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何者か、よりも「自分の基準」を大切にできたらそれでいいと思った

「何者か」になることを
20代後半から追い求めてきた。

その何者かって何かというと、専門的な職業だったり、肩書きだったり、フリーランスかどうかとか、そういうもの。

「職業名」ではなく、自分という人間を表すことができる社会的な「名前」が欲しかったんだと思う。

で、さらに何でその名前が欲しかったかというと、自分が知らない世界を知るために、個人で活動したり、表現してる人たちと繋がりたかった。

組織の一部として働くよりも、自分として、自由に生きていける人になりたかったから。

だから、個人で働くこと・自分の仕事をつくることにこだわってきたものの、お仕事をいただいても、色んな方の事業に関わらせていただいても「結局、自分は何者なんだろう!??」と頭を悩ませる日々だった。

やっている仕事はいっぱいあるのに、自分が何者かを社会的な役割や肩書きで表現したかった私は、その何者かがわからないことですごく苦しんでいた。

でも今年に入って、自分の仕事をリニューアルしてからは「自分が何者か」ということが本当にどうでもよくなった。

今までいろんな人たちに「何者でもなくてもいいんじゃない?」と言われる度に「自分は明確な肩書きがあるからそう言えるんだよ~」って心の中でいつも反論してたけど

「私だからこそ」と思える仕事をつくっていったことで、その形態が何だろうと、自分の肩書きは何だとかは、あまり重要じゃないなと思うようになった。

それよりも、今私が大事にしたいのは「自分だからこそ」と思えるかどうか、在りたい自分でいられるか、自分の価値観や生き方に合っているかどうか、ということ。

「私の働きかた」の基準

自分の仕事をリニューアルして再始動したことで、ちょこちょこお仕事の話をいただくので、今の私にとっての「働きかた」の軸を再確認しようと思い、改めて書き出してみた。

何をするかじゃなくて、何を基準とするか、ね。

まずは大きな柱を書いて
もうちょい具体的に言葉にしてみる

何をするか、どんな形態で働くかはただの手段。仕事は自分が大事にしたいことから生まれるし、明確にしておくことで外からも話が入ってきたりする。だからすごく重要。

自分で決めていく

自分で決めただけ、幸せになる。

最近、いいなと思った言葉。どれだけ悩んで迷ったとしても、結局は自分で決めたかどうかだなと思っていて。

誰かに言われたから、人にこう思われるから、で選んだことは、結果的にずっと「誰か」に振り回されてしまうもの。

むしろ誰に何を言われたとしても、自分が心から納得していれば、どうなったとしても頑張れる気がする。

去年までの私は、自分の仕事でこれができていなかった。相手が必要ならばやる。っていうスタンスだったから苦しくてつぶれてしまったんだと思う。

自由と責任はセットだからこそ、選択は自分の基準でしていくことの大切さを痛感した。

私自身、楽しく生きることが最大のマイテーマだから、人生にも働きかたにも自分の基準を大切にしていきたい。

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