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箴言の解釈 信仰後の真実探求は数万倍 未経験の経験談 ウィキの間違い 自給は自衛にならない

1、箴言の解釈

さて、子らよ、わたしに聞き従え。
わたしの道を守る者は、いかに幸いなことか。

箴言 8章32節 新共同訳

幸福・幸せとは、神の掟を守る者だけに与えられる。
神の信者以外の幸福は偽物である。

神に従う人の収入は生活を支えるため
神に逆らう者の稼ぎは罪のため。

箴言 10章16節 新共同訳

神の信者の収入は、どのような収入だろうと生活のために神から与えられた財産である。

神に従う人の望みは常に良い。
神に逆らう者の期待は怒りに終る。

箴言 11章23節 新共同訳

神に逆らう者が政治に期待を抱いても、期待が外れて怒りに終わる。
怒りは神の義を現さない。

人の怒りは神の義を実現しないからです。

ヤコブの手紙 1:20 (新共同訳)

神に従う人は家畜の求めるものすら知っている。
神に逆らう者は同情すら残酷だ。

箴言 12章10節 新共同訳

神の信者なら、牛や鶏の家畜が望んでいるアニマルウェルフェアに気付くから、動物愛護を基本にして、ケージ飼育などの過酷なやり方をしない。
欧米が昔にケージ飼育などをやっていたのは、欧米は偽装キリスト教団に支配されているからだ。

非信者の同情は的外れだから、残酷な結果になる。
例えば、非信者が移民などに対して同情的に接しても、結局は移民が増長して犯罪をして、懲罰や復讐で惨殺される。
神を信じない者が他人に優しくすると、他人の人生を台無しにする。

善人は孫の代にまで嗣業を残す。
罪人の富は神に従う人のために蓄えられる。

箴言 13章22節 新共同訳

神の信者は、孫の代まで財産や家業を残す。

非信者は、金を溜めても、信者を生かすために使われる。
貯金をしても、その貯金の裏付けで政府は国債を発行して、中央銀行が購入して、その財源で社会福祉や経済成長を実行して、信者が暮らしやすい社会を作るために使われる。

魂の苦しみを知るのは自分の心。
その喜びにも他人はあずからない。

箴言 14章10節 新共同訳

他人は、こちらの苦しみも喜びを感じる事はできない。
自分の聖書解釈は、自分と神の間の話であって、他人は関係ない。参考にはできても、最終的には自分自身で聖書を解釈して、自分と神の間の話を作る必要がある。

正しく答える人には喜びがある。
時宜にかなった言葉はいかに良いものか。

箴言 15章23節 新共同訳

時宜とは、ちょうどいい事。その時に合った適切な言葉の事。
今の人たちに判る聖書解釈をするべきである。
百年後千年後の人の事まで考える必要がない。
自分の聖書解釈が後の人にも信仰される事を狙って、いかにもな聖書解釈をするのは、自己顕示欲が強すぎる。
今の人たちに伝わる聖書解釈をするだけで十分である。
百年後の聖書解釈は百年後の人たちが自分たちでやるものだ。
明日の事は明日の自分が考える。

だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」

マタイによる福音書 6:34 (新共同訳)

あなたがたには自分の命がどうなるか、明日のことは分からないのです。あなたがたは、わずかの間現れて、やがて消えて行く霧にすぎません。

ヤコブの手紙 4:14 (新共同訳)

人間は明日の事も判らないのだから、百年後千年後の事を思い煩うのは意味のない事である。

2、信仰後の真実探求は数万倍
俺は、天の主を信じる前よりも、信じた後の方が真実を何万倍も探している。
神を信じる前も、それなりに真実は探していたけど、神を信じた後の数万分の一ぐらいしか真実を探していなかった。

3、未経験の経験談
一度も死んだ事のない人間の死後の話を信用するのか。
一度も信じた事のない人間の信じた後の話を信用するのか。
一度も宗教を信じた事がないのに宗教は思考停止と言っている人間が存在する。宗教を信じた事がない人間の宗教の話を信用するのか。
一度も天の主を教えを信じた事のない人間の話を信用するのか。
一度も信じた事のない人間の信じた後の話を信用するのか。
一度も死んだ事のない人の死後の話や、一度も信じた事のない人間の信じた後の話を信用する人は、まずは基本的な論理の勉強をした方がいい。
論理力がない人は、一度も経験した事のない人の経験談を妄信する。
経験してない人の経験談を信用してはいけない。
未経験者の経験談を信じてはいけない。
そもそも、その宗教を経験した人が思考停止と言うけど、その宗教が本物なのかカルトなのか証明していない。
証明しないで話を進めるから、おかしな事になっているのに気付かない。
偽物を妄信しただけなのに、なぜか本物までインチキ扱いする。こういう本物と偽物の区別が付かない人は、カルトに騙される。
まず、本物と偽物の区別が付く能力を持っている事を証明する必要がある。

人間は衣食住さえ最低限でもあれば、真実を知らなくても生きていける。
生きているから真実を知っているなんて考えは思い上がりである。
真実を知る状態とは、真実を知っている状態の事を指す。
生きていても真実を知っている証拠にならない。
出世しても真実を知っている証拠にならない。
こういう簡単な事も判らないと騙される。

伝統に訴える論証は、伝統的に続いているから正しいに決まっているという論理的な間違いである。
権威に訴える論証は、あの人が言っているから正しいに決まっているという論理的な間違いである。
衆人に訴える論証は、多数派が言っているから正しいに決まっているという論理的な間違いである。
新しさに訴える論証は、新しいモノが正しいと決め付ける間違いである。

新しいのは新しいというだけで正しいとも間違いとも言えない。
古いのは古いというだけで正しいとも間違いとも言えない。

伝統に訴える論証で死後がないと言っている人は、この数十年の科学主義の伝統で死後がないと言うだけだから、死後がない証拠にはならない。
権威に訴える論証で死後がないと言っている人は、権威者の学者が死後がないと言うだけだから、死後がない証拠にはならない。
衆人に訴える論証で死後がないと言っている人は、死んだ経験のない人間が集まって死後がないと言うだけだから、死後がない証拠にならない。
新しさに訴える論証で死後がないと言っている人は、数十年程度の最近の思い付きで死後がないと言うだけだから、死後がない証拠にならない。

話が変わるけど、アメリカの再チャレンジについて、アメリカに住んでいるからと言ってアメリカの事が判っている証拠にはならない。
こんな簡単な事も判らない移住者が存在する。
日本で生まれて日本で育ったのに日本のシステムを全く判っていない人間も存在するぐらいだ。
こういう思い上がりをする人間を「経験に訴える論証」というのだろう。
経験者だから経験していない人間より正しいという、全く根拠になっていない根拠で自信満々に増長している奴。
その経験が本物かどうかすら証明できないのに、よく経験者なんて自称できるモノだ。
アメリカで再チャレンジできるのは、アメリカは世界中から金を搔き集めているから、とりあえずチャレンジの資金が余っているから、他の国に比べてチャレンジしてもいいだけである。
アメリカが文化とか優しさで寛容なのではなくて、単に金があるから寛容なだけか、常にチャレンジしないと国力を保てないから現実的な理由で再チャレンジに寛容なだけである。
アメリカに何年も移住していながら、自慢できるのが未経験者に移住経験でマウントを取るだけなんて、自分が恥ずかしくならないのだろうか。
まあ、恥ずかしくならない神経だから成功できないのだろう。
スポーツで例えるなら、数年スポーツをしておきながら、自慢できるのは未経験者に経験年数でマウントを取るだけ。自分が情けなくならないのか。
勉強で例えると、数年の勉強をして、自慢できるのは勉強していない人に勉強の経験年数でマウントを取るだけ。一流大学に合格した自慢がないなら、合格できなかったのだろう。
この程度の論理学を知らない上に、教えてくれる友人が居ないのだから、アメリカでまともに成功できていないのはハッキリ判る。

4、ウィキの間違い
ウィキの衆人に訴える論証で間違っている部分を指摘する。

地球外生物が存在すると88%の人々が信じているのだから、地球外に知的生命体は実在する。

衆人に訴える論証 - Wikipedia

球体地球は存在しない。銀河宇宙も存在しない。この世はフラットアースである。

世界中の大多数が神を信じているのだから、神は実在する。

衆人に訴える論証 - Wikipedia

人間が信じようが信じまいが神は存在する。
なぜ、人間が信じるかどうかで存在するかどうかが決まると思うのか。
根本的におかしい人がウィキで記事を書く。

キリスト教信者は世界で最も多いのだから、その教義は真実に違いない。

衆人に訴える論証 - Wikipedia

神の教えは正しいけど、キリスト教信者を自称している人間の99%以上は偽装キリスト教団に騙されている。
だから、偽装キリスト教団の教義は偽物である。

衆人に訴える論証は、民主主義がどのようにしてその原則の犠牲となるかを説明する(プロパガンダナチス・ドイツ参照)。

衆人に訴える論証 - Wikipedia

民主主義は存在しない。
選挙は不正選挙である。投票数は捏造される。
民主主義は、人々を黙らせてコントロールするためにサタン側がでっち上げた価値観である。

5、自給自足は自衛にならない
自分の身を守る方法は、天の主に立ち帰る事だけ。
田舎で自給自足をしても自衛にならない。
サタン側が人々を惑わすために、田舎で自給自足をしたら自衛できるとミスリードしているのである。
自給自足のために時間を使うと、その分だけ神に立ち帰る時間がなくなるし、自給自足で安心して満足してしまって神に頼ろうとしなくなる。

サタン側は神の信者を殺したくない。
信者を殺すと神が怒って、この世をソドムとゴモラのように滅ぼして、最後の裁きを前倒しにして、サタン側を焼き続けるか魂を消すからだ。

そのときには、世界の初めから今までなく、今後も決してないほどの大きな苦難が来るからである。
神がその期間を縮めてくださらなければ、だれ一人救われない。しかし、神は選ばれた人たちのために、その期間を縮めてくださるであろう。

マタイ福音書 24章21節22節 新共同訳

終末の時に苦難が来るけど、神に選ばれた人たちのために、神はその期間を縮めてくれる。
あくまでも神の信者にとって助かる期間短縮の前倒しであって、非信者にとっては助かったとは感じない縮め方である。
だから、神の信者なら、その短縮される時までは生き延びる事ができる。予防接種を受けず、変な遺伝子変造を受け入れず、飢饉や戦争のでっち上げにも惑わされない。
自給自足なんて言っている人は、そういう自給自足をする体力のない神の信者は救われないと思っているのだろうか。
信仰心がないから、何をしたら助かるか判らないのである。
神を信じた人は、神の信者ならどんな虚弱体質でも助かると判るため、自給自足は意味がないと判る。
自給自足をやりたいなら勝手にやればいい。

神に頼らず、人脈に頼ると、人脈を捨てるのが惜しくなって、人脈が足かせとなり、人脈が地獄へ道連れにする原因になる。
サタン側は、人々に無駄な事や逆効果をやらせて、笑いモノにする。

信仰心のない人たちは、意味のない事に夢中になる人たち。
神に夢中にならないから、別のモノに夢中になって代償行為をする。
人間は何かに夢中になりたい本能がある。その本能は、元々は神に夢中になって幸福になるためのモノである。
サタン側が神の存在を人々から隠して気付かなくしたから、人々は代償行為として何かに夢中になれるモノを探す。

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