ファリサイ派のパン種とは、ファリサイ派の悪癖や悪心がパン種のように増殖していくのを注意しなさい、という意味だ。
6、ドブ捨て
カルトのモノをコンテンツに出すとカルトのイメージが全体に付くデジタルタトゥーになる。
普通は、サタンに魂を売るのは見返り目的である。
しかし、自主的に悪魔崇拝のモノをコンテンツを出すのは、タダで悪魔崇拝をして地獄へ落ちる。
出さなくてもコンテンツに影響がないのにワザワザ出すから、取捨選別ができていない作者である。
自分の才能をドブに捨てる。
7、力の責任
持てる者の責任がある。
大きな影響力があるのだから、悪人が悪用できる状況にしてはいけない。
監督不行き届きでもある。
犯罪組織が流用したら、ほかの大勢の被害者が出るけど、責任を取れるのだろうか。金に興味がない、という態度では済まされない。
8、余裕
ネットで聖書解釈を書いて、全員にアクセスをするチャンスを与える。
その全員にチャンスを与えるのに邪魔にならない範囲内で、周りの人間に直接、教えればいい。
近いというだけで有利にしてはいけない。
イエス・キリストの近くに居たナザレの人々は、ほかの村に比べて、立ち帰る人が少なかった。
9、太陽崇拝と悪魔崇拝
エジプトは太陽崇拝の悪魔崇拝の国だから、日本の太陽崇拝の国で権力を握るために、エジプトの指令に絶対服従にならないといけないから、エジプトの大学の卒業にこだわっているのだろうか。
単純に、世界中の太陽崇拝の勢力と結託して、日本で権力を握ろうとしているから、太陽崇拝の国家の大学卒業証を欲しがっているのか。
利権は理由としては小さい方であって、本来の理由は「どの悪魔崇拝の所属なのか立場をハッキリさせろ」という意味だろう。
天皇は太陽崇拝の勢力の一部でしかない。
星の悪魔崇拝なら、星を国旗にしている国の大学を卒業する。
月の悪魔崇拝なら、月を国旗にしている国の大学を卒業する。
白い蛇や竜を国旗にしているのは、サタンを悪魔崇拝している。
ブータンは白い龍を国旗にしている。
ブータン 国旗 - 検索 (bing.com)
太平天国の偽装キリスト教団は、白い龍を国旗にしている。
太平天国 国旗 - 検索 (bing.com)
WHOという名の悪魔崇拝集団は、白い蛇のサタンの象徴を旗にする。
WHO 旗 - 検索 (bing.com)
サタンの勢力で権力を握りたいなら、サタンの象徴を旗にしている勢力の出身になるしかないのだろう。
旗色を鮮明にしろという意味なのだろう。
旗を掲げないと、どの勢力に属するつもりなのか判り辛いからだ。
一般人にしてみたら、旗の意味が全く分からないだろう。
月の国旗の国から移民を受け入れるのは、月の悪魔崇拝集団から力を借りて主権を奪い取りたいのだろう。
その力を借りる見返りとして、移民を受け入れて、月の悪魔崇拝集団に日本の利権を分配する。
多分、創作物でも、月の勢力がスポンサーだと、月を大きく描いたりするのだろう。
星の勢力がスポンサーだと、星をたくさん出したりするのだろう。
サタンの勢力がスポンサーなら、龍を巨大に見せたり、善玉に見せたり。
偽装キリスト教団のカトリック・プロテスタント・正教などを名乗るのは、偽装キリスト教団の力を借りて主権を奪いたいのだろう。
偽装キリスト教団にもカトリックなどの派閥があるし、カトリックの内部でも色んな派閥があるから、一枚岩かどうかは怪しい。
ほかの悪魔崇拝集団に比べたら、それなりに協力はするだろうけど。
こういう色々な悪魔崇拝集団の加害から自分の身を守る方法は、神に立ち帰るのが唯一の方法である。
天の主の信者が死ぬと、神が怒って、義人(信者)が一人も居なくなったソドムとゴモラのようにこの世を滅ぼして、最後の裁きを前倒しにして、悪魔崇拝集団を地獄へ落として、焼き続けるか、魂を消す。
だから、悪魔崇拝集団は、信者を殺したくない。
信者が死なないシステムを作る。
信者が多い国へ移住したくないし、手を出したくない。
信者が多い国の支配権をヘタに手に入れてしまうと、信者の扱いに慎重にならないといけなくなる。