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義祖父母宅を実家じまいした話


10年以上前、義祖父母宅を「実家じまい」した。


施設に入っていた義祖父母が1ヶ月の間に相次いで亡くなった。2人とも高齢ではあったが持病を抱えていたわけではなく予期せぬことだった。しかもほぼ同時期に。手配や連絡、事務手続きに追われて悲しみに暮れる時間もなかった。
空き家のまま放置されていた築70年の義祖父母宅をどうするかも急務の課題となった。不動産屋との話し合いで更地にして売却することに決まった。

昨日まで住んでいたかのような状態で放置されていた室内は貴重品や必要品の選別もほとんど手付かずで業者に入ってもらうことが難しかったため、空っぽの状態にするまでの作業は私たち孫夫婦の仕事になった。


物を捨てずに大事に保管して生活していた義祖父母宅。2人とも多趣味だったこともあり各部屋の押し入れや天袋、納戸、小屋には2人分とは思えない量の物たちがぎっしり詰め込まれていた。


結婚してから数える程度しか遊びに行ったことがない家。どこに何があるのかも全くわからない。
何に思い入れがあるとか何を残して欲しかったとか本人らの希望や意向も分からずじまい。2人ともかなり高齢で社会との繋がりが多岐にわたっていたわけではないが、渡したい誰かや伝えたい何かだってあったかもしれない。

物についてのエピソードが見えない片付けは より時間と労力を要する。
リサイクルできるかの判別、居住する自治体とは違うゴミの分別。仕分けだけでも疲労困憊だった。
結果、家を空っぽにするまで数ヶ月かかった。


娘である義母も貴重品については最低限把握していたが、相続についての話し合いを明治生まれの義祖父は「死ぬのを待たれてるようで失礼だ」と嫌がったそうだ。
義祖母は施設に入って間もなく認知症になったため、やはり大切なことは聞き出せなかったそうだ。
だから書き記した物もなかった。

断捨離や話し合いがなされていない「実家じまい」はふんだんに費用をかけられる場合でない限り、残された人にとって壮絶な苦労となる。

早いうちから一人ひとりができる限りの断捨離と、自分についての記録・エンディングノートを用意しておくべきだとこの経験から痛感した。

年齢問わずいつ何が起こるかわからない。
特に現代はスマホを通じて個人が様々なものと繋がっている。スマホがなかった義祖父母ですらあれだけ大変だったのだから、見えない繋がりが増えた今はもっと複雑化しているはずだ。
せめて健康や金銭に関わることについてのことは、残された人への思いやりとして書き記しておくべきだ。

エンディングノート認定講師のレナ蔵さんがとても参考になる記事を書いていらっしゃいます。↓



義祖母の形見として、箪笥にあった着物の帯で作ってもらったカルトナージュ。↓
(ほとんどの着物や帯は劣化していて加工には使えないと言われた。)



「その帯じゃなくてあっちの帯で作ってほしかったよ。」
そんなことを義祖母が天国から呟いているのではないか‥と時々思うことがある。

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