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夏のしっぽを離さない

終わってしまった、夏が。もう7月、8月が過ぎ去ってしまい、9月になってしまった。9月になり、日が暮れるのも早くなり、夜になれば肌寒くなるようになった。いつの間にか夏が終わってしまったのか。海にも行ってない、プールにも行ってない、夏休みも取れてないのに時は刻々と過ぎていった。一番好きな季節はいつと聞かれれば、夏と答えると思う。でも最近は少し躊躇するようにはなってきた。学生の頃は長い夏休みがある夏が大好きだった。肌を黒く焼いて、海に行ったり、プールで泳いだり楽しかった。今、会社員の私は夏休みを取れおらず、毎日ただ働く日々を過ごしている。お客さんとエンジニアの間に挟まれて、上手く双方の意向のちょうどいいところを探して事を進めようとしているがなかなか難しい。


でも花火は2回見に行った。1回目は彼氏と。2回目は弟と。1回目は江の島で花火を見た。1回目の花火の時間は3分で150発。金曜日の夜に見に行くことになった。待ち合わせは片瀬江の島駅前だった。私は会社終わりに急いで電車に乗って江の島に向かった。江の島の花火大会はコロナの影響で3分のみの実施だったから、この3分間を逃したら花火が見れない。会社で花火大会の話になり、後輩は3分間のために花火を見に行く人の数何てたかが知れているだろうと言っていた。私も同意した。3分間の花火大会に多くの人が見に行くとは考えなかった。私は江ノ電に乗って江の島に向かった。江ノ電に乗ると浴衣を着ている人を何人か見かけた。浴衣を着ているカップルらしき人達や、若い女の子たちがいた。私は自分の服装を見た。ジーンズに、ビーサン、オレンジのシャツで全く可愛くない格好だった。私は浴衣が好きだった。浴衣を着るのも好きだし、誰かが浴衣を着ているのを見るのも好きだった。浴衣を着たり、見ると心が躍る。涼しげで、可愛い。白と水色や、オレンジなど夏っぽい色で、夏のような模様の浴衣を見ると夏だなと改めて感じる。でも彼氏は、いつか浴衣を着ている女の子たちを見て「よくやるな」と言っていた。彼の意味はこんなに暑いのによく浴衣など着るなという驚きだった。


江ノ電からの見えた海の景色には感動した。夕日に海が照らされて、海が青色ではなく、夕日色に光っていた。窓からは江の島やサーファーも見えた。車内の中からは江の島に向かっている人の高揚感が伝わってきた。私と後輩の予想は外れて、社内は混んでいた。この混雑具合を見ると、江の島周辺は混んでいるのかもしれないと思った。海を見ると、いつも自分はちっぽけな存在で、自然の偉大さを感じることができる。私が死んだら湘南の海で散骨してほしいと思っている。死んだら海に散骨してもらい、自然に返りたい。この海の一部となってどこまでも続いている海を旅するのだ。


江の島に着いた。すごい人の数だった。警備員が大人数いて、海岸付近に行くように促していた。私は待ち合わせ時間より少し早く着いてしまった。意味もなく近くにあったコンビニに入って暇つぶししようと思ったが、コンビニの中の人の数の多さにすぐ外に出てしまった。コンビニのトイレはセキュリティの理由で使用禁止になっていた。私はコンビニの次に駅の近くあった雑貨屋さんに入った。以前から気になっていた雑貨屋さんだった。前、彼氏と江の島に来た時に、この雑貨屋さんを見かけたが、店内を見たいと言えず、中を見ることができていなかった雑貨屋さんだった。店内に入るとたくさんの音が鳴る風鈴のような小物が飾られていた。とてもきれいで爽やかな音色が店中に鳴り響いていた。最近一人暮らしを始めたアパートに飾りたいとも思ったが、音が大きすぎると思い断念した。このお店で綺麗な音色も一旦この店を離れて、私のアパートに置くと迷惑がられてしまうのだ。


この雑貨屋さんも出て私は駅の外で一人待った。携帯で今はまっている音楽をイヤホンに流して待っていた。駅前には誰かを待っている人たちで溢れていた。私の隣には中学生くらいの女の子たちや男の子たちがたむろしていた。私は学生たちを恨めしく思った。夏休みを楽しんでいる学生たち。私も学生に戻って長い夏休みを楽しみたいと思った。長い夏休みが永遠に続けばいいのにと思う。なんで社会人になると夏休みは極端に短いのか。海外では社会人でも2週間や1カ月ほどの長い休みを取ると誰かから聞いた。日本人は真面目過ぎるのだ。それとも私の会社だけなのか。それとも私が真面目なのか。


花火は3分で終わった。綺麗だった。真っ暗な夜空に花火が上がり、私は花火を見つめてた。空に上がり、綺麗に散っていく。その繰り返し。3分間はあっという間に過ぎていった。でも私は満足した。夏を感じた。花火を見えると夏を体感できた。彼はこのぐらいの長さがちょうどいいと言った。私は海岸の上で見たかったけど、彼は海岸の砂が嫌いだった。彼は潔癖症のようだ。だから海の家の後ろのコンクリートの道の上で見た。海の家の後ろでも花火は空高く上がる。だから関係なく花火を楽しめる。3分後は、私は彼の顔を見て、目を輝かせながら「綺麗だったね」と言った。3分間でも私は満足した。


2回目の花火は9月に入ってからの花火だった。当日まで私はその日が花火の日だということをすっかり忘れていた。本当は彼とまた見たいなと思っていたけど、彼は試験勉強で忙しいらしい。だからその週末は会えずにいた。彼に会えなくてつまらないから、私は実家に帰って、実家にいる犬を海の方角に向かって散歩していた。私はこの町が好きだった。この町で育って、顔見知りが多くいるのがたまに嫌になるけど、それでも好きなものは好きだった。特に町の香りが大好きだった。潮のにおいが漂っている。夜には海沿いにオートバイを大きな音を鳴り響かせている音が家まで聞こえることも好きだった。わんこは外で散歩できることが楽しいのか尻尾を揺らしながら楽しそうに歩いていた。わんこが楽しそうに歩いていると私も一緒に楽しくなってしまう。私は何かこの町がいつもと違うことを感じ取った。浴衣を着ている人が海に向かって歩いていた。この町に浴衣を着て歩いている人はなかなか見ない。そんな洒落た人はなかなか見かけない。犬を連れて家族で海に向かって歩いている人も見かけた。足取り軽やかに、楽しそうに海の方角に夕方時に吸い込まれている。


私はポケットに突っ込んでいたスマホを取り出して、茅ヶ崎花火とググってみた。茅ヶ崎花火は今日だった。茅ヶ崎の花火はあと45分後に開始してしまう。私は急いで弟にLINEして今日が茅ヶ崎の花火大会実施日で、花火を見に行きたいと伝えた。弟は二つ返事で返してくれた。わんこと実家に帰って、弟と近くの海岸で見るか、茅ヶ崎まで車を飛ばして行くか話した結果、車で茅ヶ崎のサザンビーチまで行くことになった。せっかく花火を見るのだったら大きい花火を間近で見たいという結論に至った。わんこは家にお留守番させて、車に飛び込み海に向かった。海岸沿いの道は混んでいた。みんな同じ方向に向かってる。夜空に浮かぶ花火を見に行くのだ。私はついフジファブリックの若者のすべてを大音量にしてかけた。恐らく今年最後の花火を見に行く道中ではこの楽曲が最適なのだ。サザンビーチ近くに近づくと駐車場を見つけるのに苦労したが何とか見つけた。茅ヶ崎まで車で来たが花火が見れないのではないかと焦ったが、なんとか間に合った。正確に言えば、花火1発目は海岸側に渡るために信号を待っている時に始まったが、ちゃんと1発目の花火も見れた。花火が始まると歓声が沸いた。やっぱりみんなも花火が好きなんだと思った。信号付近の警備員が「走らないでゆっくり歩いてください」と大きな声で注意していた。


海岸沿いまで行くと花火にみんな興奮しているようだった。私たちの後ろで見ていた高校生は何かずっと叫びながら花火を見ていた。そのぐらい花火は綺麗だったのだ。夜空に大輪を広げ、パチパチと音を立てながらはかなく散ってゆく。何発もの花火が打ち上げられた。花火が終わると急いで駐車場に向かった。弟は花火が終わってから次の予定が入っていたのだ。だから猛スピードで家に帰らないといけない。だけど道は混んでいて、なかなか車は動かない。普段よりも2倍以上の時間をかけて家に着いた。


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