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「頼る」を頑張ってみる

「人間は考える葦である」

哲学者パスカルの言葉として有名ですね。

人間は孤独で弱い一本の葦のような存在であるが、考えることが出来ることに尊厳がある、というような意味ですが、この「考える」が時に私たちの歩みを止めることがあります。

それが「悩み」です。

人はなぜ悩むのか?
それは自分が知らないことを「自分だけ」で何とかしようと「独り」で考えてしまうからです。

何か分からないことがあると、人はそこで本を読んだり、今ではネットでその情報を知ろうとします。
そこで解決出来れば良いのですが、悩みの中にはそういうところに答えが載っていないこともあります。

また、特にネットでの傾向としては情報が氾濫していて「どれが正しい」のかが分からない、ということも増えています。

こっちのサイトではこう言っているけど、あっちのサイトにはこう書いている…と、求める答えがたくさんあり過ぎて、どれが正しいのかが余計に分からなくなってしまう。

ここから悩みが本格化します。

何しろ自分が知らないこと、分からないことで、さらにその情報が無い、或いは多過ぎることから、自分で考えても答えが出せないことは分かります。
けど、それを誰かに話すことはしません。
出来ない、話せないという方が正しいでしょう。

分からないことは誰かに訊いてみる、という習慣が無い方の中には、こんなこと訊いても大丈夫かな?とか、変に思われないかな?などと「考えて」しまい、一人でモヤモヤしてしまいます。
このモヤモヤはそのままココロの中に残る間にも、また次の悩みが生まれます。

このようにもやもやが重なるとそれが「不安」となり、その不安が重なるとやがてココロの病へ…となってしまいます。

考えることは大切ですが、一人で答えが出せないと分かった時点で「誰かに頼る」ようにすることも大事です。

聞くは一時の恥、聞かぬは末代の恥などということわざがありますけど、この言い方にも問題があると常々思っています。

知らないことは恥ずかしいことではありませんし、それを知っている誰かに訊くのも恥ずかしいことではありません。

知らなければ、分からなければ誰かに訊く。
悩んだら誰かに話す。

もちろん、いつも誰かに頼り過ぎてしまうことには「依存」という問題がまた出て来ますが、誰にも訊かず話さず独りで抱え込んでしまうのも問題です。

人は生きている限り、そこには「悩み」が常に存在します。

分からないこと、知らないことはまず自分で考えてみた上で、それでも答えが見つからなければそれを知っていそうな人に訊いてみる。

こんな習慣を身に付けるようにすれば、モヤモヤはあまり溜まらず、日々を楽しく過ごせるようになれます。

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