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#9 私の孤独が強くなる騒音の中で

カフェテリアは生徒でごった返していた。カフェテリアには長い机が幾つもあり、その机に椅子がパイプでくっついていて、椅子に座り友人と何か楽しそうに話しながら昼食をとる生徒、携帯を使っている生徒、宿題をしている生徒などで溢れていた。私は急に寂しくなった。生徒が皆楽しそうに見えた。しかし私は一人ぼっちだった。カフェテリアの騒音を私は今まで経験したことがなかった。何百人という生徒が一斉に大声で話している。うるさかったし、嫌気がさした。騒音の中で私の孤独が強くなった。私はカフェテリアを後にした。どこかカフェテリア以外で昼食をとれる場所を探した。廊下を歩いて探していたが、昼休み中は生徒が自由に校内を行き来できないようにしているようで、先生らしき人に行く先を阻まれた。

気分転換に外で食べようと思って学校の外に出た。学校の外にあったベンチに座って、弁当を広げて食べ始めたが、警備員のおばさんが来て、外で食べちゃダメみたいなことを言ってきた。私は何故外で食べちゃいけないのか分からなかったが、おばちゃんの言うことを聞いて、弁当をリュックに入れた。私は仕方なく、トイレに向かった。トイレの便器の蓋を下ろし、ドアを閉めて、リュックを開け、弁当箱を開いた。トイレは臭く、昼ご飯が喉に通らなかった。私は飲み込んだ。白米を箸ですくって、口に入れ、ただひたすら飲み込んだ。

三時間目はESL1というクラスでEnglish as a Second Languageの略らしい。私のように英語が母国語ではない生徒が集まり、英語を勉強し、他の授業の宿題などをサポートしてくれるクラスだった。このクラスではベトナム出身の生徒が多いようだ。他には、メキシコや中国出身の生徒もいた。先生は明るく、優しそうな先生だった。同じ国出身のクラスメイトが数人いる生徒達は英語以外の彼らの母国語で話していた。皆母国語が英語でない者同士が集まって英語の基礎を勉強する。母国語が英語ではない生徒が集まり、なんとなく少しだけほっとした。それと同時に、なんか嫌気がさして泣きそうになった。私は少しだけ安心して、少しだけ緊張がほぐれ、だけど英語が分からない戸惑いで泣きたくなった。でも、いきなり初日に日本から来た私が泣いたら、皆驚くと思ったし、恥ずかしいから私は堪えた。人前で泣くのはカッコ悪いと思って一生懸命強がった。混乱、もどかしさ、辛さを泣いて訴えられなかった。

皆必死だった。皆コミュニケーションを取りたいけど、英語で上手に意思疎通ができない。自分が伝えたいことを上手く伝えられない。皆、ボディーランゲージや、鉛筆で何か描いて説明したり、目配せしたりして、何かを伝えようとしていた。私含め、皆が高校生ではなく、もっと幼い子に見えた。小さい子が何か伝えたいけど、上手く言葉で伝えられないから、様々な工夫をするのと同じだと思った。言葉が上手く使えないともしかしたら幼稚に見えてしまうのではないかと思った。


四時間目は世界史だった。この世界史の授業は特別で母国語が英語ではない生徒が集められていた。このクラスは3時間目の授業ESL1で同じだった生徒と、もう少し英語が話せるが母国語が英語ではない生徒もいた。今日はギリシャについて勉強するらしい。何がなんだか全くちんぷんかんぷんだから、適当に聞いているふりをしていた。先生がホワイトボードに何か書くから、意味は分からないけど、その英語をただ書き写すという作業を黙々と続けた。


二時十八分。ベルが鳴る。一斉に生徒が立ち上がり、ドアを開け、教室を出る。生徒は先生がまだ授業を終えているか終えていないかお構いなしだ。私も急いで荷物を鞄に詰めて、廊下に向かう。廊下に出ると生徒達でごった返している。多くの生徒が外に向かって歩いていく。今日は母が車で迎えに来てくれると言っていた。母がいた。車に乗って、母との会話は英語ではなく日本語だったので安心した。今日、アメリカの高校初日の出来事を簡単に話した。

家に戻り、自分の部屋に戻った。今日起きた様々なことを思い返した。なんか、涙が出てきた。言葉が通じないって恐いなって思った。怖かったし、色々と我慢していた感情が出てきて、溢れてきた。なんでアメリカに来てしまったのか、日本に帰りたいと思った。でもアメリカに来てしまったのだから、しょうがないと諦めた。とりあえず、気分転換に、日本から持ってきたハリーポッターのDVDを英語で日本語字幕付きで観た。その後、まだ時差ぼけが辛いから寝た。

昼寝から覚めたら、今日取ったノートを電子辞書を使って、一単語一単語調べて、和訳を単語の上に書いてみた。何となく意味が分かったような、分からないような。ノートを取っているのに理解していない、または理解ができない残念な現象が起きていた。少しノートの意味が分かっても、学んでいる内容が分からない場合は日本語でインターネット検索をして、またノートを見て、理解を深める努力をした。果てしなく時間が掛かる作業だった。この作業をしていたら夜中になってしまった。学校登校初日にして、私はもうめげていた。

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