悪気のなさ

     この問題、旧Twitterでも度々見かけていて。

     多分、海外ルーツの人に対して「日本語が可愛い」などと口にするのは日本語ネイティブの立場でしかモノを考えたことがないからだと思う。
     一旦自分が海外で現地の言葉で話したときに間違いを笑われたり、発音を「可愛い」って言われたらどうか考えれば、如何に失礼かが分かるのではないだろうか。 
   
    ひょっとしたら「余所者感覚を知る」という意味でも海外で暮らしてみるということは必要な経験なのかも知れない。
    私はオーストラリアに留学したときに現地の子(通っていた学校の同級生)に「発音が可愛い」と言われて、何となく引っ掛かっていた。
    違和感はあるけれど、相手に悪気がないのもわかる。ならいいかと放っておいたのですが、大人になってからSNSでこの話に触れるようになり、改めて考えた次第です。

    「悪気がない」というのは自分を省みても、とてもタチが悪い。周囲が批判しても、何故批判されるのか腑に落ちない事が多いから。それで私も周囲を傷つけてきたことが多々ある気がする。

    まずは「悪気のなさ」を自覚することから始めようか。


    望月  香夜
   
   


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