幻滅するということ

「幻滅する」ということについて、思うことがあったので
自分の考えを見つめるために、当てもなくツラツラ書いてみようと思う。


「幻滅する」
というのはがっかりするという意味合いで使われる言葉だけれど、よく考えたら、そもそも幻滅するっているのは自分が見ていた幻を滅するということで、目を覚ますというか、もっとしっかり現実が見えるようになったということなのかもしれない。

世界や世の中に幻滅するっていうのは、そもそも自分には世界がよく見えてなかったってことなのかもしれない。

私の目の前に幻滅させるようながっかりな世界が広がっているのではなくて、そこにはただ「世界」があるんだ。
そして、その世界を前に「幻滅しているわたし」がいるっていうのが正しい見方なのかもしれない。

社会人になり、大人の世界に飛び込んだばかりのころは、何かと幻滅の繰り返しだったような気がする。


「魅力的な人間になりたい」とボヤボヤッとした理想を胸に、就職の決まった外資系ホテルで働き始めた20代。周りの先輩や上司には、それぞれ素晴らしい長所や見習いたい心掛けなど、勉強させてもらう事もあった一方で、心から尊敬できる人と言われて思い浮かぶ存在がなく、幻滅した。

夢を描いて飛び込んだホテルの仕事では、様々なお客様に触れる毎日の中で、素敵な人よりも、困った人や自分勝手でわがままな人間がいる事を日々見せつけられているように感じ幻滅。

担当していたバーカウンターの常連客の中に、幸せそうに楽しくお酒を嗜むお客様は居なく、様々な大人の事情や孤独を抱える、どこか病んでいるような顔ぶれが多く、そういった大人たちの姿を見ては幻滅。

初めてお付き合いした、社内恋愛の職場の先輩と半年でお別れする事になり、仕事と私情に一線を引いて、仕事上の関係には一切影響を出さないように懸命に仕事に取り組もうとするも、相手の男性の思わせ振りなズルい態度や、いつまでも「お前は元オレの女」的な卑しい態度に悩まされては男性に幻滅。

と若かった時にはそれはもう幻滅の繰り返しだったなあと(笑)。

今だって、夢を描いて結婚した夫の事をあれこれ考えては、子どもへの接し方や、親としてのあり方なんかを頭の中でグルグル批判しては、幻滅したり、こどもが自分の想いを理解してくれず、なかなか思うようには行動してくれないことに幻滅したりする毎日だ。

現在進行形で続く、この「幻滅する」現象だけど、それは私がボヤボヤと勝手に自分の都合のいいように思い描いていた輪郭のはっきりしない幻が姿を消し、現実を見え始めたという事。

幻滅するというのは、自分が目を開いて、世界を、そして自分の置かれた状況や人々をしっかり見ることが出来るようになったという事ならば、それは成長している証とも言えるんだよね。

遠くに思い描いていた未来が現実になる、を繰り返していくのが人生なんだから、ぼやぼやっと遠くになんとなくしか見えていなかった景色が、はっきりとした色を帯びて、輪郭を表していく様をしっかり認識して歩いていくのが、成長しながら生きていくっていうことなんだろうな。

だから、「幻滅する」っていうのは、生きていく中で、足を進めていくのには大切な要素である、現在地点を把握するっていうことなのだと思う。自分の今立っている場所の現状認識がよくできていない状態では、どこへどう歩みを進めていくかを決めるのは不可能というものだ。

「幻滅」はふわふわとした幻の世界から卒業して、自分で足を進める方向を決めるためのはじめの一歩と言えるだろう。「幻滅」ははじまりの一歩。そう思ったら幻滅するのも悪くないね。






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