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「察してよ」を辞めてみる -発信者責任と受信者責任-

「何で私のこと、分かってくれないの?」
「もっと私の事分かってよ」
「私の想い、察してよ」

友達とか恋人同士とか夫婦とか、近しい人間関係の間で聴かれる言葉ですね。
あなたも一度くらいはこんな風に感じたこと、あると思います。(私はあります)

「以心伝心」とか「阿吽の呼吸」とか言いますけど、人間関係に関する勉強をしてみたり、カウンセリングを行なっていく中で、これは相当に難しいことだと分かりました。
「そんなのは無理」と言っても良いと思っています。

阿吽の呼吸とか以心伝心って、長年連れ添った夫婦だったらそれはあると思います。
お互いの日々のルーティーンとか表情、仕草や言葉遣いやその言葉の調子から相手が次に何を求めるか、何をするかが分かることって、それはあると思います。

これは長い年月をかけてお互いの事を観察し、お互いに話し合い、コミュニケーションを取りあった結果としてそうなれるんでしょう。

或いは完全にマニュアル化されているような仕事場であれば、同僚それぞれが次にする作業などが分かるでしょうから、それを予測して自分の動きを考えることも出来ると思います。
ある意味、以心伝心で阿吽の呼吸です。

つまりこれらの環境設定や前提が無い相手、付き合いが浅かったり、それでまだお互いに良く知らないことが多い相手に対して「察してよ」と言ったところで、それは無理なんです。

けどその「無理」を始めから求めてしまい、結果それを「無理」だと分からず、それは自分の願うことではないため、『分かってくれない』と相手を責めてしまう。
これが人間関係がうまく行かない人の一つの特徴として存在します。

カウンセラーとして私が学んでいるカウンセリング技法では「傾聴と共感」をまず徹底的に学ばされます。
そしてこれはカウンセラーがカウンセラーとして生きる上で一生、学び続けなければならない事でもあります。

この傾聴と共感についてはまた改めてお話しようと思いますが、相手に共感して欲しいと求めるのであれば、まず「自分の想い」をしっかりと伝える必要があります。

相手との付き合いが浅ければなおさらです。
相手はエスパーではないわけで、自分が考えていることや思っていることは、それを「コトバ」にして伝えない限り、相手はあなたが何を想い、何を感じているのか分からないんです。

赤ちゃんは「泣いて」自分の今の感情を伝えます。
オムツが濡れて気持ち悪い、お腹が空いた、眠い、抱っこして…
このような自分の想いを「泣いて」親に伝えます。
それはまだ、赤ちゃんが「コトバ」を知らないからです。

そして親はそこで悩みます。
この子は何で泣いているんだろう…
オムツかな、ミルクかな、眠いのかな…
そこで試行錯誤しながら経験が積み重なるうちにその時、赤ちゃんが何をして欲しいのかが何となく分かるようになってくるものです。

ですが私たちは「オトナ」です。
それなりに「コトバ」を知っています。
この「コトバ」とは自分を表現する手段であり、ツールです。
そのツールを使って、相手に今の自分の状態を伝えることが出来ます。

相手が自分の何を分かってくれていないのか、何を分かって欲しいのか、それを言葉で伝えることが出来ます。
「そんなこと、言われなくても分かるだろう」と言われたところで、相手はそれを分かっていなければ、お互いが不幸になるだけなんです。

「受信者責任」と「発信者責任」というコトバがあります。
これは人間関係を築く上でコミュニケーションを取る際、その責任がどちらにあるか、ということです。

欧米の人たちのコミュニケーションは「発信者責任」と言われています。
一方で日本、アジア圏は「受信者責任」だと言われます。

コミュニケーションがうまく行かない事実は、その「発信者」に責任がある、と考えて欧米の人はしっかりと「自分」を伝える事が必要、と幼い頃から学びます。
これは「自己管理・自己責任」という姿勢にもつながって、自分を大切にする、という考え方にもつながっていきます。(海外のドラマなどを観ていると、これを痛感します)

相手が自分の事を分かってくれなかったり、自分の想いとは違う受け取り方をされるのは、発信している自分の側に責任がある。
そこでコミュニケーションの方法、具体的には言葉を変えてみたり、その伝え方を変えることでコミュニケーションが深まり、お互いを理解し合えるようになるわけです。

これがコミュニケーション不全の原因を「受信者」にしてしまうと、これはいつまでもコミュニケーションが成立しないどころか、人間関係そのものが築けず、一方は傲慢になってしまい、もう一方は自分の想いが伝えられず苦しむことになってしまいます。

一時期言われた「忖度」などはまさにこれの典型で、相手が「こうして欲しいだろう」と先読みして行動した結果が、思いもしなかった方向に進んでしまうことで、お互いに損をすることもあります。
またこれを「思いやり」と勘違いしてしまうと、小さな親切大きなお世話になってしまい、せっかくの好意も真逆に受け取られてしまうこともある訳です。

「察してよ」を辞めて自分の想いや考え、感情をしっかりと伝える。
まずこの意識を持って相手に接するようにするだけでも、コミュニケーションによるストレスは減っていきます。

頂いたサポートはカウンセリング普及活動などに使わせて頂きます