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無宗教は傲慢教 勉強 謝罪 中共 教育法 群れ 金と地位は無駄 12歳の姉さん女房

1、無宗教
サタン側の手口は次の通り。
宗教を格好いいと思う人を偽装キリスト教団や悪魔崇拝へ誘導。
宗教を格好悪いと思う人を無宗教(サタンカルト)へ誘導。

自分の頭で考えるのが優れた事だと思い上がっているのが、無宗教者のサタンカルトに多い。
サタンは傲慢だから、人間を傲慢にしようと罠を張り巡らせる。そして、思い上がった傲慢な人間ほどサタンカルトになる。

洗脳を説く方法に「自分の頭で考えていると思うな。最悪、誘導されていると思え」というのがある。
思考力があるかどうかは神が計画した事である。

あなたは、「自分の力と手の働きで、この富を築いた」などと考えてはならない。
むしろ、あなたの神、主を思い起こしなさい。富を築く力をあなたに与えられたのは主であり、主が先祖に誓われた契約を果たして、今日のようにしてくださったのである。

申命記 8章17節18節 新共同訳

「富を築く力をあなたに与えられたのは主であり」とあるから、自分の力で富を築き上げたと思い上がってはならない。
富とは、思考力も富の源泉になる。
自分の思考力も天の主が用意してくれたモノである。

他人に比べて自分は優れているから騙されないと思っている傲慢な人間ほど騙されて洗脳される。
平均より優れた人間ほど傲慢カルトに洗脳される。
実際、本当に優れていたりするから、洗脳から脱出しづらい。
あと、劣っている癖に、自分が優れていると思い上がる奴も洗脳される。俺も平均知能より低い劣った人間なのに、自分が優れていると思い込んで傲慢になっていたけど、神と聖書に出会ってから直すように努力している。

こういう傲慢な人間は、常に不安にさいなまれている。
不安な精神状態では思考力がまともに働かないから、思い上がって無宗教を気取って洗脳される。
安心の精神状態で本当の思考力が働く。神に立ち帰る事で本当の安心が手に入る。迫害や冤罪で死刑になっても殉教になって天国へ入れるから安心である。天国へ入るのが目的だから、迫害や冤罪が来ても殉教になるから安心できるのが信者だ。
サタンカルトで多数派に属して群れても、いつ自分がスケープゴートにされるか常に不安な状態で苦しむ。この世で常に不安な上に死後は地獄へ落ちるから、無宗教を気取るせいで踏んだり蹴ったりである。

テレビで知能指数の低い人間を大量に出すから、テレビを見ていると自分が優れた人間だと傲慢になる危険性があるから、テレビを見ない方がいい。
テレビは、IQよりもEQの低い人間を出しているから、視聴者は自分が優れた人間だと思い違いをする。

2、サタンの子
サタンの子についての聖書箇所。

ヨハネによる福音書 8:44 (新共同訳)
あなたたちは、悪魔である父から出た者であって、その父の欲望を満たしたいと思っている。悪魔は最初から人殺しであって、真理をよりどころとしていない。彼の内には真理がないからだ。悪魔が偽りを言うときは、その本性から言っている。自分が偽り者であり、その父だからである。
ヨハネの手紙一 3:10 (新共同訳)
神の子たちと悪魔の子たちの区別は明らかです。正しい生活をしない者は皆、神に属していません。自分の兄弟を愛さない者も同様です。

神に属していない者がサタンの子であり、神の掟を守らない生き方をする。
多数派に迎合するのも、「サタンの子」「サタンカルト」の生き方だ。
天国に入る人は少数派だと断言されている。

3、勉強
無宗教に騙されて時間をドブに捨てたけど、その経験は無駄ではない。
同じ経験をした者を説得する材料になる。
学校の勉強も時間をドブに捨てたけど、同じ経験をした人を説得するのに役に立つ。

サタン側が用意したエセ科学を妄信する癖に、そのエセ科学すら勉強しない無宗教が存在する。
無宗教者は、似非科学を信じるけど似非科学を勉強しない。
偽装キリスト教団の偽クリスチャンも信じる癖に聖書を読まない。

無宗教者の評価の方法は、無宗教徒同士・傲慢教徒同士で馴れ合っているだけの自己採点だから、本当にどうしようもない。
まともに人を育てようと思ったら、自己採点や相対評価ではなく、絶対評価が必要になる。
だからといって、絶対評価だけだと息が詰まるから、神に反しない範囲内で自分の好みを選んでもいい。
信者同士で励まし合っているから、神に反しない範囲内で歓談をしているのだろう。

勉強は、用意されたモノだけやっても意味がない。
用意された勉強だけやるのは、勉強しない時代の人間と同じである。
自分の意識で勉強する必要がある。
それも、用意された勉強に対して、気が向いたから用意された勉強をするのでは意味はない。
用意されていない勉強を自分で探して勉強する事に意味がある。
例えば、教養の本を読むとか、古典を読むとか、俺みたいに中国の兵法・儒教・法家などを読むとか。

4、謝罪
「神に従うと楽しめない」と言っている人に対して、「来世でやれ」と言ったけど、語弊が大きいから撤回して、「今の世は罪の償いのために生きている」と言い換える。
申し訳ありませんでした。
来世に成ったら、もはや欲望などで惑わされないのだから、来世でやる必要もない。

5、中国共産党
努力すれば何とかなると思っている世間知らずが多い。
サタンに魂を売らないと出世できないのに、努力すれば出世できるという脳みそお花畑が存在する。

就職先を用意しない癖に勉強の努力をさせる中国共産党。
人々を不安と競争心で洗脳して、神に立ち帰れないようにするのが目的なのである。これがサタン側の手口だ。
中国共産党の党員が財産を盗んで外国へ持ち逃げしているけど、その金を国内の雇用創出に使えば、失業者なんか発生しない。
最初から人々を苦しめるのが目的で共産党に権力を握らせたのがサタン側である。
ただし、党幹部が金の持ち逃げをしないなら、サタン側は中国を経済成長させなかったのだろう。
今の中国人は、苦しくても神に立ち帰らないで、即物的なカルトへ縋りつくから、サタンの手下の共産党は中国人を苦しめる。背教へ追い込んで地獄へ道連れにするのが目的だからだ。
俺は毒親との金銭トラブルで極貧生活の苦しみがあったから、天の主へ立ち帰った。
日本人は苦しいと真実に気付くから、サタンは日本人を傲慢にするために先進国に仕立て上げた、と前に書いた。

6、教育法
詰め込み教育をする人は、何で子供に向かって難しい話をするのだろう。
大人同士で高度な議論をしているのを子供に聞かせればいい。
子供は賢いから、大人同士で高度な議論をしているのを聞けば、数年で理解できるようになる。

大人同士で難しい話ができないのに、子供に難しい話を暗記させて意味があるのだろうか。

7、群れ
神に立ち帰るために信者同士で励まし合うのは良い事である。
しかし、励まし合うのが目的になると危ない事には気を付ける必要がある。
励まし合うのは、天国へ入るための手段や、聖書解釈の参考だから、目的にしてはいけない。

集まるなら意味のある協力をする必要がある。
意味もなく群れるのは危ない。
多数派におもねってはならないと聖書にある。

あなたは多数者に追随して、悪を行ってはならない。法廷の争いにおいて多数者に追随して証言し、判決を曲げてはならない。

出エジプト記 23:2 (新共同訳)

家畜の動画を見ていたら判るけど、意味のない群れをする場合がある。
神が家畜を例えに出して聖書に書くのは、家畜を観察したら多数派に迎合する自分の愚かさが理解できるからだ。
天の主が家畜を例えに出してくれるのは、いつの時代でも、どの国でも家畜が存在するからだ。そして、家畜なら、人間にとって、最も判りやすい例えになる。
家畜の例えが判らない人間や、気に入らなくて受け入れないなら、どうしようもない。これ以上に判りやすい例えはないから、この例えで受け入れないなら、他の例えをしてくれる人を自力で探すか、自分で考えるしかない。

牙・角・爪という武器を切られて、去勢されるのが家畜である。
サタン教・無宗教・傲慢教を妄信していても、搾取されて、抵抗の意志という武器を切り取られて精神的な去勢をされて、最後は食い物にされて、地獄へ落ちるだけ。
傲慢教は、普段は強がっていても、逆境や緊急事態になると、同調圧力で脅迫されて腰砕けになって、流されて薬害を注射される。

家畜小屋の中で優劣争いをしても、ラットレースと同じである。
ラットレース 自嘲 - 検索 (bing.com)
ラットレースは、アメリカのエリートが自嘲して言っていたりする。
ラットレースからの脱出で金持ちを目指すという話がある。
資産家になっても、本当に資産を持っているかどうかも怪しい。サタン側が、そういう金持ちの役割を与えているだけの役者かもしれない。
金持ちが存在するから、金持ちを目指せと競争心を煽る。実際は、誰も金持ちに成れないのに、ニンジンをぶら下げられて夢中になる。

本当に大金を持っていても、サタン側がいつでも工作でハメて、没収したり、刑務所へ送り込んだり、暗殺できるのだから、大金なんか持っていないのと同じである。
絶対に失わない資産だけが本当の資産である。そんな資産は、教育とか技術とか、そういうモノだけだ。しかし、教育すら、結局はサタン側の工作で悪行を捏造されたら、社会生命を抹殺されて失う。
金もそうだけど、社会的地位も同じだ。サタン側がいつでも工作でハメて、社会的地位を失墜させる事ができるのだから、肩書なんて有っても、無いも同然である。だから、肩書なんか目指しても無駄である。
唯一、意味のある資産は、神への信仰心だけだ。迫害や冤罪で殺されても、殉教になるから、天国へ入れる。これが天に富を積む行為である。

マタイによる福音書 6:20 (新共同訳)
富は、天に積みなさい。そこでは、虫が食うことも、さび付くこともなく、また、盗人が忍び込むことも盗み出すこともない。
マタイによる福音書 19:21 (新共同訳)
イエスは言われた。「もし完全になりたいのなら、行って持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」
マルコによる福音書 10:21 (新共同訳)
イエスは彼を見つめ、慈しんで言われた。「あなたに欠けているものが一つある。行って持っている物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」
ルカによる福音書 12:33 (新共同訳)
自分の持ち物を売り払って施しなさい。擦り切れることのない財布を作り、尽きることのない富を天に積みなさい。そこは、盗人も近寄らず、虫も食い荒らさない。
ルカによる福音書 18:22 (新共同訳)
これを聞いて、イエスは言われた。「あなたに欠けているものがまだ一つある。持っている物をすべて売り払い、貧しい人々に分けてやりなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」

慈善事業が天に富を積む行為と書いてある。
資産形成は、天に富を積む行為だけである。

中途半端に知能が高いと、サタン社会で出世させてもらえるから、未練を捨てられなくて、死ぬまで神に背き続けて地獄へ落ちる。
中途半端な才能を持つ方が危険と言われるのは、生兵法はケガの元、などのコトワザでも昔からよくある。
中途半端に才能がある人は、真実に気付くほど頭がいいわけでもなく、頭が悪すぎて神に救いを求めて真実に気付くわけでもない。
中途半端な知能が最も危険である。

8、移民
労働者不足で何で外国人が来てくれると思っているのだろうか。
日本人は逃げ場がないから逃げられないだけ。

9、12歳の姉さん女房
聖書では、父親同士が自分の子供の結婚相手を探す。
新約聖書で少女の年齢が12歳と出てくる。

新約聖書:マルコによる福音書:5章:42節
すると、少女はすぐに起き上がって、歩き出した。十二歳にもなっていたからである。彼らはたちまち非常な驚きに打たれた。
新約聖書:ルカによる福音書:8章:42節
彼に十二歳ばかりになるひとり娘があったが、死にかけていた。ところが、イエスが出て行かれる途中、群衆が押し迫ってきた。

マルコ福音書の方の12歳は、既に死んでいたけど、イエス・キリストが「眠っているだけだ」と言って蘇らせた。
12歳が何らかの節目なのだろう。
許嫁は、昔から姉さん女房が主流だったのだろうか。
聖書では、年下の妻を嫌がる人が多い。
イエス・キリストの地上の父ヨセフは、年下が妻になるのを妙に嫌がっていたらしい。外典でそんな感じの描写がある。
モーセは血縁のおばを妻にしたようだし。
アブラムは、妹を妻にしたとあるけど、本当に妹かどうか判らない。姉かもしれない。
ダビデも、年老いてから、家来が用意した年下の妻に対して温かくならなかった。
他にも妻が年下だと確実に判る事例は、ほとんどない。
そもそも、妹と書いてあっても、姉かもしれないのが聖書である。外国は、英語ではシスターと書いているけど、姉か妹か判らない場合がある。年上の姉妹を姉と呼んで、年下の姉妹を妹と呼ぶ日本は独特である。
そういうわけで聖書で12歳の少女の事が2回ほど出てくるけど、姉さん女房なのが前提なのかもしれない。

コトワザに「姉さん女房を金のわらじを履いてでも探せ」がある。
「アレ? このコトワザ、何かおかしい」と思った。
なぜなら、わらじが主流の昔は、自分の結婚相手を自分で選べないのだから、探すというのはおかしいと思った。
だから、このコトワザの真意は、「自分の息子の結婚相手は、息子よりも年上の相手を探せ」という意味になる。

去年の6月に「聖書でしてもいい一覧」というのを書いてから、十ヵ月ぐらい、ずっと違和感があった。
聖書で女の年齢を限定している場面なんて、ほとんど出てこないのに、急に2回も新約で12歳を出すから、女の12歳に何かあるとは思った。
息子の姉さん女房を探せ、という意味なら納得できる。

前々から、聖書の12歳の少女とは、姉さん女房の事を12歳と言っているのではないかと何となく思っていたけど、確信がなかったら書かなかったけど、今回、書いた。
確信がない事を言うぐらいなら、誤解された方がマシだから書かなかった。

ダビデの息子が妹と性交して、木の枝に首が引っかかって宙吊りのまま刺されて死んだ末路だから、年下の許嫁を探してはいけないという暗示なのだろうか。
訂正 5月2日
ダビデの息子アムノンがダビデも娘タマルで妹を無理やり性交した。
それをダビデの息子アブサロムが恨んで復讐して殺した。
しかし、アブサロムも後に木の枝に首だけで宙吊りのまま刺されて死んだ。
間違っていたから謝罪する。申し訳ありませんでした。
ダビデの兄弟シムあの息子ヨナダブがアムノンを唆したけど、後に「殺されたのはアムノン1人で応じ全員が殺されていない」とダビデに助言する。
なんで、唆したヨナダブをそのままにしているのだろう。ヨナダブに関しては、何かよく判らない。
唆した蛇に対しては凄まじい懲罰をしたのに。

12歳と言っても、昔は数え年だから、実年齢で10歳の事だ。
だから、10歳の姉さん女房を息子のために探せという事だろう。
0の概念は西暦600年ぐらいのインドで発明されたから、それ以前は、生まれた時から1歳と数える。
12月31日に生まれたら、次の日の1月1日になれば2歳になる。

聖書で女の年齢を断定するのは、かなり珍しい。
女預言者デボラとか、イスラエルを助けた娼婦ラハブとかは、年齢がハッキリしない。
主要な女の登場人物の年齢はハッキリしないのに、なぜか病気の少女や、死んだ少女の年齢は、ハッキリと12歳と断定する。
年齢を明確にしないといけない人物の優先順位を間違えていないだろうか、というレベルの断定である。
小説の登場人物で例えるなら、重要な仲間の年齢は設定しないのに、ワンポイントのエキストラは年齢を設定するようなものだから、非常に不自然である。
自分が小説を書くとしたら、こんな不自然な設定をするだろうか。
だから、12歳には何らかの意味があるはず。


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