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今の自分が最高と言えれば失敗は報われるのかもしれない

昨晩、急に思い立ってクローゼット一掃の儀を開催した。

1年以上着ていない服は迷わず処分。
似合わないかも、と少しでも感じた服も処分。
サイズ感が気になる服も、処分。

処分、しょぶん、ショブン…

と処分祭りを小一時間続け、ゴミ袋2袋分の服とさよならすることになった。

祭りの開催前は、すっきりした気持ちを目指していたはずだ。
なのに、服の山を見てもなぜだかすっきりしない。
それどころか虚しい気持ちにさいなまれ、しまいにはうっすら涙目になる始末だ。

これはいけないと気持ちを切り替えるためにシャワーへ。
シャワー中というのは、自分の気持ちに向き合うのにぴったりの時間だと思う。
周りにはインプットするべき情報が一切ないからこそ、自分の感情と一対一になれる。

なぜ頑張って掃除をしたのに気分が落ち込んでいるのか。
なぜクローゼットはすっきりしたのに、気持ちはどんよりしているのか。

いつもより入念にヘアトリートメントを塗り込みながら、あーでもないこーでもないと心の中で唱えていた。
もしかしたら声に出ていたかもしれない。
旦那くん、聞こえてたら怖かったよね、ごめんね。

そうしてようやくたどり着いたその真意は、「失敗した」という感情だった。

私は服が好きだ。
その日の気分をコーディネートで表現できると大きな幸せを感じる。
さらに、自分を良く見せてくれる服に出会えた時は最高の気分になれるのだ。

服を購入する時、私は「最高の服に出会った」という高揚感に満ち溢れている。
しかし、今こうして目の前にあるのは処分する服の山。

あの時の高揚感は虚無であり、私は買い物に「失敗」したのだろうか。

…そう思ってしまったことが、虚しさの根源だったらしい。

さて、原因がわかればこっちのものだ。
なぜ悲しいのかわからないときはひたすら悲しむしかないのだけれど、明確な感情に対してポジティブな解決策を与えるのは私の得意分野である。

急に話は変わるが、私の今日の服装をご説明しよう。
マキシ丈の白シャツワンピースに、グレーでオーバーサイズのニットベストを上からかぶり、黒のバッグとオックスフォードシューズを合わせたモノトーンコーデだ。
アクセントはゴールドとシルバーをごちゃまぜにしたアクセサリー。シンプルながら存在感のある腕時計も気に入っている。

今日の服装をとても気に入っているし、昨日も、おとといの服装も大好きだ。
きっと明日選ぶコーディネートにもワクワクするはず。

こうして毎日の服装に自信を持てるようになったのはなぜか。
それは、これまでたくさんの「失敗」をしてきたからだ。
他の人には似合うのに私には似合わない服、高級感はあるのに私が着るとなぜか安っぽい服、サイズ感が合わずにスタイルを悪く見せてしまう服…。
いろんな「失敗」を重ね、今の時点で最高だと思える私がいる。

であれば、処分することになった服の山は、私の「成功の種」なのだ。
そう思ったら、自分も、服の山も、とてもとても愛おしくなった。

もちろん処分する服の中には失敗といえないようなものもある。
けれど、「失敗」と呼べてしまう服が存在するのは紛れもない事実だ。
その失敗は、今の私に繋がっている。
今おしゃれが楽しいのは、これまで失敗を重ねてきたからなのであろう。

ポジティブマインドを取り戻したところで、改めて服の山と向き合う。
これだけの服をただ捨ててしまうのではもったいない。
そうだ、友達が服の寄付でいい団体を知っていると言っていたような気がする…。

そうして寄付団体を調べることで、今回のクローゼット一掃の儀は幕を閉じた。

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