勝ち負けじゃない、すべては学ぶため
この1か月半くらいトレランの練習を始めた。
2022年の2月に人生初のハーフマラソンに挑戦したのがトレランだった。そのときは「タイムにとらわれずに楽しく完走」という目標を達成し大満足だったが、足づくりが足りなかったせいかレース直後から膝痛に悩まされて半年ほど走れなくなった。ゆっくり走り始めてからもマウンテンバイクが一番の楽しみになっていて、私のアクティビティはバイクに乗ることが中心で、スイミングも週1くらいで続けているからランニングに割く時間は週1程度となり、目的も「30分楽に気持ちよく走る」が中心になっていた。
今年の夏は私の住んでいるテキサス州では6月から猛暑が続き40℃超えが何か月も続いたうえに雨がほとんど降らず、さらにランニングから遠ざかってしまっていた。それが9月下旬にほんのすこーしだけ気温が下がり始めたころに、ランニング好きの友達からトレランのレースに出よう!と熱心に誘われて再びハーフマラソンのレースに申し込んでしまった。初ハーフを走った大好きな州立公園のトレイルでの大会なので、もう一度あの楽しさを味わってみたくなったのだ。
2月までにまたハーフを走れるだけの足を作らなければ。それに完走できても直後に膝痛など足や体の不具合が出るようではだめだ。今度は本当に完走しても大丈夫なくらいに少しずつ足と体を慣らしてしっかりトレーニングしていこう。それで、週3回ランニングするように運動プランを変えた。最初は3マイル(約4.8km)走るのも億劫だったけど少しずつ慣すことにした。平日の2回は3マイルから5マイル(4.8kmから8km)、週末に長めの距離を走りながら少しずつ距離を伸ばしていく練習にすることにした。
9月終わりから週3練習のペースは守ってきたが、今週は雨が続いて外は走れない。仕方なくジムのトレッドミルで走ることにした。きつくないペースで5マイル走ろうと思ったけれど、やっぱり外で走るのと違ってトレッドミルはつまらない=辛い(汗)。備え付けの画面にはトレイルを走っているかのようなスペインあたりの美しい海岸沿いの丘の景色が映し出されていて、画面に集中してそこを走っているような妄想をして気持ち良く走り続けようとするけど、なかなか厳しい(笑)。走りながらそんな風に思っていた時に急に1,2日前にインスタグラムのフィードに上がってきたあるショートビデオのことを思い出した。
NBAの伝説ともいえる故コービー・ブライアント選手のインタビューの一幕だった。インタビュアーに「選手には2種類あると思うのですが、あなたはどちらですか?1つ目は勝負に勝ちたくてプレーしている選手。2つ目はとにかく負けるのが嫌いという選手。あなたは自分はどちらだと思います?」
中学、高校と一応弱小チームではあるけどバスケ部に入っていたし、コービー選手は私がテキサスに引っ越してくる前に住んでいたペンシルバニア州フィラデルフィア郊外の出身と本で読んだことがあり、若干親しみを感じていた。スポーツ観戦は全くしない私だけれど、マジック・ジョンソンやマイケル・ジョーダンに並んでNBAを代表するレジェンドであることは知っている。このシンプルな2択の質問にどう答えるのか、とても興味深くビデオに注目していると彼はこう答えた。
「どちらでもないです。」
「僕がプレーするのは学ぶためなんです。勝つためでも負けるのが嫌だからでもない。学ぶためにプレーしている。そうすることで勝っていようとも負けていようとも関係ない。そのときそのときの瞬間に集中することができるんです。」
この答えはまさに圧巻。こんな答え方ができる人だからレジェンドなわけだ。普通に考えたら勝ちたいのか負けたくないのかの2択でどちらかに当てはめて答えると思うけど、どちらでもない。そう答えられるところがまさに型にはまらない人のすごさ!こんな考え方ができる人だからそりゃあ遠くまでいくよね。私がスポーツマンに敬意を感じるのは、こういう人生の教訓ともいえる叡智のようなものをスポーツを通じて会得している人に魅力を感じるからだ。何においても秀でる人というのは、それなりの哲学のようなものを持っている。私はスポーツを通じて、人生に通ずる学びをたくさん経験しているひとが好きだ。自分もそうありたいと思っている。
トレッドミルの上を走りながら退屈でしんどいという気持ちがむくむくと湧いてきそうだったときにこのインスタで見たコービー選手のインタビューのことを思い出した。勝ち負けではない。すべては学ぶため。
本当にすごい考え方だ。そう思ったら今トレッドミルで走っているこの状態だって、今日は5マイル走ったら成功、走れなかったら失敗とかではないのかもしれない。今日は時速何キロで何十分走ったからよしでそれができなかったらダメなのではないのかもしれない。
今走っている一歩一歩が学ぶためなんだとしたら、私は一歩一歩自分の体のことを学んでいるんだ。このスピードであと3分走ったら息苦しくなるのかもしれないし、疲労感で体が重くなり辛く感じるのかもしれない。でもそれは自分の体がどれだけ耐えうるのか、体力や筋力や呼吸が続く程度について私は学んでいるということになるだろう。すべては学びのために。そう思ったら急に集中力がぐんっと上がった。
あと5分経ったらスピードを少し緩めて、そのあとの10分はゆっくりでいいやなどと思っていたのに、コービー選手の学びのためという言葉を思い出した残り15分が一番集中できた。フォームも疲れないことにフォーカスして残り時間ずっと耐えるだけの走り方から、前向きなある意味攻める姿勢のフォームになった気がした。集中して走った最後の15分は、ペースは緩めていないのに呼吸の苦しさなど全く感じなかった。
勝ち負けじゃない。すべては学びのため。
そう思って毎日のできことに取り組めたらどうなるだろう?周りの人に喜ばれたり、嫌われたり、そういうことも含めてすべては学びのためだと捉えたら。うまくいくこともあるだろうし、失敗することもあるだろう。だけどそれはすべて学びだとしたら、成功も失敗もどちらも学びになる。成功も失敗もどちらでもあまり関係ない。成功には成功の学びがあり、失敗には失敗の学びがあるのだから。そう思ったらほんの少し自由に生きられる気がする。すべては経験で、経験は学びなのだから。日常のひとつひとつのこと、瞬間瞬間を学びと捉えて過ごせたら。うまくいっていようとうまくいっていまいとあまり関係ないのかもしれない。
コービー選手の残した言葉で、私のような何の関係もない遠い遠い他人である人間が彼の死後にこうして感銘を受けているってすごい。彼のメッセージの偉大さに圧倒され、感動したことを記録しておきたくてこうして書き残せてよかった。走っていると、こういう風になにかふと思い出したり、インスピレーションが浮かぶことがある。今日のこの気持ちを忘れずに、勝ち負けや成功失敗にとらわれずに学びを大切に生きていきたい。
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