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怖がらせる父

父の日

私は義父以外に
プレゼントを
したことありませんね。

実の父親に対しては
「恐怖」の方が
大きいでしょうか。

でも一つだけ
父親に関して
嬉しい記憶があるんです。

就学旅行のお弁当

おにぎりを薄焼き玉子で巻いて、
アメリカンチェリーを入れて。

母親が料理できなさすぎだったので
父親の方が上手かったので、
たまに作るんです。

お弁当
きれいな彩りにワククワクしたのを
覚えてます。

それ以外は常に
ピリピリした雰囲気

お酒を飲んだら
変に
馴れ馴れしいので

 
まともに会話した記憶もないんですが、

とにかく
何をされるのか
わからないので
いつも
機嫌を伺ってましたね。

父親が
包丁をずっと側に
置いていた時期があったんです。

ある日 
何かに腹を立てて
父親は電話の線を切ったんです。

それで、
直ぐにお酒を飲みにいくんですから。
それでも
お酒を飲みに出かけてくれたら 
いなくなるから
安心しましたね。

その時は
父親が出て行った後
私は「偉いこっちゃ」でした。

その頃は
黒電話で
友達から電話がかかることがあったので、
私は焦っていました。

そして、
私は何をしたのかというと。

包丁で切られた
電話の線を直すことができたのです。

小学5年生くらいだったと記憶してます。

どうやったのか覚えてないんですが。

必死やったのでしょうね。

今振り返ると
潜在意識だったのでしょう。

夏休みの宿題
ラスト3日でやってない!

そんな時必死な追い込みを
したりしますよね。

先生に怒られる。
友達に笑われる。

想像したら嫌過ぎて
何とかするわけです。

それと、同じ感覚で、
遊べるか電話がかかってくる予定が
あったんです。

私の頭の中は
電話が繋がらないなんて
変と思われる

それだけは避けたい

でした。

私は
人に変と思われたり
他人の目を気にしていましたから。

「変と思われる」
危機

私にとっては凄く不快なことです。

突破するには
電話を直すしかないのです!

カッターを使って
夢中で
行った記憶があります。

そして直ったのか
試すために
わざわざわ公衆電話から
かけて
母親に出るようにお願いしました。

「ねえちゃん器用やな」

私は母のひとことに
すごく不快でした。
私の気も知らないで。
怒り心頭でした。

この出来事は
火事場のバカ力で
今思い返しても
よく直したな?
と思う出来事です。

私はそんなわけで

私は親に甘えたことがないので
大概のことは
知らない間に自己完結
してしまうんです。

甘えろと言われても
ピンとこないのです。

なので、他者から
コーチングやカウンセリングを
受けることは
意図的に行おうと思ってますが、

甘えてもよいし
甘えなくてもよい
なんですよ。

これまで甘えられない自分が
捻くれもので、素直じゃない
と思っていました。

別に悪いわけじゃない。

私は今
そんな自分も理解し
意図的に過ごしています。

憎んだまま別れ
亡くなった
父親の事も  
お参りも
15年くらいたちますが、
2回しか行ってません。

無理に許さなくてよいんですよ。


ただ、やっぱり父親がいなかったら
私もいてないので、

わたしは子供達にも出会えてないし、
存在してないので、

存在は
ありがとうと思いますね。

大人になって私も
お酒をたしなむようになってからは
何故か

やっぱりお酒を浴びても
暴れても、
良い服を着ていても
女性と遊んでも

孤独な父親の
姿を思い出しますね。

今は
気が向いたらお墓参りも
行こかな。

別に無理せんでもいいけど。

そんな感じですかね。

なので、
父親に特別な感情があっても
よいですね。

無理に許さなくてよいです。

私の子どもたちが
「お父さんお父さん」言ってて
とても
微笑ましい図で

良いな〜と
いう感情が常に
ありましたね。

私も  
お父さんに
甘えてみたかったですね。

そんなことも
言って良いと思うのですよ〜。

すると
どこかのタイミングで
甘えられるんです。
実験してますよ。

潜在意識のすごさを思い出し
本音の感情を放出した父の日でした。

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