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佐々木の位置。脳内。

朝の医カフェの足元


自分の進路に疑問を抱いたのは、
高校3年生。大学入試のときである。

私は旧帝大医学部を目指し、
小学5年生から塾に通うような少年であった。

その過程では、
宇宙飛行士や気象予報士に憧れることは
幾度となくあった。

憧れの源泉は、
ワクワクする、高揚感にあったと思う。

しかし
恐ろしや、義務教育。
恐ろしや、受験教育。

私の医学へと開かれた道から外れる選択
辱めらるる自己、家族の像に
選択を逃れることは難しかったのだろう。

親孝行第一に向かう私の脳は
早く両親を安心させたい。
早く両親を支えたい。

その一心に染められているのだから。

だれもが生存権を獲得し、
人権を保障するようなムーブメントのある
この社会で

自分や両親を本当に幸福にするものが
単なるマネーであるかどうかは甚だ疑問だろう。

しかし浅学の身では
そのような先見の明を持つこともできず、
年のgapを埋める唯一の媒体であるかのように思えたのだ。


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医学というのは、
元来、崇高で美しい学問である。

過去の知見の積み重ねで構成され
神学、法学と並び、保存されてきた
先祖代々の叡智は、まさに
受け継ぎ残していくものにふさわしい。

生と死
誰かの救いになることには
間違いがない。

だれの目からしても、
尊く
美しいものだと思う。

その担い手となるべく人間は
必ずや存在しなければならない。

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僕はワクワクするようなことがしたい。
それは政治だったり、宇宙だったりする。
いろいろだ。

社会に出て、
おもろいことをしたい。
もっともっともっと。

フロンティアを目指すようなヒト
パッションを持つようなヒト

そうありたいと
心の底から思っている。


社会インフラの整えられてきた今。
先の少年は何を考えるか。
教育の必要性だろうか。
デジタルだろうか。
メタバースだろうか。
NFTだろうか。

結論、全てである。

僕のやりたいことは、
その全てが発現し、共創しうる
社会循環を搭載するコミニティの実現である。

具体的には、
産業、官公業、学門機関、住民が
物理的に流動的、
データ的に流動的、
フィードバックが頻繁に行われるような
エコシステムを搭載する
20万人規模の社会コミニティの創生である。

勝ち負けだけでなく、
高め合える競争のある社会
(ビッグデータによってデータドリブンの実現された社会かもしれない)

ペイするかしないかだけでなく、
社会全体を良くする取り組みとして
うまく循環する社会。
(フィードバックが適宜行われるだろう。)

ただ脱成長コミュニズムに
ただ浸かるのでなく
実行して、変革して。
コミニティに切れ目のない、滑らかな社会が
心地いいんじゃないかと思う次第である。

infection controlがとれた佐々木慎一朗


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