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味音痴と読書音痴 非信者の防衛力は怒るという逆効果だけ

1、味音痴と読書音痴
味音痴と読書音痴は似ている。
味音痴は、キツイ味付けが好きなだけであって、味の絶妙な違いが判るわけではない。
読書音痴も、勉強で教科書を読めるだけで、道徳の本が理解できるわけではない。
むしろ、キツイ味付けが好みだと絶妙な味付けは判らなくなるし、勉強ができると道徳が判らなくなる。
物事を正確に知らないと、味を追求すると全ての味が判るようになると思い違いをするし、読書ができれば全ての本を理解できるようになると思い違いをする。
有害なモノを有益だと間違えてしまう。
味のきついモノを食べているだけなのに味を知っていると思っている人間が多すぎる。

神以外のどんなモノでも逆効果なのではないかと疑うぐらいでちょうどいい。
神以外に対して全力でのめり込むのは危険である。
他人なんか疑うぐらいでちょうどいい。
自分の人生と死後の運命を全て懸ける価値があるかどうかを考えてみたらいい。
神なら、死後に天国へ入国させてくれるから、永遠の幸せを得るために全てを懸けるのは正しい。
人間に対して全てを懸けると、死後は地獄へ落ちて焼かれ続けるか魂を消されてしまう。

道徳は成功のためではなく、破滅の回避の仕方や、失敗のリカバリーの仕方を学ぶためである。
スキーとかでも最初に倣うのは、滑りからではなくて、転び方を学ぶ。
上手く転んで大けがをしないようにする方法を学ぶ。
転んでも滑落しないように、すぐに止まる方法を学ぶ。
道徳がないと失敗した時にリカバリーできなくてズルズル落ちぶれていく。
キツイ味付けが好みの人がズルズルと健康を損なって破滅するようなモノだ。
スキーでも転ぶ練習をしないと大けがするし、転んだら止まる練習をしないと滑落して死んでしまう。

クリスチャンを自称している人が貧しくなったぐらいで「神がどこに居るのか」と言うのは、カトリックやプロテスタントの偽装キリスト教団を妄信しているから、神がどこに居るのか判らなくなる。
偽装キリスト教団を妄信するのではなく、本当のキリストを信仰したら、そもそも落ちぶれないから、神がどこに居るのかと嘆く事もない。
本当のキリスト者なら、落ちぶれても神の試練だと覚悟を決めるし、落ちぶれたら金の切れ目が縁の切れ目な邪悪な人間が離れて幸せになれたと思うものだ。

勉強の本が読めるからといって、聖書が読めるとは限らない。
勉強の本が読めると、全ての本が読めると思い上がってしまう。
勉強で出世すると、自分の読解力は絶対に正しいと傲慢になる。
出世できるのは出世できるというだけだから、出世できる人の読解力が正しい証拠にはならない。
むしろ出世できる人間ほど読解力が間違っている危険性が高い。
むしろ中途半端な読解力ほど出世できるかもしれない。
勉強だけは理解できる読解力だと出世できるけど、真実と欺瞞を見分ける読解力だと逆に出世できなくなる。
社会というのは欺瞞に満ちているから、欺瞞を暴露する性格だと出世コースから外されため、出世できるから読解力が正しい証拠にならないどころか、むしろ読解力が間違っている方が確率が高い。
本当の学びである聖書を学ぶと、サタン社会に適応しなくなるから、社会で出世しなくなる。
真実を暴く人よりも、権力者の悪行に迎合して媚びへつらう人間の方が出世できるモノだ。

キツイ味付けは糖分で思考制限するサタン側の罠なのだろう。
糖分の摂取量が多いと思考制限されるらしい。
昔は一日2食だったけど、一日3食と間食1回にして、全てに糖分を含ませるのは、人々の思考を制限するためにサタン側が仕掛けたのだろう。
糖分を含まない食事を1食2食でも置き換えたら、思考能力が回復するのだろうか。
飢えたら当分過剰による思考制限が外れるのだろう。
野生動物と、ある程度は飢えている状態の方が運動能力が向上するという話がある。
聖書でも断食40日間が何度か描写されている。
俺も大学の時に飢えたから、その時に食べ物の有害物質とか、動物愛護とかの存在に気付いた。
この数年ぐらいで聖書に気付いた時も、かなり生活費が足りなくなっていたから飢えていた。
飢える以前は、何か世の中の出来事を正確に把握できていなかった。
戦国時代で飢える環境だと天の主へ立ち帰る人が多くなったから、サタン側は戦国を終わらせて、天下泰平にしたのだろう。

2、非信者の防衛力は怒るという逆効果だけ
無責任な政治家は、国民が苦しんでも死ななければ問題なし。
死んでも責任逃れ。
怒られた時だけ対処する。
怒られても対処しない。開き直る。
こんな無責任な奴らを信用する方が悪い。
非信者を信用する方が悪い。

自分が怒られたから言うとおりにする人間性だからと言って、他人が怒られたから言うとおりにする人間性だとは限らない。

体を殺すしかできない者を恐れてはならない。

体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい。

マタイによる福音書 10:28

魂まで消す事ができる天の主を畏れよう。
体を殺すどころか、怒る事しかできない人間を恐れるわけがない。
神に代わりに報復して貰って、悪人を地獄で焼き続けるか魂を消して貰えば、悪人は恐れて加害してこなくなる。

だから、神に服従し、悪魔に反抗しなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げて行きます。

ヤコブの手紙 4:7

非信者は怒るしかできないから、サタン側の悪徳な政治家は虐殺し放題である。

悪徳な政治家を選挙で落とせばいいというのは思い違いである。
不正選挙だから、選挙で落とす事も出来ない。

そして悪魔は言った。「この国々の一切の権力と繁栄とを与えよう。それはわたしに任されていて、これと思う人に与えることができるからだ。

ルカ福音書 4章6節 新共同訳

権力を与えるのはサタンなのだから、有権者は何の権力もない。
だから、大衆が政治家に対して怒ったところで何の効果もない。
せいぜい、人々が神の存在に気付かないように、適当なところで政治家を首にしてガス抜きをする程度だ。

神の信者になれば、サタン側は殺せなくなる。
もし信者を殺したら、神が怒って殺した奴らを地獄で焼く続けるか魂を消すからだ。
神を信じる信者をサタン側は殺したくないから、信者が死なないシステムを作る。そのシステムのおかげで、信者に近い非信者もついでに助かっているだけである。
だから、自分を守る手段は、ただ一つ神に立ち帰る事だけ。
非信者が怒ったところでサタン側は鼻で笑うだけだ。
薬害推進の政治家や有名人を殺したところで、サタン側にとっては表の操り人形を殺されただけなので、惜しくも何ともない。むしろ、丁度いいガス抜きとしか思わない。

サタン側にとって、大衆が怒ったところで怖くも何ともないどころか、むしろ都合がいいから、ドンドン怒らせる。
怒りを出させるために、動画投稿とかでも怒れと煽る奴らばかり担ぎ上げる。
だから、神は恨んではならない、憎んではならない、と聖書に書いたのだろう。
サタン側が「怒り」「恨み」「憎しみ」を煽る罠を張り巡らせている。

人の怒りは神の義を実現しないからです。

ヤコブの手紙 1:20


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