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記事と私の「接点」を考える

最近「これ、書くのが苦しい」とはっきり思う案件がでてきた。

たいした経験も実績もない立場の私が「つらい」なんて言えるわけないのだが、日に日にその思いが増し、ぬぐえなくなった。

ライティングを始めた当初は、案件を獲得するのに必死。文字単価やジャンルを問わず何でも引き受けて、書きたい記事、目指したい方向はたくさん案件を受けていくなかで見定めていけば良いと思っていた。

それを夢中で繰り返していくなかで、うっすら気づいたことがある。

自分と「接点のない記事」を、書くのがつらいのかなと。

PCの画面越しに見る、知らないモノや知らない場所。
何も知らない私がそれを紹介したり、おすすめするという行為。

書く言葉が浮かばなくて途方にくれるのと「この記事を世に出したとして、本当に誰かの役に立つのか」と思うようになってしまった。

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自身と接点のない記事の例として「おすすめ紹介記事」をあげてみる。

クライアントから「○○に関しておすすめ10個あげて紹介してください」とテーマを渡されるのだが、そのテーマはだいたいなじみのないものだ。

そう、なじみのないものに対しておすすめを選び、記事を書かなければいけないという事実が、私にとってものすごくハードル高い(なじみない時点でおすすめじゃないじゃん、というちょっとした矛盾も生じる)。

似たり寄ったりの商品ばかりで差別化ができない場合が多く、商品選びも執筆も地獄と化するのだ。

選び方は口コミだより
モノの特徴+使いやすい!便利!機能的!
場所であったら○○が有名でおいしい、行列ができる人気店!など

いつもその程度の薄い内容しか書くことができない。
そして、既定の文字数を埋めるための表現をひねりだすのに時間がかかってしまいクタクタ。書き上げたときは達成感より疲労感が残る。たかが1記事でこんなにもへこたれてしまう自分にがっかりしてしまう連続だった。

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最初は「つらいのは私の語彙力が不足しているせいだ。もっと精進せねば」と思っていたが、だんだん「そもそも、ふれたこともない対象に対してスラスラ文章を書くこと自体ハードルが高いんだ」と開き直るようになった。
実体験が伴わないのに、次々と表現がわくはずない。

取材などでおすすめしたい対象に直接ふれられるような機会があれば、もう少し自分なりの表現も生みだせるだろうし、思いが伝わるよう精一杯考えて有意義な記事にしたいと意気込むだろう。

何も浮かばなくて、モチベーションも上がらないのはやっぱり私との「接点」がないからだ。私が書く意味なんてこれっぽっちも求められていないということに気付いてしまってからは、さらにやる気が下がった。


世の中には、筆が進まないで苦しむ私を横目に、おすすめ記事をスラスラ書けて納品できるライターがたくさんいるのだろうし、クライアントだってそういう人を重宝するだろう。

書けない私は、競争に負けて淘汰されるんだ。


そんな負の思考回路に陥り、悔しくて涙をボロボロこぼしていたのだが、これを書くことでモヤモヤを整理していたら、ひとつ気付いたことがある。

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やっとの思いで書きあげ、公開された自分の記事をぼーっとながめていた。どこか他人ごとだな、という感想しか出てこなかったのだがその何気なくつぶやいた自分の言葉にハッとする。

「読み手が知りたい情報を一切考えていないから『他人ごと』と感じてしまうのだ」と。

私はただただ書けない苦しみに陥っていて、読み手側の視点がストンと抜けていた。一番大切なことじゃないか。

反省をさっそく次の記事で実践してみた。

例えば、使い勝手の良い水筒を探している読み手がいると仮定する。
その人が求めている「使い勝手の良さ」とは何か、「保温、保冷性」あるいは「軽さ」なのか、はたまたアウトドア用に使える頑丈なものなのか。
知りたいであろう具体的な情報を、執筆前に落とし込んでいった。

具体的に落とし込むためには、その対象はもちろん、関連する情報を色々調べなければイメージが浮かんでこない。
ただ口コミの上位をピックアップするのではなく、読み手が求めている情報を頭に浮かべて、それを網羅できるような対象を選んでいく。

すると……あれ?今まで全く知らなかったり、興味のなかった対象が、調べていくうちにちょっぴり愛着のわくものとなった。
記事を書き上げたころには、もうリサーチ終了か……と名残惜しくさえ感じる(やっと手もとを離れていった安堵感のほうが大きいけれど)。


一生懸命調べたり、いいものを紹介していこうという姿勢を大切にしていけば、たとえ手に取ってみたり現地に足を運んだりできなくても、記事と私との接点が生まれていくような気がした。

今までは、その対象を知らない時点で「私と接点がない」と勘違いしていた。

違う。「自ら接点を持ちにいく」姿勢がライターにとって大切なんだと、改めて思った。

これからも能動的に接点を持ちにいって、画面の向こうで「役に立った、手に取ってみたくなった」と思ってもらえるような記事作りを目指していこう。

もう「他人ごと」と悟られるような記事は生み出さない。

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現地に足を運んだりできなくても、記事と私との接点が生まれていく気がした、とは書いたが、今後は直接自分の目で見て、聞いて、触れられる機会を持てる記事を書いていくことが目標だ。
具体的には、取材やインタビューに積極的に取り組んでいきたい。

生の情報にもっと触れていけば、今まで経験した「調べる」という行為に加えて、また別の角度の接点が持てると考えたからだ。

接点が増えれば、その記事の深みはぐっと増すだろう。
読み手の役に立つだけではなく、共感を誘ったり元気を分けてあげられたり、いわゆる+αの価値を提供できる可能性が広がるはずだ。

目標ができるとモチベーションも上がる。
もっと、ライターとして様々な角度からの接点を持てるように精進しよう。

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