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瞬間は今につながっている

生きているといろんな瞬間がある。その中には人生が変わってしまう瞬間も。

私が通っていた小学校では昼休みに本の貸し出しを行っていた。貸し出しの受付は図書委員が当番制で行っており、読書好きの私は図書委員会に所属していた。

昼休みの終わりを知らせるチャイムが鳴った。その音を聞き、当番だった私は図書室を閉め、すぐ近くにある職員室に向かった。昼休みの後は掃除の時間だった。図書室の鍵を返却し、その日の当番先の理科室の鍵をもらった。その様子を担任が見ていた。私は特に何も思わず、掃除をして午後の授業を終え、帰りの会(ホームルーム)を迎えた。その帰りの会で担任が私の話題を出した。

「hm(私)さんは真面目です。チャイムが鳴ったらすぐに職員室へ来て鍵を受け取り、掃除に向かいました。みんなも見習いましょう」

言葉尻は確かではないけど、担任がこの言葉を発した瞬間を私は忘れない。20年以上経っても覚えているんだから一生忘れることはないと思う。だって人生が変わってしまった瞬間だったから。

担任は人をあまり褒めないタイプで、厳格できっちりした雰囲気の人だった。その担任が人を褒めるというのは特別なこと。教室の中がヒヤッとした。なんだろうこの違和感。話題に上がった張本人だから過敏に感じてしまっている部分もあるが、敏感な私はその雰囲気を察知し、心の中が一気に真っ黒になった。

その日から私はことあるごとに「まじめー!まじめー!」と言われるようになった。別に意地悪されているわけではないのだけど、昨日まで普通に接してくれていたのに何かにつけて真面目と言われ、私は人と距離を感じるようになってしまった。真面目なことはとても素晴らしいことなのに突き放された気がしてとっても悲しかった。みんなと同じ位置にいたかった。また、当時仲の良かった友達が何らかの事情で学校に来ない日が多いこともあり、私はますます孤独になってしまった。

この頃から家庭のほうでもいろいろあって不安定になり、未来に絶望するようになった。自分のことを開示することに抵抗があり、人と馴染むのが上手くできなくなった。人との距離感も分からなくなった。自分と他人を比較ばかりして自分で自分を苦しめてきた。大人になって社会に出るようになると違和感が増え、人間関係や自分自身の内面にとても苦しんできた。

どうしたらいいか自分でもわからなかった。なぜこんなにも生きづらいのだろう。周りと比べては落ち込んでばかりいた。このつらさを分かってほしくて受け入れてほしくて自分本位な考えになってしまって周りの人を傷つけることもあった。こんな私は非常識な人間だから自分の考えは間違っていて、周りの人や世間一般の声が正しいんだって思っていた。自分を否定すると余計に苦しくなって負のループを繰り返した。

インターネットで「生きづらい なぜ」とかいろいろ検索しまくった。自己啓発の本もいろいろ読んだ。病院にも行った。体力をつければいいのかと思ってジムに行ったこともあった。時には占いやスピリチュアルに頼ることもあった。その時々にできる限りのことを精いっぱいやってきたのではないかと思う。いろいろもがいて今につながっているし、今ももがき続けている。

幸いなことに理解あるカウンセラーに出会え、今はカウンセリングを通して、自分を受け入れ、自己を肯定することの大切さ、自分で決めることが幸せにつながることを実感している。

そして何より私は一人じゃない。家族や友人がいる。大切な存在がいる。忘れがちになってしまうけど、当たり前に過ごしている日々は何より幸せなことだと思う。

あの日あの時に変わってしまった瞬間、仕方がないことだけど、これも私の一つなんだなって思う。どの瞬間も今につながっている。これまでの自分も今の自分も受け入れたいし認めたいしたくさん肯定したい。言葉にすると簡単なことも多いけど、生きていくのに自己肯定感は本当に大切で、良好な人間関係にもつながると思う。

前職はたくさんの従業員と関わる仕事で、コミュ障の私は心が張り裂けそうな毎日を送っていたけど、私を頼ってくれたり、頑張っている人たちの姿を見て、みんなが安心して働けるようにサポートしたいって心から思うようになった。私の存在に安心感を持ってもらえることで、大切な人たちが心穏やかで安心して過ごせてもらえたらとってもうれしい。ああ、私は人が大好きなんだって思う。