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にわかJリーグギャルが今でも忘れられないワンシーン(or two)

オーレー、オレオレオレー♪

という歌が日本中を駆け巡った時期があった。
90年代のことだ。

20代の私は運動音痴で、スポーツにもまったく興味がなかったのだが、気づいたらサッカー場にいて、緑色の旗を振っていた。

ヴェルディ川崎(当時)の北澤豪に惚れていたのだ。

そもそも何が始まりかはよく覚えていないが、当時の同僚にサッカー好きがいて、彼に誘われて最初にサッカーを見に行ったのか、それともテレビで北澤を見て「ロン毛!」と反応してすぐ好きになったのか。まあ両方だろう。
※当時はロン毛に弱かった

サッカー場に足を運ぶようになって、オフサイドを除いては(うっ)だいたいルールもわかるようになり、がぜん面白くなってきた。

そんな私をにわかファンだと揶揄する輩もいたが、にわかファンは私だけではなかった。同僚にも友人にも、かなりいた。

そのうちヴェルディ以外の試合にも行ったり、今で言うなでしこリーグ(当時はLリーグだったかな)の試合も見に行った。中学生か高校生くらいだった当時の澤穂希さんも覚えている。

そしてついに!私はヴェルディ川崎のファンクラブに入会するに至る。
しかしケチなので、一番ランクの低いメンバーシップ。よみうりランドの割引券がもらえたので、友だちと遊びに行ったりした。

しかも!ジュビロ磐田のクレジットカードまで作った!
そうだ、私はゴン中山にも惚れていたのだ!
(気が多いな)

まあ今となってはよくわからないのだが、サッカー場に通うことで、持てあましていた若さを発散していたのかもしれない。

その持てあましていた若さと勢いで、私は8ミリビデオを購入した。
サッカーの試合を録画するためというわけではなかったが、まあそう言われても仕方がない。
結局試合に持っていって、撮影しては楽しんでいた。

どの試合か思い出せずにググらせていただいたのだが、1994年の1月、私は国立競技場にいたらしい。
ヴェルディと鹿島アントラーズの「Jリーグ初年度の優勝決定戦」、だったらしい。
遠くから見ていたので選手は皆豆粒大。私は8ミリビデオを回していた。
フィールドにはジーコ。カズがPKを行おうとしたとき、らしい。

ジーコの口から出た白いものが、弧を描いて、ボールへと落ちていったのだ。

こういう書き方をするとジーコがエクトプラズムを吐き出したように思われそうだが、そうではない。
カズが蹴ろうとしていたボールに、ジーコがつばを吐いたのだ。

ちょ待てよ、オレ歴史の目撃者じゃん?!

その後8ミリビデオを何度も検証し、ジーコの口から白い線が描かれていることを何度も何度も確認した。

今思うと、それってそんなに大事なことじゃない。

ジーコの名プレイとかさ、活躍ぶりをもっと検証すればいいのにさ、私。
彼はすごいプレイヤーだったんだからさ。

それをエクトプラズム、いやつばを吐いたとか吐かないとか、私ってくだらない人間だなあ、と今では反省しています。ごめんなさい。

その後も家でプリンを食べながらドーハの悲劇で呆然としたし(あの日は私の誕生日だった)、天皇杯の決勝で寒さにふるえたり、明るくにわかサッカーファンをエンジョイしていた。

30歳を目前に英語を勉強するため渡英したのだが、時は1998年6月、ちょうどフランスでワールドカップが行われていたころだった。

居候していた友人宅でぼんやり見ていたイングランド対アルゼンチン戦。
あのときもベッカムが敵方に蹴りをかまして、レッドカード。

ちょ待てよ、オレ歴史の目撃者じゃん?!

ほらほら、ベッカム様の名プレイを(以下同文

結局のところ、その後4年にわたりイギリスにいたにもかかわらず、プレミアリーグにイマイチ入り込めなくて、一度も試合を見に行けなかったし(怖いと思う)、そこからなんとなくサッカーと距離を置いてしまった私なのでした…
もったいないわねえ。サッカーをフットボールと呼ぶ本場なのに。

だけど、名古屋グランパスにちょっとだけいたリネカーは、よくイギリスのテレビに出てましたよ!バラエティ枠で!


#サッカーの忘れられないシーン

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