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パウロイド 貧民寡婦孤児以外救済したら神が怒る 傲慢と侮辱の定義 来世現世は義人のために有る 背教民衆が勝っても背教ディストピア 妥協の制度 パウロ教団 パウロイドアンチ

1、助ける対象
貧乏人と未亡人と孤児だけ助ければいい。
貧乏の程度は、金持ちとラザロが参考になる。

  • 食べ物を買う金がない。

  • 服を買う金がない。

  • 家を借りる金がない。

  • 治療費を払う金がない。

  • 犬から守ってくれる人が居ない。

このような貧困の程度が聖書的な貧乏の基準である。
人生で苦しい程度では助ける必要はない。
アメリカみたいに「幸せに見せないといけない圧力で苦しい」程度では、助ける義務はない。
差別されて苦しい程度でも、助ける義務は有るかどうか判らない。
政治的に迫害されたぐらいで助ける義理もあるかどうか判らない。
天の主は、信者や使徒が宗教的に迫害されて殺されても助けない。
迫害されて一人前だから、むしろ喜べと聖書に書いてある。
その迫害された中で、貧乏になったら助ければ良いけど、貧乏でもないなら助ける必要はない。
殺されると言っても、信者なら本望だから助ける必要はない。
信者だからと言って助けると、信者に偽装する奴らが出てきてしまう。
貧乏人を全て助けて、リソースが余ったら助けても良いだろうけど。
貧乏人を全て助けていないのに、迫害された人を優先したらダメ。
餓死者が0人になっていないのに、迫害された人を助けても意味ない。
犯罪集団ですら身内を助けるのに、迫害仲間を助けたところ功績はない。
「苦しんでいる人を助けろ」ではなく、「貧乏人を助けろ」だから。
苦しんでいる人を助けたら、苦しんでいるアピールの上手い人間だけが、不当な利益を得るようになる。
「辛いねん」とかネットでアピールするような者が、不当に利益を得るようになる。
困っている人を助けるのでは、目の前で困っている演技をするのが上手い人だけが有利な社会になってしまう。
金持ちとラザロで、ラザロは神を信じている描写が無いから、神を信じていなくても、貧乏なら無条件で天国へ入れる。
だけど、余裕のある人は、貧乏人を助けなければ天国へ入れない。
貧乏人が苦しんでいなくても、助ける義務がある。
貧乏人が助けなくて良いと自己申告しても、助ける義務がある。
中流や金持ちが苦しんでいても、助ける義務はない。
それどころか、金持ちの苦しみを助けたら、神が怒るかも。
自分が助けたいと思う人を助けても、ただの依怙贔屓だから人助けの功績にはならない。

2,寡婦や孤児を助ける
寡婦とは未亡人の事。
その未亡人の性格が嫌いでも、助けろと神が言っている。
孤児が気に食わなくても、神は孤児を助けろと言っている。
自分の気分に関係なく、未亡人と孤児を助けろと神が言っている。
貧乏人が感謝しないからと言っても、そんな感謝の見返りを要求してはいけない。
見返りを要求した時点で、もはや慈善事業ではない。
見返り目的の取引でしかない。
金と感謝を取引をしているだけだ。
夜の接客業へ遊びに行くのと何が違うのか、説明してみろ。
天の主に感謝をするように要求するなら良い。

3、しかし背教者は助けてはいけない
偶像崇拝している背教者を助けたら、神が怒る。

この教えを携えずにあなたがたのところに来る者は、家に入れてはなりません。挨拶してもなりません。

ヨハネの手紙2 1章10節 新共同訳

背教者に対して、排除するだけ、受け入れないだけ。
旧約の時代なら、背教者を積極的に殺していた。
新約の時代だと、背教者を消極的に見殺しにすることになっているかもしれない。
積極的に殺さなくなったのに、背教者は何が不満なのか。
背教者は漬け上がりすぎで、こういうのを傲慢というのだろうか。
背教者を助けるのは、自力で改心するように誘導するしかない。
ただ、背教者でもラザロ並みの貧困だと天国へ入れるかどうか、ちょっと判らないな。
ラザロが背教者かどうかの描写もなかった。
背教者でもラザロ並みの貧乏だと無条件で天国へ入れるのか、考察するために貧困背教者だけは保留する。

4、ただし、余裕のある者だけが助ける

新約聖書:ルカによる福音書:12章:48節
しかし、知らずに打たれるようなことをした者は、打たれ方が少ないだろう。多く与えられた者からは多く求められ、多く任せられた者からは更に多く要求されるのである。

助ける義務と言っても、余裕のない人間は、別にやらなくていい。
「多くを与えられた者からは多く求められ」と聖書に書いてあるから、「与えられなかった者は求められない」と解釈できる。
自分がラザロみたいに貧しいなら、貧しい人間を助ける義務はない。
助けると、ラザロみたいに貧しくなるギリギリの人も助ける義務はない。
聖書的に許される生活レベルは、マイホームで、数百万円の医療費の貯金が有り、高級ではない普通車で、飲んで食べて愉快に遊園地とかで遊べるぐらいだろう。
それを超えて余裕が有る時だけ、貧乏人を助ければいい。
俺は、1枚300円のTシャツを買うような生活だから、まともに民族服が買えないぐらいだ。

5、人助けにも優先順位が有る
まず、貧乏人を助ける。
次に、未亡人や孤児を助ける。
次に外国人かも知れない。
ただ、今の時代に外国人なんて助ける必要があるのだろうか。
旧約時代ならともかく、新約時代なら、全ての人々に天国へ入る門戸が開かれている。
だから、わざわざ外国人を自国に招いて助けなくても、外国人の祖国で助ければ良いと思う。
聖書で書いている「異邦人を助けろ」というのは、旧約で言う「敬虔なイスラエル人を助ける異邦人」が天国へ入れるから、一緒に住んで天国へ入るチャンスを与えろ、という意味がある。
だから、新約の時代で、なんで入国させる必要があるのか。
元の祖国で援助すればいいだろう。
別の国へ移住させて助けてもいいだろう。
そもそも、外国人を助けろと聖書で書いているのは、たいていの場合、外国人は助ける家族が居ないからだ。
そうなると、今の時代は、元の家族の意見を電話とかで聞けるのだから、今の時代で助けるというのが良く判らない。
聖書でも、旧約は寄留者を助けろと書いているけど、新約になると外人を助けろという文言が少なくなっていく。
未亡人と孤児は助けろと新約でも出てくる。
未亡人と孤児を食い物にするな、迫害するな、という文言は新約でも出る。
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6、救済してはいけない
差別されていると、主張するような連中を助けると、神が怒る。
そうでなくても、背教者を助けたら怒る。
信念が無いから、ダラダラ富を垂れ流して助ける。
善行っぽい事にアレコレと締まり無く手を出すのは、信念や信仰が無いからだ。
善人と思われたくて、チヤホヤされたくて、心に芯が無いから、ダラダラと援助の手を出してしまう。
天の主は、自分の信者が迫害されて殺されても助けない。
迫害されて一人前だから喜べと言っている。
迫害された信者を助けると、信者を偽装する連中が出てくるから、助けないのだ。

7、家族愛は背教行為
本当の家族は、同じ信者だけ。
イエス・キリストがそう言っている。

だれでも、わたしの天の父の御心を行う人が、わたしの兄弟、姉妹、また母である。」            マタイ福音 12章50節 新共同訳
神の御心を行う人こそ、わたしの兄弟、姉妹、また母なのだ。」
                  マルコ福音 3章35節 新共同訳

新約聖書:ルカによる福音書:14章:26節
「だれでも、父、、妻、子、兄弟姉妹、さらに自分の命までも捨てて、わたしのもとに来るのでなければ、わたしの弟子となることはできない。

サタンは家族愛で騙して地獄へ道連れにする。
家族の誰か一人を騙せば、全員を騙せるからだ。
家族だからと言って、助けてはいけない。

8、誰でも統治できる
民族主義で一人一人を犠牲の生贄にして良いなら、誰でも政策は成功する。
だから、民族主義者の主張は愚かなんだよ。
人を生け贄にして良いなら、誰が支配者になっても政治は成功できる。

9、欧米日を弱体化させる世界政府
二酸化炭素とかの政策は、先進国を弱体化させて、世界中を平均化して、世界政府を作りやすくするための、闇の勢力の策略だ。
だからといって、先進国は背教国家だらけだから、先進国を支持しようなんて思わない。
これからの世界支配では、アメリカのような飛びぬけた国が、闇の勢力にとって邪魔なのではないだろうか。
どの道、アメリカは偽装キリスト教団の背教国家だから、俺は支持するつもりはない。
米ソ冷戦もヤラセだろう。
闇の勢力の内部でのランキング争いや方針の違いで、先進国を弱体化させる方向で決定したのではないだろうか。
世界政府が勝とうが、国粋主義者が勝とうが、どっちだろうが背教ディストピアだから、どちらに肩入れしても時間をドブに捨てる。
どこの背教者が勝っても背教ディストピアになるから、応援するだけ時間の無駄。
大衆が勝てばマシと思っている時点で、まだ民族主義の背教に毒されていると自覚した方が良い。
背教集団である背教大衆が勝っても背教ディストピアになる。
別の背教者が勝ったら、今までの背教ディストピアとは別の、どんな背教ディストピアになるのだろうか。
というか、全ての背教者は、自分が勝ったらどんな背教ディストピアにするのか、前もって言ってくれないだろうか。

10、来世は有る

むしろ義人がいかにして救われるかをたずねなさい。来世はかれらのもの、かれらのためにつくられたのだ。

第四エズラ書 9章13節 旧約史書外典下 講談社文芸文庫 関根正雄編 新見宏訳

次の世に入って死者の中から復活するのにふさわしいとされた人々は、めとることも嫁ぐこともない。
この人たちは、もはや死ぬことがない。天使に等しい者であり、復活にあずかる者として、神の子だからである。

ルカ福音書 20章35節36節 新共同訳

イエス・キリストや天の主が、聖書の他のところで、何度も死後の世界があると書いている。

11、この世も義人のモノ
背教者にとって世界は悪政で住みづらいだろう。
しかし、敬虔な信者にとっては、割と暮らしていける。

背教権力者と背教権力者の間で争う。
背教権力者と背教大衆の間で争う。
背教権力者と背教個人の間で争う。
背教大衆と背教大衆の間で争う。
背教大衆と背教個人の間で争う。
背教個人と背教個人の間で争う。
今までの背教者同士の戦争や争いの歴史は、全てこれで説明が出来る。

新約聖書:マタイによる福音書:24章:7節
民は民に、国は国に敵対して立ち上がるであろう。またあちこちに、ききんが起り、また地震があるであろう。
新約聖書:マルコによる福音書:13章:8節
民は民に、国は国に敵対して立ち上がるであろう。またあちこちに地震があり、またききんが起るであろう。これらは産みの苦しみの初めである。
新約聖書:ルカによる福音書:21章:10節
それから彼らに言われた、「民は民に、国は国に敵対して立ち上がるであろう。

この争いによって、背教者は死ぬのが嫌だから、過剰な争いにならないように、妥協の産物としての制度と利権の分配が実行される。
敬虔な信者は、天の主のために「地上での命」を捨てるから、死ぬのが嫌で妥協なんてしない。

新約聖書:ルカによる福音書:14章:26節
「だれでも、父、母、妻、子、兄弟、姉妹、さらに自分のまでも捨てて、わたしのもとに来るのでなければ、わたしの弟子となることはできない。
新約聖書:ヨハネによる福音書:12章:25節
自分のを愛する者はそれを失い、この世で自分の憎む者は、それを保って永遠のに至るであろう

強欲な背教者が渋々で受け入れて「僅かと思う利権」の条件でも、敬虔な信者は欲が少ないから「多大な利権」と「十分な制度」になるから、割と暮らしていける。

新約聖書:ペテロの第一の手紙:2章:13節
あなたがたは、すべて人の立てた制度に、主のゆえに従いなさい。

制度に従いなさいとは、天の主が用意して行ってくれた恵みである。
信者がディストピアでも生きていける配慮をしてくれた。
だから、この世も義人(敬虔な信者)のモノである。

というのは世界は義人の守り手だからだ

ソロモンの知恵 16章17節 講談社文芸文庫 関根正雄訳

戦争や争いは、背教者に対する神の天罰である。
だから、背教者同士で勝手に争って、勝手に妥協したら、敬虔な信者にとって、割と暮らせる制度になる。

12、認定だけ
妙な液体で被害を受けた人だけを認定するのだから、分断統治をやりたい放題だ。
ある人には支給して、別の人には支給しなければ、簡単に団結を分裂させる事が可能だ。
こすズルいこと考えたものだ。
支給された方は、だんまりになる。
支給されなかった方は、支給された方を逆恨みするようになる。

13、探さなかった罪
妙な液体の推進派は、聖書を知らない言い訳は通用しない。
5000億部の世界一のベストセラーを知らない言い訳は通用しない。
警告したのに、読まないのは通用しない。
探せと神は言っているから、探さなければ、探さなかった人の罪になる。

しかしあなたたちは、その所からあなたの神、主を尋ね求めねばならない。心を尽くし、魂を尽くして求めるならば、あなたは神に出会うであろう。

申命記 4章29節 新共同訳

「尋ね求めねばならない」だから、命令形。

疫病は背教者に対する神の天罰だ。
その天罰を妙な液体で蹴散らそうというのは神を冒涜している。
接種者は背教者と同じであり、尋ね求め探さなければ罪になる。
無知なだけの接種者なら、反省して、聖書を読んで、神に立ち帰れば、許される。

14、他人の解釈に自分の死後の天国か地獄かを賭ける人々
聖書という原典を読まないで、他人の解釈で議論をする人々。
こういう人々は、科学ルールの再現性も、自分で再現実験しないで、他人の物言いを妄信する人々だ。
他人とは、科学者とがテレビや多数決の事だ。これらに死後の運命を託す人々だ。
もしかして、天の主は、突き詰めない人間は要らないのかな。
サタン側がこんなにも中途半端な人間を大量生産するのだから、突き詰めない中途半端な人間は要らないと、神がサタンに作るように命じたのか。
ヨブ記でも、神がサタンに、敬虔なヨブを貧乏にしろと指示したり、病気にしろと命令していた。
他人の解釈で間に合わせる人は、気の合う仲間との雑談の延長線上みたいな生き方をする人だ。こういう人間は要らないと神が言っているのかも。

15、傲慢の定義
この世界は神の私有地である。
神の私有地で、神に従わないのは傲慢である。
日本で日本人に対して、神の私有地で身勝手な事をしていると言われると、日本人はイラ立つ。
日本人がイラ立つから、偽装キリスト教団は、当たり障りの無い曲解で傲慢の定義を「他人に対する上から目線」としているのだろう。
偽装キリスト教団は、信者と金と出世が欲しくて、聖書を曲解する。
「神に従わないのが傲慢の定義」にするのと、
「他人に上から目線が傲慢の定義」にするのでは、
全く違う。

16、傲慢の定義が判る肌感覚
俺が傲慢の定義が肌感覚で判る根拠は、毒親の態度である。
親が、信者である俺に対して侮辱すると、俺は神に対する侮辱と判断して、親の悪行を糾弾しまくった。
そしたら毒親は逆切れして絶縁宣言してきたから、むしろ清々した。
俺に対する侮辱は特に何とも思わなかったけど、神に対する侮辱が心の底から激怒した。
毒親は今までそういうやり方であしらってきたのだろう。
しかし、俺が天の主に立ち帰って、天の主が守ってくれる状態になったら通用しなくなって、毒親は逆切れしただろうな。
昔から、毒親はそういう感じだから。
俺が神に立ち帰るまでは、そういうやり方で通用したのだろう。

17、神の作品
信者は神の私物なのだから、信者に対する侮辱は、神の私物に対する侮辱であり、神に対する侮辱になる。
信者は神の作品だから、作品に対する侮辱は、作者への侮辱になる。
背教者は、神の私物ではないし、神の作品でもない。
背教者は、何か良く判らんけど、勝手に自然発生して出来上がったゴミのようなモノ。
人間が生きてると老廃物が出るように、家で生活するとゴミが出るように、「神の私有地である地上の世」でも背教者が発生するのだろう。

18,地獄は焼却処分場
何か、地獄を楽しいものと思っている背教者が存在する。
天国は神の私有地だし、この世も神の私有地だし、地獄も神の私有地である。
地獄は焼却処分場としての役割が有る神の私有地である。
背教者を焼却処分するために神が地獄を作ったのだろう。
千年か一万年ほど焼くと思うけど、縛り付けるだけかもしれない。

19、信者同士は仲良く
信者同士で争ってはいけないというのは、侮辱が神に対する侮辱になるから、神は止めて欲しいのだろう。
だから、兄弟で互いに悪口を言ってはいけないと聖書に書いてある。
だから、パウロに対しても、過小評価を行き過ぎて悪口になっている部分は謝罪した。しょうもないおっさんとか、トコトン駄目人間とか、無能とか、等身大の評価と関係ない部分は、申し訳ありませんでした。
性格破綻、ファリサイ派の仲間に嫌われ人望が無い、勘当、文才が無い、成長が無い、スポーツの才能がない、逆恨み、職業差別、身分差別、ローマ帝国のサクラに転がされる捨て駒の片八百、暴力気質、相手の気持ちが判らない、異常性、節穴などは、等身大の評価になる。
あくまでも信者同士であって、背教者はどうでもいいのか。
悪口どころか、旧約では背教者を殺していた。

20、立ち帰った理由
父母を敬えと言われても、毒親と説明しないと、どうして立ち帰ったのか説明できない。
傲慢の定義も説明できなくなる。

21、ラザロ
犬から守ってくれる人が居ないと書いたけど、少し考えると、もっと深い意味があるかもしれない。
お礼を期待できないぐらい貧しい、という意味かもしれない。
お礼が期待できるほど金を持っていそうに見えたら、誰でも犬から守ってくれると思う。
つまり、ラザロは、お礼が期待できないと、当時の人からも思われていたことになる。
家族が居なければ、家族からのお礼も期待できないから、守らない。
あと、遺産が期待できるかどうか、という意味もありそうだな。
遺産が期待できるほどの金持ちでないなら、貧しいと定義できそうだ。

22、押し付け
パウロの手紙は九割は正しいから、普通に読む分には良いと思う。
ただし、他人に押し付けたら、異常に厳しいルールで散らす者となるから、神が怒る。

新約聖書:マタイによる福音書:12章:30節
わたしの味方でない者は、わたしに反対するものであり、わたしと共に集めない者は、散らすものである。
新約聖書:ルカによる福音書:11章:23節
わたしの味方でない者は、わたしに反対するものであり、わたしと共に集めない者は、散らすものである。

「わたしと共に」とは、「わたし」は神を指し、「共に」はルールの範囲内の事だ。
だから、神のルールの範囲を超えて、異常に厳しいルールを他人に強要する者は、散らすものと判断される。
パウロの手紙を自分で読む分には許されるけど、他人に強要したら許されない。
パウロの手紙を読ませている集団は許されないのは、その集団が偽装キリスト教団だからだ。
神は、偽装キリスト教団にパウロの手紙を出させるように仕込んだ。

すると、主は言われた。「行け。あの者は、異邦人や王たち、またイスラエルの子らにわたしの名を伝えるために、わたしが選んだ器である。
わたしの名のためにどんなに苦しまなくてはならないかを、わたしは彼に示そう。」

使徒言行録 9章15節16節 新共同訳

パウロは、「異邦人や王たち」である世界中の人々や強者たちに聖書を普及するために選ばれた演者である。
「器」とは、演者と俺は意訳した。
パウロにとってパウロが偽使徒である。
「とある人」にとっての偽使徒が「とある人」にどんな不幸と苦しみを持って来るのか、示すために、神がパウロを使って実演させる。
パウロが生まれた時から、神が実演させると決めていた。

旧約聖書:詩篇:139章:13節
あなたはわが内臓をつくり、わが内でわたしを組み立てられました。

だから、パウロが性格破綻なのも神が決めていた。
特権階級に生まれるのも神が決めた。
ファリサイ派で集団リンチで使徒ステファノを殺すのも決めていたのだろう。
サウロは小さき者という意味らしいから、天国で最小の存在となるのかも。
パウロを実際に、聖人扱いしないで、人間と思って評価すると、あんな感じの評価になる。

23、パウロ教団の役割
パウロ教を広めて、パウロ教団が乱立するように仕向けて、聖書を世界中で発行するように仕向ける。
そして、敬虔な信者はパウロの手紙を強要しないから、パウロの手紙を広めるには、偽装キリスト教団のパウロ教団が必要なのである。
「パウロ」と「パウロ教」と「パウロ教団」と「パウロ教徒」は別々だと思う。
パウロは、等身大のパウロ本人。
パウロ教は、パウロとパウロの言行を偶像化した価値観。
パウロ教団は、パウロを偶像化して布教する団体。パウロ団
パウロ教徒は、美化されたパウロを偶像崇拝する人。パウロ人、パウロイド。

24、留まれ
神は、神ルールの範囲内に留まるように忠告している証拠は、下の通りである。

「うちにとどまって」を探す - 聖書検索(口語訳) (kirisuto.info)

新約聖書:ヨハネによる福音書:8章:31節
イエスは自分を信じたユダヤ人たちに言われた、「もしわたしの言葉のうちにとどまっておるなら、あなたがたは、ほんとうにわたしの弟子なのである。
新約聖書:ヨハネの第一の手紙:2章:24節
初めから聞いたことが、あなたがたのうちに、とどまるようにしなさい。初めから聞いたことが、あなたがたのうちにとどまっておれば、あなたがたも御子と父とのうちに、とどまることになる。
新約聖書:ヨハネの第一の手紙:2章:27節
あなたがたのうちには、キリストからいただいた油がとどまっているので、だれにも教えてもらう必要はない。この油が、すべてのことをあなたがたに教える。それはまことであって、偽りではないから、その油が教えたように、あなたがたは彼のうちにとどまっていなさい。
新約聖書:ヨハネの第一の手紙:2章:28節
そこで、子たちよ。キリストのうちにとどまっていなさい。それは、彼が現れる時に、確信を持ち、その来臨に際して、みまえに恥じいることがないためである。
新約聖書:ヨハネの第一の手紙:3章:9節
すべて神から生れた者は、罪を犯さない。神の種が、その人のうちにとどまっているからである。また、その人は、神から生れた者であるから、罪を犯すことができない。

イエス・キリストの教えを飛び越えて、パウロを崇拝しろなんて、どこにも書いていない。
あと、自分自身がキリスト教を否定していると思っている人は、実際はパウロ教を毛嫌いしているだけである。
パウロイドアンチと言った方が正確な表現だ。
日本人は宗教音痴だから、自分自身が、イエス・キリストを否定しているのか、パウロイドを否定しているのか、区別できない。

25、苦しみと貧乏の違い
苦しんでいる人を助けるのと、貧乏な人を助けるのでは、全く違う。
一、苦しんでいても、苦しいのは本当でも金持ちなら、助ける必要はない
二、苦しんでいても、実際はただの苦しいアピールの金持ちの場合なら、助ける必要はない。
三、貧乏だけど、苦しいと感じていない貧乏人は助ける必要がある。
四、貧乏だけど、苦しいと思っているけど言わない人も助ける必要がある。
五、貧乏で苦しいと言う人は、助ける必要がる。

そういうわけで、困っているアピールの上手い人間を助けると、神が怒る。
世界で餓死者を0人に出来ていないのに、リソースを餓死者救済に使わず、アピールの上手い人間に与えてしまうと、神が怒る。

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